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神とは、君主不在後もその集団の崩壊避けるために時の権力者により創作されたもの

絶対神を信じている人は、すべてのものを神の創造物と見ます。「宇宙のすべては神の創造物」という見方で見れば、たとえば、いま目の前にある一つのものも宇宙を創り出した神とつながるものになる。つまり、結果として「一念三千」と相通じる「ものの見方」となるのです。「中観」との違いは、神はアプリオリの存在を大前提とするか否かです。 ただし、中観も別に神を否定するわけではありません。神はいてもいいけれども、それもまた縁起の一部である、というだけのことです(中略)大乗的な悟りに至れば、その人は立ち上がって教えを説くでしょう。釈迦も、菩提樹の下で悟った後に、立ち上がって悟りを教え始めました。教えはじめるまでに、「どうせ教えても他人には理解できない。悟りは自分だけの喜びとしておこう」といったんは考えたものの、現れた梵天に請われて立ち上がった、という伝説も残っています(梵天勧請)(中略)しかし、最終的には立ち上がって教えはじめた釈迦は、大乗的であったということができます。日本の仏教でも、親鸞などは実際に教えを説いて歩き、殺されかかっていますし、やはり殺されかかった日蓮、島流しになった法然なども、社会の中で機能を果たしたからこそ敵に狙われたのでした(中略)わかりやすくいうと、まずは小乗の悟り、つまり「縁起」の悟りがあるのが当たり前で、その後に何をするかが重要だという考え方をするのが大乗の悟りだということです。 何度もいうように、いまは小学生でも悟れる時代です。悟っただけでは偉いとはいえません。だからこそ大乗の悟りが重要なのです。「この世界には実体があると思っているけれど、心が生み出している存在にすぎない。それは縁起の結果である」という小乗の悟りは、小学生のうちに済ませて、そこからはいかに社会の中で役割を果たすか、という大乗に向かうべきです。 役割を果たすということは、端的にいえば、自分のことだけを考えない。ということでもあります───苫米地英人博士(著書名失念)

ブッダが梵天の意を酌んで考え直したのは、万人が甚深微妙(じんじんみみょう)な悟りの内容を理解できると希望が持てたからではなく、あくまで少数の「耳を持つ」者ならば理解できるという希望が湧いてきたからです。これは文脈上明らか↓

なぜわたしは無神論者なのか(中略)神が世界を作ったのだ、と説明する人を好まない。なぜなら、この世界がどこから来たのかを知る人はどこにもいないと思っているから(中略)スティーヴン(※ホーキング)は、若い頃にイギリスの偉大な数学者ロジャー・ペンローズと力を合わせて、アインシュタインの理論によれば宇宙は「ビッグバン」で生まれたはずだ、ということを示してみせた。ビッグバンとは、もはや相対性理論が機能しない特異点のことだ(中略)ペンローズとホーキングの定理によると、そのような単純化は必ずしも必要でない。ということは、ビッグバンは大いにありうることなのだ(中略)ペンローズは、十分な量の物質が凝縮されれば必ずブラックホールが形成されることをすでに示し、これらの予測を後押ししていた。そこでスティーヴンは、ペンローズの手法を使って宇宙の始まりを調べてみたらどうかと考えた(中略)今挙げた問題は、未だにどれも解決されていない(中略)スティーヴンは、いかなる形であろうと死後も人生が続くことはない、と確信していた。多くの科学者と同様、彼も何かを強調するために好んで「神」という言葉を使ったが、実際には極めつけの無神論者だった。これは曖昧でもなければ不確かなことでもなく、本人が躊躇うことなくはっきりとそう述べていた。※引用者加筆.

理神論(神を疑う。ユニテリアン)の段階を経ないと、無神論(atheism、唯物論、マテリアリズム)の思想に行き着けない↓

アンベードカルにとってとくに重要だったのは、仏教が無神論に近い宗教だったことだ↓

ビッグバンのあとまだ立っていたら、生き残ったことになる↓

宇宙は最大の膨張段階に到達したのち、ひとりでに潰れ始め、最後には一種の逆ビッグバンを起こして再び大きさゼロに帰る。この時間反転したビッグバンはときにビッグクランチ(大壊滅)と呼ばれている(中略)アインシュタインは1917年に宇宙定数を導入したが、1931年にはそれを取り下げ、前にそれを導入したことを自分の「最大の誤り」だと述べた。

宇宙が終わりを迎えるシナリオの一つとして考えられるのが、すべての物質が最終的に超重ブラックホールに飲み込まれてしまうというもので、このシナリオをビッグクランチと呼ぶ

仏教(というより、インドの旧来の宇宙観)では、世界は縮小と膨張を繰り返す動的な状態とされている。これは最新の物理学における、「ビッグ・バン」と「ビッグ・クランチ」という概念に非常に近いものだ(※ビッグ・バン理論→ユダヤ教・キリスト教。ビッグ・バン理論とは、玉突き的に因果が起きて現在まで来た)※引用者加筆.

アビダルマ仏教哲学では、「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている」↓
神々とは、最初の社会的人間が発揮した、(※君主不在後もその集団の崩壊避けるための)意志の力↓

著名な生理学者のアントン(アジャックス)・J・カールソンは、ローマ法王ピウス一二世が一九五〇年の聖座宣言として(つまり絶対に誤りのないものとして)聖母マリアは生きながら昇天したと宣言したことについて意見を求められ、次のように答えたと伝えられている。自分はその場に居合わせていたわけではないのではっきりとしたことはいえないが、高度一万メートルで気絶したのは間違いないはずだ、と。この件に関しては、触らぬ神に祟りなしなのだろうか。否定するのではなく、とにかく忘れるべきなのだろうか。どのみち、世界の大多数の人々はどうにかうまくやっているようだ(中略)信仰は、本来は善良な人々に悪い行いをさせる一因である(中略)「神は私たちの信仰をためしておられる」「神には神秘的な力がある」というのは説明にならない。スイスの心理学者カール・ユングがかつて言ったように、問題のなかには、解明不可能で、とにかく「卒業」するしかないものもある。

あなたは神を信じますか? アインシュタインは次のように答えた。「私は、スピノザの神を信じます↓
彼の行動から得られるこの教訓こそが、科学が明確に示し得るもっとも深く明晰なメッセージ

ジョルジュ・ルメートル。名字の「ルメートル」は「達人」を意味するフランス語と同じ音だから、いかにも彼にふさわしい名前といえる(中略)宇宙は膨張している。どうすれば、この問題の白黒をつけられるのか。ルメートルは、遠くの星が発する光を観察すれば決着がつく、ということに気がついた(中略)そして彼は、星雲からの光が実際に赤みがかっていることを突き止めた(中略)ルメートルはこの発見をあるベルギーの無名の科学雑誌〔ブリュッセル科学協会紀要〕にフランス語で発表したが、その記事に目をとめた者はいなかった。数年後、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが、ウィルソン天文台の巨大な望遠鏡を用いて複数の星雲を調べ、それらの星雲がきわめて遠くにあって、猛烈なスピードでわたしたちから遠ざかっていることを突き止めた。宇宙はほんとうに膨張していたのだ! さすがのアインシュタインも、ルメートルが正しかったと認めるしかなかった(中略)宇宙が膨張しているとすると、最初はひじょうに小さかったはずだ。ルメートルはこの最初の状態を、「原始的原子〔始原原子とも〕」と呼ぶことにした。今でいう、ビッグバンだ(中略)そして一九五一年一一月二二日、教皇ピウス一二世は一般向けの講話でこの理論について延々と語った(中略)教皇の主張の核には、ビッグバンの理論があった。「ゆえに、天地創造は時間のなかに存在した。したがって創造主も存在した。よって神は存在する!」。ルメートルはこの発言を快く思わなかった。ヴァチカンの科学顧問とは密接に連絡を取っていたので、教皇を説き伏せるべく、すぐにヴァチカンに向かった。このような主張は今後いっさい差し控え、神よる創造と宇宙論が繋がっているかもしれない、といったことは決していわないようにしてください、と(中略)ピウス一二世は納得し、二度と一般の人々に向けて自説を語ろうとしなかった。ビッグバン理論を神の存在を裏付ける証拠にするという着想は、アメリカ合衆国のいくつかのプロテスタントの宗派で再び姿を現しているが、もはやカトリック教会はビッグバンには触れていない(中略)宇宙は激しく収縮してから再び膨張したのかもしれない(中略)ルメートルがわたしたちに教えてくれること───おそらくその偉大さの最大の秘密───は別のところにある(中略)謎はつい最近、ようやく天体物理学者のマリオ・リヴィオによって解き明かされることになった(中略)(※一九三一年)編集者宛の(※ルメートルの)自筆の手紙のなかで、自分が入手できたデータよりハッブルのデータのほうが優れている、だからすでに新たなものに置き換えられているあまり正確でないデータには触れなくよい、と指示していたのだ。いいかえれば、ルメートルは発見者としての名誉には関心がなかった。個人として認められることではなく、真実を確立することが重要だったのだ。ビッグバンを初めて見抜いた人物、教皇やアインシュタインを説き伏せたこの人物は、自然に対する好奇心はあっても、自身のエゴには関心がなかった。思うに、彼の行動から得られるこの教訓こそが、科学が明確に示し得るもっとも深く明晰なメッセージなのだろう(中略)ルメートルは宇宙論と宗教を分けておこうと四苦八苦していた。彼のおかげで、カトリック教会はほかの宗派と違って、創世記で語られる天地創造の物語とビッグバンを結びつけるという罠に落ちずにすんだ、と私は思っている。※引用者加筆.

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とは「未来に戻る」という意味の英語表現です。


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