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エミール・ゾラは、芸術とは「気質を通して見える自然の一片である」と定義した

計二分間ポーズをとった後に全員にギャンブル・ゲームをしてもらったところ、こんなことがわかった。高パワーポーズをとった人たちはリスクを恐れにくく、ストレスを感じにくいだけでなく、自分のことを「パワフルで強い」と感じていた(中略)その後、録画したビデオ映像を、「自分が面接官だったら採用するか」を基準に、新たな第三のグループに見せて評価してもらった。その結果、事前にパワーポーズをとったグループは何もしなかったグループよりも明らかに評価が高かった

2010年に発表された再現性のない論文にもとづく「パワーポージング効果」という概念が大流行した。パワーポーズと言えば心理学者のエイミー・カディと思われているが、実は論文の筆頭著者はカリフォルニア大学バークレー校のダナ・カーニーだった。そのカーニーは2016年に、パワーポージングに関する見解を変えるという声明を発表した。彼女は何年もかけて自分の考え方を更新し、本人の言葉を借りれば、もう「『パワーポージング効果』が本物だとは信じていない」。彼女はさらに、オリジナルの実験に関するいくつかの事実(42人という「小さな」サンプルで、効果の大きさも「ほとんどなかった」)を列挙(中略)生物学者のリチャード・ドーキンスは、オックスフォード大学の動物学部で尊敬されていた年長の指導者について次のように語っている。彼はゴルジ装置(生物細胞内の微細な構造物)は存在しないと固く信じており、作為的な幻想であると教えていた(中略)ある月曜日に、あるアメリカ人の細胞生物学者が、ゴルジ装置が実在するという完全に説得力のある証拠を提示した。講演が終わると、その指導者はホールの前に進み出て、アメリカ人の手を握りながら───熱い口調で───言った。「親愛なる皆さん、ありがとう。この15年間、私は間違っていました」(中略)このときのことを思い出すと、私は今も感動がこみ上げてくる。これが科学の「自己修正」だ。最終的に、数年後や数十年後だとしても、古い間違った考えはデータによって覆される(あるいは物理学者のマックス・プランクが病的なまでに指摘したように、頑迷な賛成者が全員死んで、科学が次の世代の手に渡ったときに覆される)(中略)正確な科学というものは、そもそも存在しないのだ。数学にはノイズがある(中略)エミール・ゾラは、芸術とは「気質を通して見える自然の一片である」と定義した。本書で繰り返し見てきたように、この定義は科学にも十分当てはまる(中略)科学が数ある「真実」のうちのひとつにすぎないと考える必要はないが、科学は間違いなく人間の活動であり、従って人間の欠点が刻み込まれている。

ドーキンスによれば、ミームは生物学的な遺伝子と同じように機能する↓
※アインシュタインの特殊相対性理論の重要性にいち早く気づきアインシュタインの推進者の一人となった)ドイツの物理学者マックス・プランク↓

(※ラマチャンドラン博士とヒルスタイン博士) はゴンブリッチ(※美術史家)と同じく、絵画と脳は共生的な関係にあるものであり、一方を深く理解すればもう一方も理解できるようになる、と考えている。※引用者加筆.

フェルメールの目的は世界を変革することではなかった。それは、世界を解釈することでもなかった。彼の目的は、いかにありありと世界を記述するかということだった

「芸術において真実や事実は、自分のやっていることが、もはやわからなくなったときにやってくる・・・・・・」

科学的自己認識を使って、自分たちのバイアスのかかった直感を暴いたら、どこへ行き着くのだろう?

賢さがバイアスを増幅させることもある↓


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