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子=「個」の親になって知ったこと

子供は子供で私ではなく、別の個性と個体を持ち、違う人生を歩んでいくのだという距離は相変わらず気持ちの中にあるし、この気持ちは大切にしたい

さくらももこ『そういうふうにできている』

今月初めの週末に長男が1歳になり、自宅に両家じじ・ばばで集まってお誕生日のお祝いをすることができた。息子は最近お気に入りのNHK『いないいないばあっ!』のキャラクター・ワンワンの音の出る絵本(近所のコンビニで発見)をプレゼントにもらって、しきりに「わんわん!わんわん!」と嬉しそうだった。ちなみに現在の彼の語彙は「わわ(ママ)」「ヴぁヴぁ(パパ)」「わんわん(犬・ほか毛の生えた生き物全般)」と、随分ワンワンが食い込んでいる。あとアンパンマン(「わんわんわん」)も。
生まれてまだ1年ながら、この世に好きなものができて、彼なりに世界が作られているのは素敵だ。

赤ちゃんが最も発語しやすい単語を固有名詞にしてしまったワンワン、ずるいなぁNHK。
民放代表の赤ちゃん番組『シナぷしゅ』のTシャツを着せてしまったのは偶然でしゅ。

子どもがまだお腹にいる頃、最初は自分の体調の変化のほうに気を取られていたし、本当にいるのか実感も湧かない数ミリのミジンコのような生命体を、ただつぶしたり壊したりしないよう慎重に取り扱うように過ごしていた。
夫が妊娠の記念に買ってくれた、妊婦のバイブル『たまごクラブ』雑誌の付録に「おなかの赤ちゃんへの読み聞かせ絵本」がついてきたのだが、当初はその中の「赤ちゃん、大好きよ」というセリフに違和感を覚えた自分がいた。
見えない相手に向かって声をかけるとか、対面する前から「大好きよ」なんて呼びかけるなんて、まるでファンタジーの発想じゃないか。会ったこともない相手に好きだなんてどうして言えるの?と、正直ドライな感覚が自分の中にあって、親としての愛情が足りないのかと軽くショックを受けた。

それが、妊娠線予防のために購入したAMOMAブランドのマタニティオイルについてきた冊子を読んでハッとさせられた。
赤ちゃんは12週目には大人並みの触角が出来ていて、羊水の動きや手の温かみを感じられます
小さくても発達途中でも、ひとつの個として独自の感覚が備わって生きているのだという認識をそこで初めて得たように思う。

それからというもの、毎日のお腹のオイルマッサージの時に、胎児への語りかけも始めてみた。そういえば、中高生の頃はペットの鶏を我が娘のように可愛がっていたし、(長い)独身一人暮らしで家では「しろたん」のぬいぐるみ”くーちゃん”に常に話しかけるような生活を送っていた。鳥獣や無機物とさえコミュニケーションできていた私にとって、同種の人間――しかも、本当の自分の子ども!――に話しかけるなど、慣れれば全くわけないことだった。
夫の好きなディズニーのキャラクターから「チップたん」とあだ名をつけて、「チップたん、今から⚪︎⚪︎行くよー」とか「おやつにチョコ食べるよ。おいしいね〜」「ママ疲れちゃったから休むね」などと、胎内の我が子に日々できごとや気持ちを実況中継をするようになった。ことあるごとに腹に向かってブツブツつぶやく姿は、側から見ると相当怪しいヤツだったに違いない。

「チップたんはお腹の中で退屈じゃないかな」と、胎児に微妙な気遣いまで発揮し、胎教というわけではないが(クラシックだと自分が眠くなってしまうので)音楽アプリ「Spotify」で英語の子ども向けソングを在宅勤務中に流しては、休憩中に一緒に歌ったりお腹をポンポン叩いて踊ったりしていた。
ちなみに「Sing Along」というチャンネルで、ディズニーからオーストラリアの子供向け音楽グループThe Wigglesの曲までポップで楽しい曲が多くて、気怠い妊娠生活の気分転換にもなった。

そんな時、日経レビューに出ていた『3000万語の格差』という本を読んだ。アメリカの小児外科医の著者が、子どもが3歳までに主に家庭で浴びる言葉の量や内容によって脳の発達に影響が出るという研究をしていて、脳の完成する4歳までに肯定的なほめ言葉や語りかけ、「I love you/大好きだよ」といった愛情深い言葉をたくさん伝えられた子は、そうでない家庭に育った子と比べて、学力の前の基礎である言語処理能力に差が出るのだという。また、日常的に強いストレスを浴び続けると、前頭前野の発達に影響を受けて将来的にストレス対処能力に問題が出ることも知った。「心の発達」というと目に見えない抽象的な印象があるが、「脳」というのは科学的な事実をもって訴えかける内容だった。(虐待の連鎖の原因はこういうところにあるのかも・・と思ってしまった。)
生まれる前の赤ちゃんだって、耳が聞こえているのなら同じように影響を受けるはず――と信じた私は、日本胎内記憶教育協会なるもののウェブサイトも読みあさった。すると、胎内記憶を持つ子どもが語る興味深いエピソードをいくつも見つけて、日々の語りかけにますます弾みがついた。

そんなこんなで、胎動を感じ始める頃には私の中ですっかり「チップたん、大好き」が板について、お腹をなでながら毎日何度も伝えていた。
植物や水だって「ありがとう」などといった言葉をかけると育ちがよくなったり甘くなったりするというが、声掛けをするたびになんとなくお腹がほわんとあったかくやわらかくなる気がした。

そうして、初めに感じた自分の中の違和感の原因もわかった。
これまで生きてきた中で、恋愛や人間関係でも私たちは相手を「好き」かどうかの基準を、たとえば何かしてくれるとかうれしい言葉をかけてくれるからとか、または性格のいい人だからなどという条件づけで決めることが多かったのではないか。それに、自分が育つ過程でも、愛とは”いい子”でいると褒められるといったような、よい行いをすることで得られる対価・報酬のようなことがすりこまれていったように思う。

だが、本来「愛」とは、その人がどんな人であれ、その存在そのものを愛する・愛しく思うことなのだ
それは、盲目的な愛というのとは少し違って、あくまで独立した一人の個人として認めたうえで、丸ごと受け入れるという真っ白いピュアな感覚だった。
そのことに子を持ってみて改めて気づかされたし、自分の中にも芽生えたことがうれしかった。親としての成長の第一歩だったかもしれない。

そんな風ににぎやかな胎児期を過ごして生まれてきた「チップたん」こと息子は、親バカかもしれないが落ち着きがあって訳がわからず泣くということはなかったし(入院中は一時期おしゃぶりが欠かせなかったが)、2ヶ月ぐらいからニコニコして、おもちゃや絵本などじっと見つめていた。会う人には十中八九「おだやかで愛想がいい」と言ってもらった。生まれ持った気質など色々な要因があるかもしれないが、母親の私はお腹への語りかけが大きかったのではと密かに自負している。
これからこの世で生きていく中で、この子にも親としても色んなチャレンジがあると思うが、存在そのものを受けとめる感覚を忘れずに一緒に成長していきたい。

生まれる前のことでページが埋まってしまった。生まれてからのことはまた次回書いていけたらと思う。

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