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幸せは、近くにありて

もしも、今のアパートと違う場所に住んでいたら。
そんなことを、想像する機会が増えた。

4年前、とても悩んでいた。初めての一人暮らしをするにあたり、新居候補を2つに絞っていた。
ひとつは狭いけれど、駅から近いアパート。もうひとつは、駅から遠いけれど、ロフトもあって広いアパート。
最終的には両者を内見した上で決断を下した。僕が選んだのは後者だった。家賃は高かった。いわゆる「最寄り駅」が3つあるのだが、どれも10~15分かかるので、立地としては悪かった。
でも、ワクワクした。内見の帰り道、アパートから駅まで歩いていたときに、不思議とここで暮らせそうなイメージが湧いてきたのだ。楽しい生活できそうだな。そういう直感が働いたのだ。

そして今も、僕はこのアパートに住んでいる。

   ◆

緊急事態宣言が発令されて以降、僕の行動範囲はとても狭まった。平日は1時間ほどかけて通勤をし、休日は各地のスタジアムに足を運んでスポーツを観ていた。それが丸っきりできなくなった。
もちろん、家にいることがベターなのはわかっている。ただ……。

僕は近所を散歩することにした。最初は30分くらいで済まそうと思っていた。ところが、歩くというのは非常に楽しいことである。いつの間にか1時間、いやはや1時間半くらい平気で歩いていた。この道を歩いたら、次はこの道へ、そしたらついでのあの路地も……。まったく、外出自粛なのに何やっているんだか……。

そんなとき、気がついた。
僕が住むアパートの周囲には、色々と「楽しいもの」があるんだ、と。

住み始めてからはや4年経つのだが、僕はこの街のことを全然理解していなかった。常に意識は東京だったり、より遠くにある観光地だったり……。一体何をしていたのだろうか。

だから、新鮮な発見がいくつもあった。急な坂道を登れば、その上には桜の木と中学校があった。坂道を下れば、工場や物流センターが並ぶ沿岸地帯もあった。海も近い。駅前に行けば商店街。厳しい状況の中でも、あの手この手で営業をするたくましいお店たち。そして、静かに建つ神社やお地蔵さんを見かけると、そっと賽銭箱にお金を入れて、社会の平穏を祈った。

僕の近くには、色々と幸せな光景があったのだ。

遠くに行けば、どこまでも進んでいけば、まだ誰も手に入れたことが無い幸せがある。僕も含め、多くの人たちがそんなことを信じていたのかもしれない。
でも、しっかりと目の前にあるものへのアンテナを張っていけば、ムリをしなくても幸せに辿り着ける。
自由が狭まって息苦しさを感じる中で、近くにある幸せに目を向けられたこと、そして、そのことを見出せる街に住んでいることが、ここ数ヶ月で最も幸せを感じた時である

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)