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旅する世界を2つ持つ

こんにちは、こさです。フルリモートの会社でライターとして働きながら、noteではちまちまエッセイを書いています。

わたしは今年の上半期に「アドレスホッパー」をやっていました。家を持たずに旅暮らしをする人のことで、東日本〜九州まで、気ままに移動していました。

反対に下半期は旅暮らしをやめて、実家に居候させてもらいつつ、おとなしく過ごしています。

まがりなりにも旅人として行きた期間があるわたしがたどり着いたのは、旅を続けるには、世界は2つあるべきということです。その2つの世界とは、いわゆる自分の暮らす世界と、自分の中の世界のこと。

ちょっとファンタジー入ってて意味がわからないと思うので、わたしの1年弱を振り返りつつ、説明させてください。

外の世界をインプットし続けた上半期

山陰本線の観光列車「〇〇のはなし」と。阿川のいちごソーダ

今年の前半は、旅をして暮らしていた。フルリモートの会社員なので、時差出勤させてもらって仕事終わりに観光地を巡ったり、休憩時間にその地の名物を食べてみたりして楽しんだ。

移動は、一週間に1回、下手したら2回。新幹線に乗るレベルの大移動もあれば、ちまちま移動して1ヶ月かけて九州を小回りで一周するような、そんな日々が続いた。

ちょびっとだけ心が疲れた

旅だけではなく、仕事もかなり刺激的だった。

転職したばかりで、しかもそれが立ち上がったばかりのプロジェクトで、ドドドドドベンチャーみたいな仕事をしていた。残業こそ少ないものの、自分が1人目で「行って来い」みたいな業務が多かった。色んな経験をさせてもらって、この半年で私の心臓の毛はかなり剛毛になったと思う(今までがビビリだっただけ説もありますが)。

何もかもが新しい土地への旅と、目まぐるしく状況が変わる仕事に挟まれて、ちょっと心がつかれたのだと思う。

ある日、ぽっかり何もしたくなくなってしまったのだ。

だから、旅をやめた。

無気力、とかではなく「旅もしたし、ライターにもなったし、やりきった感がある」「欲しい物もないし、強い意志をもってやりたいことがない」と思っていた。

かといって、現状が100点満点だと満足しているわけでも決してなかった。(でも、旅は続けられなかった)という落ち込みや、(でも、ライターとしてまだまだ発展途上だ)と、不安や焦りはあった。

矛盾したような感情に戸惑っていたけど、後から振り返ると、刺激強めの出来事ばかりで心がちょっぴり疲れていて、反応が鈍くなっていたのだと思う。

心の内を丁寧に書き出すことにのめり込んだ下半期

喫茶店に行くとだいたいクリームソーダを頼む

そんな、楽しくも忙しない上半期を終えて、下半期はだいたい実家にいた。実家とはいえ、ほとんど一人で暮らしていた。わたしと入れ替わりで、今度は母が旅に出てしまったからだ。

24時間一人という生活が始まった。これは、家を手放していらいの生活スタイルだ。ぼんやり考え事をしたり、紙に何かを書き出したり、という事が増えた。SNSも、観光地の写真ではなくて、考え事の投稿が多くなった。

手帳に書き込むのも好きだ。先の予定を書くのではなくて、振り返りに使う。ここ2年くらい、スタディプランナーを使ってライフログを残すのにハマっている。

でも、上半期と下半期の境目は、手帳すら遠のいていた。毎日同じ仕事してるし、書くことなんてない。つかれるし、遠くにも行きたくない、近くにも行きたいような場所はない。土日は何しよう……。うだうだスマホを触ってスクリーンタイムが増える、そんな時期が2~3ヶ月続いた。

でも、9月の夏季休暇で行った5日間のフェリーの旅のおかげで、手帳に手を伸ばすという選択をした。「これは、心の動きを観察しないと何も先に進まないかも知れない」と思ったのだ。

「ちっぽけな人間」を痛感した船旅

うっすら陸地が見えるだけで、水平線に囲まれた

電波も何も入らない太平洋で、陸地もほとんど見えないなか進むフェリーで見た日の入りは素晴らしかった。

そして、気づいた。

わたしはたまたま今日観ている景色だけど、この景色は24時間365日存在しているのだ。誰かに観られるとか、関係なく。これって、当たり前なんだけど、けっこう衝撃じゃないですか。

「わたしが仕事をしているときも、なんでもない1日を過ごしているときも、めちゃくちゃ落ち込んでるときも、この絶景は存在している。それを知っていたら、ちょっとラクかもしれない。」

気づけば、同じ景色を見ていた友人にそう言っていた。笑われると思ったけど、友人は黙って頷いた。

動くホテルみたいな大きさの船でも、太平洋に出れば波に揉まれる。海は人に関係なく荒れるし、日は昇るし、沈む。

そういう当たり前のことが、自分の目に見えないときにも行われていること。自分の人生は主観的に見るから大げさなのであって、今の悩みや苦しみはほんのちっぽけであること。なんとなく、そういうのを肌で感じた。

そして「目の前のゴタゴタで自分を縛る前に、まず自分の好きなようにやってみよう」と思った。刺激が強すぎて麻痺していた「好きなように」という感覚を思い出そう、と思えた。

書いて、整理して、自分の中を旅した

もともと内省が好きだったようで、ストレングスファインダーでも堂々の2位に入っているのだが、今年の後半は特に内省に時間を使うようになった。

手帳に書き込むことも増えたし、仕事とプライベートで手帳を分けて、書く量をほぼ倍にした。やったこと、やろうとしてたこと、それに対しての達成度、毎日の中の小さなチャンス、習慣化したいことのトラッカー……。

YouTubeやInstagramのフォローはほとんど手帳系の情報で埋まり、少しずつアレンジしながら自分の情報を積み上げていった。そして、今自分は何をしたいのか、がやっとアウトプットできるようになった。

「大学をやり直したい」と思い出した。

わたしは大阪芸術大学を中退していて、そこから学校法人でない専門学校に入ったので、最終学歴は「高卒」だ。コンプレックスじゃないといったら、嘘になる、かも。でも、意外に思われるようなので、ステータスとして使うこともあった。

それに、もっといろんなことができるようになりたいし、知りたい、とも思った。大卒資格が必要な、学芸員や司書。その職業になることはないかもしれないけど、その人たちの視点を学べるのは、すごく人生の糧になりそうだ。そのためには、まずは大学を卒業する必要がある。

自分でも調べたし、放送大学に通う母や向上心の高い同僚たちに相談した。そして、来春ある通信大学に通うことに決めた。決めたって書くのまだドキドキするんだけど、たぶん決めた。行くと思う。

外と内の世界を、バランスよく旅をする

外を旅して、いろんな文化があって、美味しいものがあって、いろんな生き方があることを知った。

旅をしなければ、気分が落ち込んだ日は海を眺めるのが一番だと思う自分に気づかなかっただろう。一人で楽しめることの数の多さも、実感したからこそ分かる。知らない人とのコミュニケーションが、それほど苦痛じゃないことももう知っている。

旅をしなければ踏み出せなかった1歩が必ずあると思う。

反対に、外ばかり見ていると、心が疲れてくる。テンションの高揚だけがいいことではない。自分の根底にはなにがあるのか、目を凝らさないと、案外自分の心というものはわからない。

熱海のホテルにて

外の世界と、自分の世界。2つをちょうどよく旅することが、私の人生には合っているみたいだ。地図すらない自分の内面と向き合うって、めちゃくちゃ冒険だなあと思った。

来春から、社会人大学生になる。学問も、外の知識と、自分の理解を紐付ける旅みたいなものだと思う。どちらかに引っ張られすぎず、ちょうどよさを探しつつ、また新たな旅に出てみようと思う。

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