見出し画像

紙も電子も本は本(及び「オフライン」と「オンライン」のコミュニケーションに関する個人的意見)

「紙も電子も本は本」

https://www.aiajp.org/2016/03/event-repor-21.html

最近このフレーズが頭の中をぐるぐるしていたのだが、出処を調べたところ、ボイジャーさんの講演会のタイトルだった。そう言えば、このイベントには僕も聴講者として参加していた(色々と懐かしい!)。
ボイジャーさんの電子書籍制作サービス「Romancer」は、Wordファイルを簡単にEpubファイルに変更できる優れものだ。初めての電書チャレンジを試みたい方であれば、僕はこのサービスを推奨したい。

さて、「紙も電子も本は本」というフレーズには、ある種の念押しの要素が含まれている。「電子書籍も本である」という枠組みを提示しても、「紙」と「電子」の間には不思議な障壁が未だに残されている。
自分にも思うところがある。「電子書籍をつくっています」と言うと、「紙の本は無いのですか?」や「電子書籍は読んだことないです」とか「電子書籍にはぬくもりが無いですよね」など、色々な理由で避けられてしまうことがあった。
正直なところ、そういうことを考えたことが無かった身にとっては、「?」と思うことが多々あった。どんな手法であれ、本として手に取り、一つひとつのページに目を通し、思いにふける。そのことについては、紙も電子も何も差は無いのだが。

   ◆

そんな前置きを書いたのは、このような「本は紙か電子か」と似た議論が行われていると感じたからだ。それは「コミュニケーションは、オンラインかオフラインか」というものである。

今年から始まった新型コロナウイルスの蔓延は……という前置きを書かなくても、多くの人が生活スタイルの変化を実感しているはずだ。その中のひとつに、「オフラインの制限とオンラインの移行」も含まれている。イベントやコミュニケーションの基盤はオンラインが主となり、オフラインでの開催は慎重にならざるを得ない状況が続いている。このことについては、不満の声も多く聞こえるようになってきた。

そんな激変する社会情勢の最中で、僕は少し違う思いが芽生えていた。
「オンラインの方が、上手にコミュニケーションができているような……?」

   ◆

ずばり、オンラインの方が「話しやすい」「伝えやすい」し、「人の話を聞きやすい」のだ。世間で言われている弊害も多少は感じたかもしれないが、それ以上にコミュニケーションが「楽しい」と感じる方が上回っているのだ。
どうしてこのような感情に到ったのか、色々と自分なりに考えてみた。

①平等である
初めてZoomを用いた打ち合わせに参加し、ギャラリービューモードで表示された画面を見て、僕は大きな感動を覚えた。なぜなら「全員のサムネイルサイズが均一」だったからである。社長だろうがフォロワーX万人のインフルエンサーだろうが、サムネ上は僕と同じサイズで映っている。そのことに大いに感動したものだった。
一方、オフラインの飲み会や会議では、参加者は全員等しい力関係で表示されていない。肩書が凄い人、声が大きい人、カッコいい人、面白い人、権力やお金の匂いを漂わせる人……。リアルな場ではこのように、何かしらのかたちで「目立つ要素がある」「目立つ振る舞い」をできる人がフィーチャーされる。自分のような落ち着きを重視した、声の小さい人間は苦労が絶えなかった。
だが、オンラインの場では「目立つ」と言ってもカメラに映る範囲内だけに限られる。さらに、マイクの存在は大きかった。小さな声でボソっと言ったことも、全員に均質に行き渡るのだ。このことが、とりあえず言ってみよう! という気持ちを後押ししてくれるのだ。

②誰しも距離感は一定に保たれている
オンラインのコミュニケーションは基本的にリモートを元にしている。なので、話者とは物理的・肉体的距離感は一定以上に離れている。
一定以上離れているが、その距離感は同じ、というのがオンラインコミュニケーションのもう1つの利点であると考えている。僕の隣に住んでいるひとも、隣の県に住んでいるひとも、遠くの国に住んでいる人も、同じビデオ通話のURL上では顔を合わせることができる(もちろん、時差はあるが)。ある一面では離れてしまったが、別の側面を見れば近づくこともできる(リアルに行くための時間的、金銭的コストがミニマム化される)と言えるのだ。

また、物理的・肉体的距離感が保たれているからこそ、いじめ、暴力、セクハラと言った危害を加えることもできない。画面上で襲われそうになっても、退出ボタンを押せば簡単に逃げることができる。もっとも、昨今は「リモートハラスメント」という悪知恵を働かせる人もいるみたいだが……(事例を見ていると、オフラインでの粗暴さをそのままオンラインで発揮している感もある)。

   ◆

新しいスタイルを経験していく中で、僕はある種の「コミュニケーション強者」になっていることに気がついた。オフラインでは発言できなかったり、輪に入れなかったので、その場を引っ張ろうとは思わなかった。
でも、オンラインでは積極的に話せたり、提案することもできるようになった。積極的になりすぎるあまり、火傷をすることもあったのだが……。
そういう異なる視点を得たからこそ、気がついたことがある。それはオンラインの力がより強まることで、これまで「弱者」とされてきた人を救ったり、本当はコミュニケーションができる人を発掘することができるのではないか? と。そのためにも、道具の発見や開発、それを使用する機会をこれまで以上につくり、維持していかなければならない。

そして、もうひとつ大事になっていくのが、「オフライン」との調和である。ここまでやたらとオンライン云々と礼賛してきたが、オンラインしかコミュニケーションがとれない世界は、やはりデストピアに近いものがある。それ以上にデストピアなのは、オンライン対オフラインというかたちで、二項対立が続いていくことなのかもしれない。
自分と相手に適した道具や場所は何か? それらを考えて、使い分けていく作業は面倒かもしれないが、その面倒さもまた、これからのコミュニケーションの大切な側面である。

色々とオンラインによるコミュニケーションについて考察をまとめていったが、よく考えてみると僕自身は「オンライン」を通したコミュニケーションに救われてきた人間でもあった。
冒頭に紹介した電子書籍制作のくだりも、オンライン上のあるコミュニティに入り、そこで多くの人と出会い、コミュニケーションを深め、最終的にはオフラインのイベントやコミュニティの支援までするようになった。オンラインの世界とオフラインの世界は、繋がっているのだ!
だから、オンラインのコミュニケーションだって、関係を深めることもできるし、人の生き方に影響を与えることもできる。このような成功事例を積み重ねて、社会に還元していくこともまた、今後重要になっていくと信じている

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)