見出し画像

本とともに年齢を重ねる。

社会人生活が長くなってきた。
なんとなく、この先の人生の輪郭線が定まり始めたようでちょっとイヤだ。
眠りにつく前に思い出すのは、小学生だったころのこと。
あのころはまだ何にでもなれそうな、無敵感があったのになあ。
・・・と、虚しさに打ち震える。
ベッドから起きだして『移動祝祭日』(E・ヘミングウェイ 高見浩 訳 新潮文庫)を読むことにする。
デスクライトの薄暗闇の中で、ぼんやり活字を追う。
いわゆる成功者にはこんな無為な夜なんて無縁なんだろうなあ。
毎日が充実して、今だけを見ている、そんな感じ?

『移動祝祭日』は、ヘミングウェイの修業時代、パリでの日々を描いたもの。作中のヘミングウェイはまだ22歳で、全くの無名。大作家になってやるんだという野心に燃えている。
しかし、この作品を執筆しているヘミングウェイは60すぎ。作品完成後数か月で猟銃自殺を遂げている。

私がこの本を初めて読んだとき、作中のヘミングウェイとほぼ同じ年齢だった。私も、作家になりたかった。(あ、おこがましい!)
だから、ヘミングウェイが安カフェで一心不乱にストーリーを書き綴ったり、お昼代をケチって本を買いあさったり、文章を書くことに不安になったりする姿に自分を重ねた。(だから、おこがましすぎるって)
そうして、パリの街の美しい描写に酔った。
雨が降る直前の風の匂い、通りに漂うパンの香り、石畳を歩く靴音・・・。
彼の感じたあらゆるものを、自分も体験しているようだったのだ。
この本を読んでいるとき、私は若き日のヘミングウェイだった。

あれからX年。
今では「作家になりたい」なんて遠い昔の夢物語になった。
古いノートの端っこに、昔の片りんを見つけて恥ずかしくなるだけ。
今でも『移動祝祭日』は大好きな本だけど、私はもうパリを颯爽と歩くヘミングウェイではない。

今の私は、この本に寂しさを見る。
この本を書こうと思った、老いたヘミングウェイの気持ちがちょっとだけ分かるような気がする。
何者でもなかったからこそ、何者かになれた。そんな日はもう遠い昔なのだ。

本は面白い。
書いてあることは全く同じなのに、読む私が変わることで、内容がまるで違って見えてくる。気に入った本を買って、そっと本棚にしまい込む。年を経てページは黄ばみ、日に焼けた匂いがするだろう。それと共に、私も年齢を重ね、経験を積む。考えることも変わる。
まっさらな本とガキんちょの私、が、古びた本とオトナな私に変わる。
化学反応みたいに、全然違った景色が見える。
この本を書いたヘミングウェイと同じ年になったとき、どんな見え方をするのだろう。今から少し、怖くもあり、楽しみでもある。

この記事が参加している募集

最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。