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「抽象度が低いと感情に支配される」のはなぜでしょう? 賢明な皆さんはすでにお分かりかもしれませんが、抽象度の低い人は、視点が低い

メタファーとイメージの最も目覚ましい組み合わせが芸術(中略)メタファーというのは、「上方」を意味するメタと「向こう側に運ぶ」という意味のフェイレンの二つのギリシャ語を結びつけた言葉である。メタファーは同時に把握された複数のレベルという意味を持つ(中略)先見性のある人とは、芸術や科学の分野で新奇なパターンに気づく人だ(中略)だからこそ、科学者はエレガントな方程式について語り、芸術家は現実の構成要素を無数の新しいパターンに再編成することによって、わたしたちに世界を新しい見方で見せることができるのだ。

セザンヌ 引用者撮影

セザンヌはグループ展には何点か出品したが、それ以外には、モンマルトルで画材店営む風変わりなタンギー爺さんに預けていた作品ぐらいしか、他人が見る機会はなかった。1900年に『セザンヌ礼賛』を描いた画家のモーリス・ドニは、1890年頃初めてタンギーの店を訪れたとき、セザンヌは何か他の研究のために偽名を使う謎の人物のように思えたと言う。

セザンヌ 引用者撮影

心のトレーニングの第一段階は観察である。長期的な目標は、熱心に詳しく観察して、通常は気づかないことを観察できるようになることだ。しかし画家たちが一九世紀のパリで印象派を始めたときのように、ゲシュタルト(全体の相貌)を皮切りとしてもよいだろう。

現場についての的確な情報や知識がないと正しい判断ができない時代が来たのである。言い換えれば、「全体像を知るためには、現場の細かい情報が必要」だということだ。そして逆に、現場の細かい情報を理解するには、全体像を知っておく必要もある。

医者は症状を和らげるのが精一杯で、被曝した臓器については打つ手がない。

「引き寄せの法則」(中略)信頼できる誰かを探しちゃダメってこと。信頼できる情報なんてなかなかないわけだからね。となったら、たくさんの情報にあたって自分で分析するしかないでしょ(中略)信じるってやってたら、100%騙されるよ(中略)だから、幸せを引き寄せられない。要は情報量が少ないんだよ。で、もっと危険なのは自分の情報量が少ないことにすら気付かない人たちね(中略)権威ある言葉を発している人たちの利益がなにかってことをちゃんと見ないと不幸を幸せだと感じるってこと。CMは広告主のためにあるわけで、視聴者のニーズを満足させるためのものじゃないでしょ。テレビも政権政党のために存在していて、視聴者のための有益な情報を出しているわけじゃない。そういう当たり前の事実を再確認しないとね(中略)だから、言葉を発している人たちの利益がなにかってことをちゃんと見ないといけないわけだ(中略)情報を取捨選択して、心からほしいものがなにかを吟味し続けることだよ、逆にそうすることによって引き寄せになる、なるというか、引き寄せているわけじゃなくて、もともと目の前にあるものだからね(中略)情報を選び取ればいいだけでしょ。だけど、自分が未熟だって知らず、圧倒的な知識不足の中で、幸せだ、幸せじゃないって言っているから全部後追いになっちゃうんだよ(中略)IQなんてみんなたかが知れているわけだからさ。大学の教授と中学生のIQがどれだけ違うかっていったらそんなに変わらないよ(中略)じゃあ、なにが分けるのか、といえば、情報量の差でしょ(中略)文章を推論して意味理解をしながら重要度でモデルを作っていく(中略)大切なのは知識だけじゃないってこと。知識だけだったらGoogleには誰も勝てないよ(中略)素材に対してこれは重要だ、重要じゃないって判断が瞬時にできるようになる。で、重要だったら取り込む(中略)有益な情報を切り抜いて上に提出するんだよ。それをやるとまず知識量が圧倒的にふえるからね。グレインサイズは知識の量がないと上がりようがない。なぜなら抽象化ってもとの知識があってこそだから。もとの知識がないのに抽象化なんかできない(中略)取捨選択が抽象化(中略)適切なものを切り抜くにはゲシュタルトがないとできないんだけど、ゲシュタルトは切り抜かないとできない(中略)幅がある中で、毎日20から30の記事を切り抜くとなるとキーワード検索じゃダメだってことはすぐにわかるよね。ゲシュタルトを自分で作って(中略)絞り込まないといけないわけだ(中略)ひらめきとは、いちいち、どの抽象度ってことを深く考えなくても自然に最短的にわかるってことね。

人間はさらに抽象度を上げていくと、ゲシュタルトとゲシュタルトを合わせて新たなゲシュタルトをつくることができます(中略)ゲシュタルトをつくり、課題を頭に放り込んでおくと、あるとき入ってきたちょっとした情報がきっかけとなって、ゲシュタルトからポーンとアイデアが出てきます(中略)ゲシュタルトが大きければ大きいほど、あるとき入ってきたインプットが、放り込んでおいたさまざまな情報や課題と響きあい、意表を突くアウトプットが出ます(中略)世界は矛盾があって当然なのですから、矛盾も含めてぜんぶそのまま頭の中に放り込んでおく(中略)知識がゲシュタルトの一部となるのは、その知識を興味を持って取り込んだときだけです。心から興味を持って知識を得ないと、ゲシュタルトを大きくすることにはならない(中略)人々は今でも「部分が全体をつくる」「部分を順に見ていけば全体が分かる」「部分を順に追っていけば答えが分かる」という考え方にとらわれています。しかし、実際は違うのです。全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しており、全体が分かることで部分が分かるのです。この全体と部分との双方向の関係を「ゲシュタルト」といいます。そして、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」(中略)本当に頭のいい人は、ゲシュタルトができているので、たとえ必要に応じて順を追って思考しても、自分の頭に中で迷路に迷うということがありません。ゲシュタルトができていることによって常に全体が見えているからです。部分を追いつつ、全体が見えている。部分にフォーカスするのも、全体を俯瞰するのも、自由自在にできる。それが本当に頭のいい人であり、それができるのはゲシュタルトができているから(中略)ゲシュタルトができていれば、全情報を手に入れなくても、部分情報を手に入れただけで、それが何か一瞬で分かります。部分情報が分かれば、同時に他の部分情報も分かる(中略)「抽象度が低いと感情に支配される」のはなぜでしょう? 賢明な皆さんはすでにお分かりかもしれませんが、抽象度の低い人は、視点が低いのです(中略)万物は情報量の多寡で階層化できます(中略)情報量の多い状態を「抽象度が低い」といい、情報量が少ない状態を「抽象度が高い」といいます。情報量が少ない(=抽象度が高い)とは、ある事物をより少ない情報量で表しているということです(中略)理解しづらいという方は、「抽象度」を「視点の高さ」ととらえると分かりやすいかもしれません。

エルゴノミックな教育というのは、さまざまなやり方を組み合わせる教育だ(中略)メディアの偏向によって、真実は歪曲されていく。情報の偏りに立ち向かうのは難しい。あらゆる情報の真偽を自分自身で確認していくことはできないが、理解の仕方を変えることはできるはずだ。最も重要なのは純粋な主観だ。主観を発揮すればするほど、偏りに気づくことができる(中略)〝機能的固着〟とは、物体の元々の機能だけに考えが固定されてしまい、他の使い道を考えられない状態のことをいう。有名なロウソク問題はこの研究のため、ドイツのゲシュタルト心理学者カール・ドゥンカーが考案(中略)心理学者のサム・グラックスバークはこのロウソク問題を使い、報酬が被験者の能力を高めるかについて実験した(中略)難易度が上がった場合、思いがけないことに、報酬が無いほうがあるよりも解答時間が早かった。これはつまり、人は報酬などがあることで、既存の思考の枠にとらわれてしまうことを示している。人が自由に創造的な発想をするためには、報酬などはかえって邪魔になるのだ。

ケーラーはゲシュタルト心理学の創設者の1人だ。人間の精神活動は、個々の要素の集まりとしてではなく、全体のまとまり(ゲシュタルト)として研究をして初めて理解できる、という考え方である(中略)複数の視点から全体をとらえる。部分を知ることによってこそ、全体を理解できる。また、全体像を俯瞰することで、個々の部分を違った視点から理解できる

有益な情報を切り抜いて上に提出するんだよ。それをやるとまず知識量が圧倒的にふえるからね。グレインサイズは知識の量がないと上がりようがない。なぜなら抽象化ってもとの知識があってこそだから。もとの知識がないのに抽象化なんかできないよ。釈迦の空と同じで賢いから悟れるんであって、バカは空は悟れない。釈迦もバカも結果は「情報はほとんどない」ってことで同じだけど、抽象化して「情報はほとんどない」にたどり着くのと、もともと情報を持っていないのとでは意味が全然違うからね(笑)。包摂化しないと意味がない(中略)取捨選択が抽象化(中略)適切なものを切り抜くにはゲシュタルトがないとできないんだけど、ゲシュタルトは切り抜かないとできない(中略)幅がある中で、毎日20から30の記事を切り抜くとなるとキーワード検索じゃダメだってことはすぐにわかるよね。ゲシュタルトを自分で作って(中略)絞り込まないといけないわけだ(中略)ひらめきとは、いちいち、どの抽象度ってことを深く考えなくても自然に最短的にわかるってことね。

じつは、勉強を続け、知識を獲得し、たくさんの知識のゲシュタルトをつくっていくと、いままでの自分に見えていなかったものが見えてくるという効用があります。人間は、まず知識があって、それから認識が生まれます───苫米地英人博士(著書名失念)

メタファーは、経験の自然な相によって構造を与えられたゲシュタルトを重ね合わせることによって一貫性を創り出しながら、ある種の経験を他の種類の経験に基づいて理解させる。新しいメタファーは新しい理解を生み出すことができ、したがって、新しい現実を創り出すことができる(中略)詩的メタファーでは、言語が新しい概念メタファーを創り出す媒体となっている(中略)あるゲシュタルトは他のゲシュタルトの存在を前提としており、そのゲシュタルトもまた別のゲシュタルトの存在を前提とし、そのまたゲシュタルトも・・・・・といった具合である。その結果、普通どんな状況であれ、状況を完全に理解するために必要となる背景の構造はすこぶる広大である。

自分がいまいる空間をリアルに見ることが必要(中略)答えは知識だ。経験も含めた知識(中略)それは大量に必要となる。整理整頓など追いつかないほどの膨大な量で、系統だったものも、雑多なものも区別なくたっぷり混ざりあって混沌としている知識。そういったカオスの中から統合感覚であるゲシュタルト(形態・形)が生まれ、ヒットの予感が立ち上がってくる

米国債にも100年物があるのである。この100年物の米国債を日本は裏帳簿でアメリカから死ぬほど買わされている(中略)ハイパーインフレは日本が戦争に負けたすぐ次の年なのである。日本政府(大蔵省)が、占領軍である米軍に対して、「いくらでも日本のお札を差し上げますから、米ドルを日本国内で使うのはやめてください」とお願いをした。だから、ものすごい金額の新しいお札を、米軍に差し出したのである。だからハイパーインフレが起きたのだ。この事実を、専門家たちが誰も書かない(中略)戦前の小作人(peasant ペザント 貧農)が、敗戦直後(昭和21年)に、マッカーサー大将の占領軍命令(法律ではない)で、財閥解体と同時に農地解放(「自作農創出法」という法律)で、自分が耕していた土地を、アメリカさまのお陰で自分のものにしてもらって、さらにそれを周囲まで広げて、それで日本の戦後の成長経済で、いつの間にか土地成金で100億円の資産家(大金持ち)になった(中略)それが日本全国の農協の幹部たちになっている。

私は早くから精読を始め、成人する頃には医学書を超高速で読めるほど真剣だった(頻繁に教員とケンカになるので、皆さんには勧められない)。今ではそのスキルを活かして、大切な人たちの子息や自分の甥姪に、時間の節約になるようにと、自分が精読した有益な本(新刊)をプレゼントしている。上司に切り抜きを提出するようなものです。私自身は読書の時間をまったく作らないし、公共の乗り物や待ち時間以外では読書をしません。この25年間そうしてきた。しかし、私は読むのも要約するのも早いと思う。


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