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人生の正解を選び取りたい

TOEICの受験を決めた。理由は、「自分の英語力を知りたいから」。あんまりしっかり勉強するつもりではない。それでも、受験の7月まで、「英語、勉強しとこうかな」と思う機会は増えそうだ。

受験を決めたのは、多分もう一つ理由がある。勉強する項目をフラフラさせるのを防ぐためだ。私は今全力で人生に迷っている。遅れてきたモラトリアム。

何を勉強するか、というか、何をするか、というか。1日1日の何に時間を使うか、というか。そこらへん全般を、めちゃくちゃ迷っている。

「無心で頑張る」がなかなかできなくなってきた。

それは積み重ねなのだと思う。一昨年、行政書士試験で落ちた。1問足りなかった。独学で1年半ほど勉強した結果だった。あの受験期はまあまあ辛かったはずだが、今となっては「打ち込んで勉強して楽しかったな」という思い出になった。でも、試験に落ちるのが人生初めてだったから、まあまあこたえた。

加えて、職業リペアマンを辞めた。リペアマンというのは管楽器修理職人のことで、これになるために全寮制の専門学校で一年学んだ。夕方6時に寮に帰ってきて、1時間で食事と入浴を済ませ、7時から夜中の12時まで、ひたすら実習と勉強の日々だった。時には泣きながら実習していたものの、それでも楽しかった。それだけやって掴んだ仕事を辞める選択は、しっかりした理由があったのだが、後からじわじわと自分を絶望させている。

転職した会社も、covid-19の影響を受けていていい雰囲気ではない。「何をやってもうまくいかない」とまでは思わない。被害者ぶって生きていたいわけではない。でも、「もう自分が正解を選ぶことなどないのではないか?」という不安が、自分の中にぐるぐると蠢くようになった。

正解を選び取りたい。

この思考に気づいた時、自分でも思った。
「何言ってんだ、正解に絶対解なんてないし、選択を正解にする意思がなければ何も正解にはならないだろ」

でも、自分は明らかに正解を求めて迷っていた。ここ数ヶ月、あれやこれやをつまみ食いのように学び、中途半端に風呂敷を広げたまま放置し、を繰り返してきた。何か一つを選んで集中だけがいい事ではないとはわかっているけれど。それにしても何の実にもならないだろう、という取っ替え引っ替えを繰り返していた。

正解って何だろうか。自分の指す正解って何なのか、掘り下げてみると「満足する、後悔しない、人生や金銭に対して役に立つ、無駄ではないと思える」だった。

要するに自分は「時間を無駄にした」と未来の自分に怒られるのではないかと、ずっとビクビクしていたのだ。

いやあ、別に怒らんだろう。

何に対して怯えていたのか、どういう理由で正解を選びたかったのか、掘り下げてみたら拍子抜けだった。未来の自分が、「無駄な事学んで時間食いやがって」なんて怒るわけがない。

なぜなら今までだって別に怒ったことがないからだ。高校で奇抜な髪と服で目立とうとしていたことも、大学をサボり続けて塾のバイトに全力だったことも、歯を食いしばりながらブラック企業で働き続けたことも、怒ってない。

自分の経験なんて、どうとでもとれる。もちろん、「やっとけばよかったな」もたくさんある。めちゃくちゃ死ぬほどある。でも、よくよく考えてみると、不思議なことに「これ選ばなければよかったな。時間の無駄だったな」なんて一つもなかった。

やれることをやりたいだけやったらいいよ。できるようになりたいことがあればやればいいよ。やらない、が一番だめだよ。

そんなわけで、わたしはこれからSNSと、ライティングを主にやることとする。たまにデザインと、GASと、英語を勉強することにする。未来の自分が何をいうかは知らないが、「いい経験だったな」は確実に言うと思うから、これからも安心して正解を選び取っていく。

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