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逮捕された人の作品は排除すべきか

最近、逮捕された人の作品を削除する話をよく聞きませんか?
作曲家でありましたよね。名前は言わないですが、2例知っています。

芸能人でいうと、コカインをやって大河ドラマの出演シーンがカットされたり、大損害を人した方もいました。

世間体を意識して、逮捕された人の作品を削除するなどして排除する例がよくあります。
しかし、それは本当に健全な状態といえるでしょうか。

不寛容性

ホームレスを排除するためにホームレスが居づらい街づくりをする例がよくあります。排除アートです。
例えば、寝ることができないように凸凹をつくったり、ベンチを狭くしたり。
このようなところからも、日本人の不寛容性がわかります。
その不寛容性を、我々寛容な日本人によって改善していく必要があるでしょう。

これと同じような理由で、「逮捕された人の作品を削除する」という事象も慎重に考えなければなりません。

「逮捕された人の思想はよく悪影響を及ぼすから目に触れさせないべき」
「逮捕された人の作品が削除されるのは相応の罰である」
「逮捕された人の作品は悲しくて見てられない」
などの意見により、逮捕された人の作品を削除することはよくあります。

しかし、このような意見を踏まえると、「逮捕された人の作品を残しておく」ということもあり得るでしょう。
「やり直すチャンスを奪う要因になる」
「逮捕された人の作品を削除することは、罰として適切ではない」
「聖人は寛容で活気のある社会から生まれ、クズは不寛容で閉鎖的な社会から生まれる」

一見矛盾しているように見えるこちらの二項。
しかし、私はどちら側の意見も取り入れます。

更生支援としての活動継続

つまり、更生を促すために創作を続けさせるということです。
作曲家の例でいうと、ゲームの音楽の中に「更生支援カテゴリー」というものを作って、音ゲーなどで特殊なモードを選択することで耳にすることができるものです。
そこに既にある作品を入れるもよし、刑務所で作った作品を入れるもよし。
それこそ人間性を取り戻すための更生支援です。

これにより、逮捕された人の作品を「削除しながら残しておく」ことができます。
そう、問題を起こした人の作品を集めたものを作ればよいのです。

矛盾を超えて

矛盾を指摘されることはよくあります。
でも、矛盾こそが新しいアイデアの材料です。
「ときめかない恋愛小説」「キラキラしない魔法少女アニメ」「音が全くない音楽」
これって「ヒロインが途中で死んでしまう恋愛小説」「無音の時間を多めにとる音楽」「音声データのないゲームで場面に合わせて作曲するのを促す」など、正解は無限にあります。むしろ「キラキラしない魔法少女アニメ」は魔法少女まどか☆マギカのことかもしれません。

違う意見が出てきたら、両方の意見を受け入れたアイデアを出すことも選択肢の一つです。

おわりに

この世に絶対的な正解はありません。
明日の正解が今日の不正解かもしれません、VUCAの時代ですから。

これからは、正解を創る時代です。

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