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同じ年、アントニ・ファン・レーウェンフック、そしてベネディクトゥス・デ・スピノザが、同じ国に生を享けた

ミケランジェロのダビデ像は有名ですが、うしろ側を見る人はあまりいません。顔が二枚目なので、前ばかり見ます(中略)ゴリアテに投石機で立ち向かったダビデ(中略)右手には何かを持ち、どこかを見ています。一見、お風呂上がりのような感じがします(中略)実は、ゴリアテという巨人を倒すために、左肩からうしろにタオルのような投石機を持っているのです。見た目はタオルです。その先っぽに、石が入ります(中略)ダビデは、力はないけれども、石を当てるスピードで勝ちます。能力ある力の大きいものに対して勝てるのは、スピードしかありません(中略)スピードで、自分より能力ある相手に勝っていけばいいのです。スポーツの醍醐味は、能力のある相手に、能力で劣っている側が勝つことです。強いほうが弱いほうを負かすなら、見ていてせつないゲームになります。ジャイアントキリング(番狂わせ)が起こるから、「おお、すごい」と思うのです。

ソロモン王については、考古学者らの最近の研究により、その王国が現実にはさほど大きくもなく、さほど栄華に満ちてもいなかったことが判明したが、彼は実際、ダビデ王の長男ではなかった↓

古代ローマ軍の兵士は、投石器の犠牲になった兵士から、めりこんだ石を取りのぞく石ばさみを携帯していたという。たとえばメジャーリーグのピッチャーが、自分の頭めがけてボールを投げてくるところを想像してほしい。投石器の威力はおおよそこんなところだ───しかも飛んでくるのはコルクと革でできた野球のボールではなく、固い石(中略)ダビデが革製の投石器から放った石は、ゴリアテの無防備な額に命中する。不意を突かれたゴリアテはその場に倒れた。すかさずダビデは駆けよってゴリアテの剣を奪い、ひと振りで巨人の首をはねた(中略)弾道学の専門家エイタン・ヒルシュは、熟練者が三五メートル離れたところから平均的な大きさの石を発射すると、時速一二〇キロメートルの速さに達すると計算した───額に命中すれば頭蓋骨にめりこみ、即死か意識不明だ(中略)ヒルシュはこう記している。「ダビデが投石器を構えてからゴリアテを倒すまで、一秒強だっただろう。その場にじっと立っていたゴリアテが、石をよける時間はなかっただろう」(中略)こちらに走ってくるダビデを見ながら、最初はせせら笑っていたにちがいない。しかし、これは自分が予想していた戦いではないことに気づくと、驚き、そして恐怖が彼の心を支配したのだろう。

レンブラントとスピノザが会ったという証拠はないが、重なっている時期(レンブラントが生きたのは一六〇六〜六九年、スピノザは一六三二年〜七七年)から判断して、会えたことはまちがいない(中略)レンブラントがスピノザの肖像画を描いたことがわかればすばらしいのだが、その形跡はない。 言い伝えでは、レンブラントは 『サウルとダヴィデ』の中でスピノザそっくりさんを使っているとされる。 レンブラントはスピノザがシナゴーグから追放されたころ、このサウルとダヴィデを描いた(中略)もっと重要なことは、スピノザがダヴィデとして───つまり、小さいが思いもよらず強く、ゴリアテと不愉快なサウルをやっつけることができ、またみずから王になることができる人物として───再創造されたのかもしれないということだ

カミーユ・ピサロ、カリブ海のセント・トーマス島に生まれたアナーキストであり改宗ユダヤ人マラーノの末裔(中略)画家として名を上げれば上げるほど、本来の名が招き寄せる「重大な結末」が、彼には不気味に予感されるものとなっていった(中略)当時の不穏な状況の中で高まろうとしていた反ユダヤ主義にあったというしかない。ピサロには、それが沸々と台頭し、パリの街路に「ユダヤ人殺せ!」という叫びが吹き抜けてゆく光景が予感できたのかもしれない(中略)隠れユダヤ教徒の血を受け継ぐ者にとって、カトリックはいうまでもなく、信じることができるはずのユダヤ教でさえ否定すべきものとなったとき、最終的には唯一「自然」のみが、「もっとも美しい生活」への困難な道のりを明るく照らす「賢明で公正な案内者」となった(中略)とにかく死ぬまで宗教否定の彼の信念は変わることはなかったのである(中略)アムステルダムのユダヤ教会から破門された哲学者バルーフ・スピノザ(中略)(※ピサロ)は、警戒心によって、「ユダヤ人」としてのアイデンティティを他者の国籍に潜ませるためにこそ、「わたしはデンマーク人なのだ」と、強く断言しなければならなかったと考えられる(中略)(※ピサロは)子どもたちに対し、フランス国籍ではなく、デンマーク国籍を取得するよう、しきりに説得しつづける(中略)フランス国籍よりも、デンマーク国籍のほうがむしろ安全であると、そうピサロは判断していたことを明らかにしている。というのもデンマークとは、カトリックと戦ったプロテスタントの国として、ユダヤ教徒に寛容を示した数少ない国の一つであった ※引用者加筆.

カミーユ・ピサロ。引用者撮影↑

ダマシオはオランダのハーグとレインスブルフに、啓蒙主義の哲学者スピノザの住まいを見にいった(中略)ダマシオはスピノザについてもっと知りたかった。スピノザはポルトガル系のオランダ人だ。両親はユダヤ人で、改宗を強いられまいと、故国ポルトガルでの異端審問を逃れてきたのだ。ダマシオ自身、ポルトガルの生まれなので、ごく自然にスピノザに親しみを覚えていた。

一四九二年以降、スペインのセファルディム系ユダヤ人は大勢ポルトガルに脱出した。そのころまでポルトガルがユダヤ人を扱ってきた平和的な方法に魅せられ、ある計算によれば一〇万人以上が国境を越えた(中略)セファルディム系ユダヤ人の中には、〈マラーノ〉になった者もいる(中略)行動ばかりでなく思想も隠さねばならないという事実は、大人たちの頭にはこれまでないことであり、スピノザはそういう大人たちの中で成長していった。ストイックな姿勢は、マラーノのもう一つの遺産である(中略)スピノザは生き延びた(中略)スペイン語の〈マラノス〉からきたマラーノという言葉は、単純な軽蔑(「豚のような」という意味)、知的な侮蔑(不完全とか不履行という意味)、双方の意味をもっている(中略)マラーノはしばしば名前を変えた(中略)身を守るためということもある。

フェルメールは1632年、オランダに生まれた。奇しくも同じ年、アントニ・ファン・レーウェンフック、そしてベネディクトゥス・デ・スピノザが、同じ国に生を享けた(中略)ある宗教家からこう問われた。あなたは神を信じますか? アインシュタインは次のように答えた。「私は、スピノザの神を信じます(中略)レーウェンフックとフェルメールがこの小さい街で、互いに親しい同い年の友人であった可能性が指摘されている。絵を依頼したという推測だけでなく、フェルメールの死後、レーウェンフックはフェルメール家の遺産管財人に指名されその執行を行った公式記録が残っている。

フェルメール、『地理学者』(引用者撮影)↑

レーウェンフックはオランダのデルフトで生まれ、父親は、デルフトの有名な青と白の陶器を世界中に輸送するための梱包用の籠を作っていた。母親は、やはりデルフト特産のビールを造る一家だった。アントニは一六歳で衣服商の会計簿記係の仕事に就き、一六五四年に布地やリボンやボタンを売る店を開いた。そしてすぐに、それとは関係のないもう一つの職業にも就いた。デルフト市議会議事堂の会計係である。レーウェンフックは大学にも通わなかったし、科学の言語であるラテン語も知らなかった。また九〇歳を超えて長生きした(中略)レーウェンフックはニュートンと同じく「他人からの反論や酷評」を避けるために、誰にも顕微鏡を覗かせず、手法もほとんど極秘にした。長い人生のあいだに五〇〇枚以上のレンズを作ったが、その作り方はいまだよくわかっていない(中略)(※レーウェンフックは)王立協会に注目されたことに恐縮し、自分の研究には不十分な点が見られるかもしれないとして、あらかじめ次のように詫びている。「これは、誰の手助けも借りずに私自身の衝動と好奇心から導かれた結果です。というのも、私の町にはこの学問を実践する哲学者が私のほかには一人もいないからです。そこで、私の文章の拙さと、私がとりとめのない見解を勝手に書き連ねていることに、気を悪くなさらないようお願い申し上げます」※引用者加筆.

フェルメール『天文学者』引用者撮影↑

この絵で、もっとも不思議なことは何だろうか。それはこの “天文学者” のまわりに配置された小道具が、実に正確無比に描かれており、いかにも天文学者風の持ち物ではあるけれど、どれも決してほんとうの天文学者の持ち物ではないということである(中略)では、いったいこの偽・天文学者はいったい何者なのだろうか。なぜ、フェルメールはこんな人物を、数々のいかにもそれらしい品々とともにここまで精密に描いたのだろうか(中略)ここに描かれたのは天文学者でも、ほんものの地理学者でもなかった。しかし描かれたのはほんものの学者にまさるとも劣らない知識への情熱を一生涯抱き続けた偉大なアマチュアだった(中略)この絵に描かれた品々があまりにも趣味的で古びたものであることから、偉大なる科学者レーウェンフックに似つかわしくないとする考え方がある。しかし、むしろそれゆえにこそ、私はここに描かれた人物がレーウェンフックだと確信するのである。なぜならレーウェンフックは、プロの科学者でもなければ、正規の教育を受けたわけでもなく、ただ一心にその全生涯を探求に費やした偉大なるアマチュアだったからである(中略)(※土星の輪が)実は細い隙間を持つ美しい薄い多重リングであることを示したのは、ジョバンニ・カッシーニ(1625〜1712年)という人物だった。ちょうどフェルメールがこの絵を描いてまもなくのこと。今日土星の輪の隙間は、彼の名を冠にして、カッシーニ・ギャップと呼ばれている。※引用者加筆.

アマチュアという言葉はラテン語の〈amatory〉に由来し、恋人、献身的な友人、目的追求に熱心な人という意味がある。語源からいえば、アマチュアの意味は、何かを好きでやる人のことなのだ。アマチュアは生活のためではなく、情熱のためにやっている(中略)『どれだけ犠牲を払えるか』ということに帰結

共通の目的に向かって力を合わせることで、喜びや興奮を感じるのだ(中略)人間の白目が大きいのはそのためで、アイコンタクトによるコミュニケーションがしやすくなっている。

フェルメール、レーウェンフック、スピノザ、レンブラントの4人が主役の長編小説もいいかもしれない。

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