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【掌編小説】PARADISE

 今時、そんな事するか? だってそうだろ? このご時世に、瓶に手紙を入れて海に投げ込むなんて……。時代錯誤も甚だしい。


 そう思っているのに、俺は浮ついた気持ちで瓶を開けた。
 袋で何重にも守られていた手紙には、確実に伝えたい想いが込められているような気がした。 
 手紙にはどこかの住所、そして『PARADISE』と書かれていた。
 俺は早速その住所を調べたが、山奥で木に覆われているせいで、航空写真では何が何だか分からなかった。ストリートビューでも見られない。
 そもそも何で、こんな山奥の住所を書いて海に投げ込んだのか。気にならない訳が無い。
 俺は居ても立っても居られず、その場所へ向かった。
 きっとスマホは使い物にならないだろうと、コンパスと地図まで用意し、山の中をひたすら歩いた。
 そして、意外と呆気なくそれは見つけられた。


 ボロボロの小屋が建っていた。ドアは外れ、窓ガラスは割れ、屋根は全部落ちている。
 ドア枠をくぐり、ほとんど外と変わらない小屋の中に入った。六畳くらいしかないスペースは荒れに荒れて、森の一部と化していた。
 落ちた屋根である木を掴むと、難なく砕け散ってしまう。俺は屋根を例えではなく本当に、ちぎっては投げちぎっては投げ、しばらくして地下室を見つけた。
 今まで役立たずだったスマホを持ち、ライトで照らした。地下へは、これまた朽ちかけたハシゴが道を作っていた。屋根に守られていたおかげで、どうにか使えそうだ。
 俺は躊躇うことなくハシゴを降り、細い通路を進んで行った。

「だれ?」

 息をするのも忘れるほど全身が硬直した。まさか人がいるなんて!

「だれなの?」

 女の声だ。俺は慌ててスマホのライトを消し、外に向かって駆け出した。

「待って! 行かないで!」

 女の悲痛な叫び声など気にする余裕も無く、俺は死物狂いで走った。
 慌ててハシゴに足をかけた瞬間、それはパラパラと飴細工のように崩れた。

「嘘だろ……!」

 後ろからあの女の足音がする。俺は必死でジャンプしたが、天井の穴には指先も当たらなかった。

「お願い! 待って!」

 声はすぐ後ろで聞こえ、俺はすぐさま振り返り叫んだ。

「動くな! 誰だお前!」

 どの口が言ってるんだ、と思った。侵入したのは俺の方なのに、誰だ、なんて馬鹿げている。
 外の薄暗い明かりが声の主をぼんやり照らした。意外なことに、女はきちんとした身なりだった。
 黒い髪は毛先まで真っすぐで、白いブラウスと白いスカートに目立った汚れも無い。日本人とも外国人とも言えない不思議な容姿で、思わず見惚れてしまう。

「あ、……すいません。ちょっと……興味本位で来てしまいまして……勝手に入って……」

 しどろもどろになる俺に女は微笑んで言った。

「どうしてここが?」
「瓶に入ってた手紙に、ここの住所が書かれてたんです」
「あぁ……そうなの」

 女はフフフと笑った。

「ようこそ、パラダイスへ」

 女は俺の手を引いて、通路を進んで行く。不思議と抗おうとは思わなかった。
 どんどん下って、下るごとに寒くなり手足どころか唇まで震えだす。

「ど、どこ行くんですか?」

 震える声で尋ねても、「パラダイス」としか答えてもらえない。

 

 女が立ち止まった。暗闇の中で促され、椅子に座る。ただの木で出来た、座り心地が良いとは言えない椅子だった。

「何なんですか?」
「嬉しい……。新しい仲間が出来て……」

 辺りに不思議な灯りが灯って行く。それはペンキのような赤だったり、澄んだ青空のような色だったり、色が定まらず次から次へと変色していく灯りだったり、統一感が無かった。ふよふよと蛍のように俺の回りを飛んでいる。

「私の最後の手紙を受け取ってくれたのが、あなたで良かった」
「意味が分からないんですが……」

 俺は女に突然抱き着かれた。信じられないほど冷たくて、心臓がぎゅっと萎縮する。

「ずっと一緒にいましょうね」
「……え?」

 青い灯りが女の後ろ側にある椅子を照らした。そこには骨があった。明らかに人間のものだ。
 俺の短い悲鳴を聞いた女は、青い灯りを優しく叱った。

「ダメでしょう? 新しい仲間を怖がらせちゃ。ちゃんと謝りなさい」

 青い灯りは俺の耳元に来て小さな声で言った。

「逃ゲテ」

 女は灯りが素直に謝ったとでも思ったのか、笑顔を見せて消えて行った。スーッと、空間に溶けたみたいに。

「な……なんだそれ……」

 俺は慌てて立ち上がろうとした。しかし何故か立ち上がれなかった。

「なんだよこれっ!」

 俺は半狂乱になって立とうとしたが、どうしても立てない。

「モウ、ダメ」
「死ンデモ逃ゲラレナイ」
「ワタシタチト、同ジ運命」

 囁き声が聞こえる。それはあの不思議な灯りから聞こえた。

「逃げられない? 何でだよ? どうなってんだよ!」

 あの骨を見せた青い灯りが、俺に近づいて言った。

「逃ゲラレナイ、手遅レ。気ニ入ッタカラ」
「気に入った? あの女が?」

 青い灯りが目の前をくるくる飛んでいる。

「違ウ。キミガ、アノ女ニ心ヲ奪ワレタカラ、逃ゲラレナカッタ」

 色とりどりの灯りが集まってきて口々に言った。

「カワイソウ」
「カワイソウ、カワイソウ。死ヌマデ閉ジ込メラレタ」
「女ハ狂ッタ恋人ニ、閉ジ込メラレタ」
「助ケヲ求メタ」
「手紙ヲ落トシタ」

 灯りたちが一斉に奥へ飛んで行った。そこには小さな穴が開いていた。

「手紙ハ、穴カラ川ヘ、川カラ海ヘ」
「海カラワタシタチヘ」
「ボクタチハココニ来テシマッタ」
「バケモノガ待ツ、ココヘ」
「女ハ死ンデカラモ、助ケヲ求メ続ケタ」
「何度モ最後ノ手紙ヲ送ッタ」
「呪ワレタ。女ノ呪イ」
「誰モココカラ出ラレナイ」

 灯りたちはくるくる辺りを飛びまわり、やがて消えた。

「呪いって……」

 俺は鼻で嗤った。

 今がいつだと思ってるんだ? 二十一世紀だぞ? 平成もとっくの昔に終わったんだぞ? どこの誰とでも繋がれる現代に、呪い? 馬鹿馬鹿しくて失笑するわ。

 それでも椅子から立ち上がれない事実に、顔が引きつる。
 現実でも妄想でもどっちでも、ここから出られないことは変わらない。

「ふざけんなよ……! 俺は絶対ここから出てやるからな!」

 女に向かって宣戦布告したが、ヤツは現れなかった。


 どれくらいの時間が経ったか分からないが、無理矢理立とうとするのはやめた。体力の無駄遣いだ。
 そうしたら、もうあの灯りたちに頼るしかない。
 俺は灯りを呼んだ。非現実的でなんだか恥ずかしいが、灯りは素直に出て来た。
「どうやったら出られる?」と聞いても出られないを連呼するばかりで、全く役に立たない。

「……じゃあ、その狂った恋人は? ここにいるのか?」

 灯りたちはざわざわと明らかに今までと違う反応を示した。

「どこにいる?」
「イナイ。殺サレタ」
「女ガ殺シタ」

 じゃあ、なんで未だにこんな所に閉じこもってるんだ? と疑問が湧く。恋人がいないならさっさと逃げれば良い。

「あれ……? 死ぬまで閉じ込められたんじゃないのか?」
「ボクタチ閉ジ込メラレタ」
「死ンデモ出ラレナイ」
「お前らの話かよ」

 俺は脱力して項垂れた。その時、フフフと女の笑い声が聞こえた。目の前にスーッと現れた女はさっきと同じように優しく微笑んでいた。

「仲良くしてくれて嬉しいわ」
「……あんた、さっさとここから出ろよ。恋人がいないならもう出られるだろ」
「出る必要は無いわ。ここはパラダイスなのよ?」
「恋人にそう言われてたのか?」

 洗脳されて、それが未だに解けていないのかと思った。しかし、女は微笑むだけで何も言わない。
 どこかにあるはずだ。ヒントが。ここから出るヒント……。

「パラダイス……。あんたもしかして、キリスト教とかか?」

 女の表情が固まった。その顔を見て、納得した。

「天国に行けないかもしれないから怖いのか。だからここをパラダイスって言ってるのか」

 PARADISEには楽園以外に、天国と言う意味もある。この女はずっと天国を求めていたんだろう。

「監禁されて殺しちゃったなら許されるんじゃねえの? それぐらい憎かったんだろ。宗教なんて詳しくないけど」
「あんたに何が分かるのよ!」

 周りにいた灯りたちが一斉に消えた。女の体全体が赤く光って、怒っている事を明白に主張していた。殺されるんだろうな、と変に冷静になっている自分がいる。現実感が無さ過ぎてなのか、女が引くほど激怒してるからなのか、それとも単純に疲れたのか。俺の感情は、穏やかに凪いでいた。

「分からないけど、もう十分苦しんだだろ」

 こんな化け物のような様相になるほど、自分を責めたのかと思うと同情する。
 その時、ふと体が軽くなって立ち上がることが出来た。
 俺は迷うことなく、正面の椅子に乗っていた頭蓋骨を力いっぱい踏み抜いた。バキバキと音をたてて、骨は椅子と共に粉々になった。

「あんたは誰も殺してない。殺したのは俺だ」

 俺は原型が無くなるくらい、しつこく骨を砕いた。

 

 遠くで轟音が鳴り響き、我に返った。俺は慌てて辺りを見回したが、そこには女も、灯りたちもいなかった。
 スマホのライトを照らしながら通路を進むと、出入口の穴が大きく開いていた。上の小屋がそのまま崩れてしまったようだ。
 俺は瓦礫の山を登り、なんとか外に出ることが出来た。


 今時、心霊体験なんて子供でも信じないだろう。
 誰にも言うつもりは無いし、自分でも半分以上夢だったんじゃないかと思う。
 でも、あの瓶に入っていた手紙の文字が『Thank you』に変わっているのを見たら、現実だったのかもしれないと思った。

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