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君を取り巻くすべてをも。

実に難解である。
そして、信じがたくもある。

メルヴィルの『白鯨』には、たいてい「難解である」との評がつく。
自分の脚を食いちぎった白鯨「モービィ・ディック」を仕留めるため、老船長エイハブは、狂ったように太平洋を駆け巡る・・・。
というのが話の筋である。
実にシンプルだ。

『白鯨』が難解と言われるのは、その語りによる。
主人公はエイハブではないし、かと言って語り手が常に一定というわけでもない。突然、作者であるメルヴィルが物語世界にしゃしゃり出てくるし、小説だと思って読み進めていると、なんの前触れもなく戯曲みたいなセリフとト書きになったりする。
場面も時空も突拍子もなく変化する。何度も脱線する。
物語の中の別の物語が40ページ近く続いたりする。
(私個人の感想によるものなので、『白鯨』についてちゃんとした文献を読まれたし)

極めつけは、捕鯨船の乗組員でもあったメルヴィル大先生による「鯨学」講座だ。モービィ・ディックはマッコウクジラなのだが、メルヴィル大先生は他の鯨さんについても実に細かく、動物学的見解と実体験を交えて語りに語るのだ。それはそれは偏執的に。

ほとんどの読者が、この「鯨学」で『白鯨』を放棄するらしい。
まあ、わからなくもない。
小説を愉しみたいものからしてみたら、脱線に次ぐ脱線のうえに、ストーリーとは関係のない鯨についての講義をダラダラと20ページ以上耐えねばならないのだから。

実は、私も一度挫折しかけた。
聞きかじっていたあらすじから、勝手に『老人と海』の鯨バージョンを期待していたのである。
実際に読んでみたら、エイハブ船長はなかなか出てこないし、捕鯨船についての説明が長すぎるし、鯨については細かすぎて逆に伝わらない。
おそらく、生物学者とか、メルヴィルと同じく元捕鯨船員とか、漁師とか、そういった海と深い繋がりのある人にとっては「うわー、わかるわかる! 鯨ってそうなんだよねー!」と盛り上がるのだろう。

これは、あれだ。
自分が全く知らないアーティストについて、熱く語られるのに似ている。
ちょっとそれっぽく変換してみよう。

「ねえねえ、知ってますぅ? クジラってぇ、マジで凄いんですぅ!」
「クジラのぉ、こーゆーとこ、もうメチャクチャ可愛くないですか??」
「ってゆーかぁ、クジラを生み出した海とかも、もう愛してますぅ~」

おおおおお。わかる、わかるぞ、メルヴィルよ!!!
私も自分の推しを思うとき、同じ気持ちになるぞよ!!!!!
推しの生まれた国も、しゃべる言語も、声も、髪型も、目の色も、指のかたちも、育った町の気候ですら愛おしい!!!

そうか。『白鯨』は、メルヴィルの愛のうたなんだ。
メルヴィルの推しはクジラで、推しを取り巻く何もかもを讃えずにはいられないのだ!!!!!

ああっ、なんて、なんて美しいのかしら!
そして、なんて羨ましい!!!
新潮文庫にして上下巻、あわせて1000ページを超える字数をもって、推しを褒め称えることができるだなんて。
その情熱。その愛。その語彙力。その知識量。その一途さ。
メルヴィルのように、私は推しを愛せるだろうか???

「君のすべてを愛してる!」
なんて、嘘くさいセリフ、今時どんな安っぽいドラマにも出てこないだろうけれど、あれは嘘ではないのだ。
『白鯨』が、その存在を実証している。
「君」どころか、「君」を取り巻くすべてをも、全部ひっくるめて愛してる。
そういう愛がある。

ああ、たしかに難解だ。
そして、信じがたい。
『白鯨』は、文学史上もっともピュアな愛の叙事詩である。

『白鯨』メルヴィル・著 田中西二郎・訳 新潮文庫)



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