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Dはデブルイヤールのことで、頭が柔らかく、とっさの判断に優れ、機略に満ち、どんな苦境にあっても乗り越えていける人を指す

保己一は、目が見えないから人より集中できると考えたといいます。あの三重苦の聖女と呼ばれたヘレン・ケラーが尊敬し目標としたのが、この塙 保己一 ───臨済宗大徳寺派香林院  金嶽宗信住職(著書名失念)

そんなヘレンを教育したのが、家庭教師として派遣されてきたアン・サリバンです。サリバンも子どもの頃は弱視でした。サリバンは自身の経験を活かし、ヘレンに指の形で文字の存在を教え、物にはそれぞれ名前があることを教えていきます。例えば、ヘレンがケーキを食べると、ヘレンの手を握って指でアルファベットの形をつくり、C、A、K、Eと教えます(中略)そうしてヘレンは 〝KEY〟(鍵)や〝WATER〟(水)などさまざまなものの名前を教わっていきます。しかし、ヘレンは、「それぞれの物に名前がある」という 〝意味〟まで理解していたわけではありません。鍵に触れたら指でK、E、Yの文字をつくる。水に触れたら指でW、A、T、E 、Rの文字をつくる。それをただフィンガーゲームのルールのように認識していただけでした。ところが、あるとき、ヘレンとサリバンが井戸で水を汲んでいたとき、ヘレンは手で水に触れると突然〝WATER! WATER!〟とサリバンの手を取り手のひらに指で書き始めます。そのとき、ヘレンの中で「それぞれに物に名前がある」という〝意味〟がわかったのです。物と名前の関係という巨大なゲシュタルトが突然できたのです(中略)バラバラだった情報がつながり、ゲシュタルトができるという体験は、このシーンのヘレンのように大きな歓びを伴うものです。これを引き起こしたアン・サリバンは後にMIRACLE WORKER(奇跡の人)と賞賛されます。このように我々コーチの仕事はスコトーマに隠れていたクライアントのゲシュタルトの発見を促し、さらに新しいゲシュタルト構築をお手伝いすることです。

ケーラーはゲシュタルト心理学の創設者の1人だ。人間の精神活動は、個々の要素の集まりとしてではなく、全体のまとまり(ゲシュタルト)として研究をして初めて理解できる、という考え方である(中略)複数の視点から全体をとらえる。部分を知ることによってこそ、全体を理解できる。また、全体像を俯瞰することで、個々の部分を違った視点から理解できる(中略)フランスの科学者で数学者のアンリ・ポワンカレは、1913年の著書『科学と方法』(岩波文庫)の中で、良いアイデアを生み出す方法をこんなふうに説明した。「発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない有用な組み合わせをつくることである。発明とは見抜くことであり、選択することなのだ」(中略)ひらめきを生み出すには、新しいアイデアをつくる情報の断片が、記憶の本棚にたっぷり詰め込まれている必要がある(中略)最高のアイデアが生まれるのは、タスクに取り組んでいる最中だ(中略)分解それ自体がアイデア創出の行為(中略)有効な部分を抽出し、それらの新しい使い方を模索(中略)課題分解の作業は、思った以上に時間と思考、調査を要する取り組みなのだ(中略)異なる価値観にさらされた人は創造性が高い(中略)あなたの発想のもとになるのは、あなたが学習したことの蓄積だけなのだ(中略)多様な文化を理解する人は、柔軟で開かれた心を持っているから、創造性が高い

オキシトシンは普遍的な愛情ホルモンではない。偏狭なホルモンだ↓
国民を結束させるようふるまうべきメディアは、逆に私たちを引き離す役にしか立っていない↓

内集団の偏狭さに関する広範な問題(中略)集団内と集団間の攻撃レベルには逆相関がある。つまり、近隣集団ときわめて敵対的な関係にある集団は、集団内の対立がきわめて少ない傾向がある。あるいは逆から見ると、内部対立レベルが高い集団は、そちらに気をとられているので、他集団への敵意に集中することができない(中略)フランスの被差別民であるカゴについて考えよう。彼らに対する迫害は一一世紀に始まり、二〇世紀まで続いた。カゴは村の外に居住し、独特の服を着て、教会では別の席にすわり、単純労働をしなくてはならなかった。それでも、外見にも宗教的にも言葉にも名前にも差はなく、なぜ被差別民だったのか誰も知らない(中略)カゴを識別する方法も、誰も知らなかった。カゴはフランス革命のとき、自分たちの身分の証拠を破棄するために、庁舎にあった出生証明を燃やした(中略)最悪の樽もすべてのリンゴを腐らせるわけではなく、「レジスタンス」や「英雄的行為」は案外、達成可能であり、高度でも特別でもない。「これは絶対にまちがっている」と考えているのが自分だけであることはまれだ(中略)問題は数個の腐ったリンゴが樽全体をだめにするおそれがあることではなく、悪い樽がどのリンゴも腐らせる恐れがあることなのだ(中略)多種多様な社会経済的地位を平均すると、裕福な人ほど、苦境にある人への共感を報告することが少なく、思いやりある行いをすることが少ない。さらに裕福な人ほど、他者の感情に気づくのが下手(中略)(運転している車の価格で評価して)裕福な人のほうが貧しい人より、横断歩道で歩行者のために停止する率が低い(中略)メンタライジング(他者の心的状態を推論する)経路がとりわけ確実に活性化するのは、「もしこれが自分に起こっていたらどんな感じか」に集中することから、「彼らにとってどんな感じのはずか」に集中することに切り替えるときだ

あらゆる種類の迷信と儀式を否定したアンベードカルにとってとくに重要だったのは、仏教が無神論に近い宗教だったことだ↓

不可触民を最低の社会的奴隷から〝人間〟の位置に引き上げたのはガンジーなんかではなく、アンベードカルなのです。この事実を隠すために支配階級は全力でアンベードカルの存在を無視

フランスにはジュガード・イノベーションを表す「システムD(デ)」という表現がある。Dはデブルイヤールのことで、頭が柔らかく、とっさの判断に優れ、機略に満ち、どんな苦境にあっても乗り越えていける人を指す。システームDは、フランスの悪名高い官僚主義に負けず、独創性と機転によって新たな企業を創設する起業家を称える言葉(中略)そもそも起業家(アントレプレナー)という言葉はフランス語

一七四八年に、スコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームが「奇跡論」という論文を書いた。この中でヒュームは、たとえこの目で見たという証人がいたとしても、奇跡が本当に起きたことは証明できない、と述べている(中略)ヒュームの念頭にあった「奇跡」とはもちろん、キリストの復活だったが、賢明な彼はそれをはっきりと言葉にしていない(その二〇年前には、トマス・ウールストンがまさにその主旨のことを書き、神を冒涜したとして投獄されている)。


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