思い出は何時までも美しく。スコセッシとは違う味付けをしたギャングのデ・ニーロ、それが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。


いまさらながら、あらかじめ断りを入れておけば
タクシードライバー 。レイジング・ブル。キング・オブ・コメディ。
スコセッシ=デ・ニーロのコンビは、別格だと思ってる。
沢山の人が、様々な言葉で、ここまで語ってくれたと、思っている。

今回、他の人とは違う切り口で
スコセッシ=デ・ニーロのコンビ作品を語ってみようと思った
が、到底わたしにはできないことだった。

ならば「他の人がほとんど語っていない傑作」を
「他の人とは違う切り口で語る」ことはできないものか。

考えに考えて決めたのが、本作だ。
だから、今回はこの作品の魅力を語らせてください。
デ・ニーロ・ナイト 最後となる第十夜は
セルジオ・レオーネ監督「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の
デ・ニーロ演じるヌードルスを紹介したい。

一言であらすじを言ってしまえば、
20年代禁酒法とともに成り上がったヌードルスと3人の仲間の物語が、
30年代禁酒法の終わりとともに幕を閉じ、ヌードルスは育ち故郷を立ち去る、
しかし60年代、記憶の中の謎を解くために、ヌードルスは故郷に舞い戻る。

こう書くと一見単純なはなしだが、この長編、初見では実に難しい。
なにせ、20年代の少年期、30年代の青年期、60年代の老年期、3つの時代が重なり合って錯綜しつつ、どこに着地するのか分からないまま、話が進むのだ。

そこで、この長編を、年代別に整理して
①20年代はスコット・ティラーが演じ
②30年代、③60年代はデ・ニーロが演じたヌードルスの視点で語ってみよう
と思う。
その上で最後、デ・ニーロが「本作において何を演じたか」に絞って
魅力を、語ってみたい。

① 20年代:煙突ばかりの茶けて煤けた街中に。

1920年代のニューヨーク。ユダヤ系移民の子、ヌードルスはある日、仲間たちと酔っ払いから財布を抜き取ろうとするが、一人の少年にそれを阻まれる。
その少年はブロンクスからやってきたマックスといった。
ヌードルスとマックスは最初はいがみ合うものの、やがて友情で結ばれていく。
そこに、同年代のパッツィとコックアイのふたり、ひと回り年齢が下のドミニクが加わって、「ギャング」を結成する。貧窮から抜け出すために、大金を稼ぐために、禁酒法絡みの「ビジネス」に挑むのだ。

尺にしても一時間満たないパートだが、その中に
ヌードルスとマックスが共感深苦の中で友情を育んだり
気に食わない警官が情事にしけ込んでいるところを盗撮、ユすったり
街一番のレストランの令嬢、デボラをトラヴィスっぽくストーキングしたり
そのデボラが自分に聖書を読み聞かせてくれたり、彼女と初恋のキスをしたり
下半身のもやもやで葛藤したり
贈り物にするはずのケーキを我慢しきれずひとりで全部食べちゃったり
少年期らしい、美しく純粋な記憶に満ちている。



貧しくも楽しい少年期も、呆気なく終わる。

酒の密輸がらみで、遂に大金を稼ぐ。その金で、ぱりっとした服装に着替える。
最早みすぼらしいストリートチルドレンじゃない。
ちょっとぶかぶかで垢抜けないけど、五人とも、一人前のニューヨーカーだ。
残りのまとまった金を駅のロッカー(マックスの言う「金庫」)に隠して、
足取り軽く、ねぐらへ戻っていく。
(本作のポスターに使われているカットに当たる。)

運悪く、縄張り争いしているチンピラ・バグジーに出っくわしてしまった。
五人を見るや狙撃、逃げきれなかった最年少のドミニクが、撃たれる。
駆け寄るヌードルスに、ドミニクは。

Noodles... I slip... ped.

IMDBより引用

それを最期の言葉に、ヌードルスの腕の中で、ドミニクが逝く。

それが最期の言葉になった。
いちばん小さい者を狙い撃ちしたこと、自分の仲間を殺したこと。
それに、ヌードルスは、かっとなる。
汚いオトナへの、子供らしい、純粋な怒りだ。
隙を見つけて、飛びかかり、何度も何度もこのチンピラの脇腹を突き刺す。
何事かと駆けつけた騎馬警官が制止
血塗れのナイフがころころ転がって…やがて静止する。

護送車に入れられたヌードルスと、残った3人の仲間たち。
目と目でつながり合う心。再会を期して、ヌードルスは塀の中に入る。


②30年代:黒と白のコントラストの狂乱の時代に。

10年以上経って、ようやくヌードルスはシャバに出てくる。
3人の仲間たちが、彼を温かく迎える。
禁酒法の波に乗って、事業拡大。少年期からつるんでたモー(デボラの兄)の経営するレストランの裏にこっそり造ったヤミ酒場で、ぼろ儲けしている。

もっとビッグになってやる!
とヌードルスは仲間3人と共にビジネスにガツガツと挑む。
他のギャングたちと縄張り争いをしたり
清廉潔白だった運輸組合長ジミーを、結果として悪の道に誘うことになったり
(尚このジミー、アル・パチーノが演じたジミー・ホッファをモデルにしているという「アイリッシュマン」との共通点。)
バート・ヤングなのに(「ロッキー」のポーリーとは真逆の)三下と会食したり
その中で、マックスとの間に不協和音が生じたり。

印象的なのは「海辺のレストラン1軒丸々借り切った」デートの中で
デボラに語る言葉だろう。

There were two things I couldn't get out of my mind. One was Dominic, the way he said, "I slipped," just before he died. The other was you. How you used to read me your Song of Songs, remember? "How beautiful are your feet / In sandals, O prince's daughter." I used to read the Bible every night. Every night I used to think about you. "Your navel is a bowl / Well-rounded with no lack of wine / Your belly, a heap of wheat / Surrounded with lilies / Your breasts / Clusters of grapes / Your breath, sweet-scented as apples." Nobody's gonna love you the way I loved you. There were times I couldn't stand it any more. I used to think of you. I'd think, "Deborah lives. She's out there. She exists." And that would get me through it all. You know how important that was to me?

IMDBより引用

この台詞だけでも、彼の為人がわかるだろう。
彼は、幼少期の思い出を抱え込んで、塀の中で、汚れることなく、生きてきた。
ビッグになったのも、すべては、デボラにいいとこ見せるため。
加えて、仲間(ドミニク含む)たちとの友情のため。
ピュアな心を持った悪童なのだ。

しかし、ヌードルスがデボラに結婚話を切り出したときには、もう遅かった。
デボラは更にビッグになるため、NYを出るという。
そして彼は「引き止め方」を知らなかった。
帰りの車の中で襲いかかり、当然、デボラに拒絶される。
朝焼けの街にひとり放り出されて、半ば途方に暮れつつ、帰途に着く。

前述の通り、マックスも最早「友情に燃えてた」昔のマックスとは違う。
彼は、ハイリスク・ハイリターンのバクチに手を出そうとする。
それを止めようとヌードルスはある決意をし、しかし、それは裏目に出て…

刑務所の中で、ヌードルスの「時計」は止まっていた。
デボラもマックスも「大人になって」トップを目指すようになっていた。
しかし、ヌードルスは「少年のまま」このままでいたい、と願っていた。
その考え方の違いが、呆気ない別れを生んだ。

喪失感を抱えたまま、彼は街を離れることとなる。
現世にある友情も、恋も、何もかもヌードルスは失った。
彼は、「美しい思い出」だけを抱え込んで、以後数十年を生きていく。

③60年代:ネオン華やかな懐かしき世界に。

時は流れて。
「イエスタデイ」が流れる生まれ故郷に、老いたヌードルスは戻ってくる。
ちょうど、この街を去った時と同じ駅舎に。
(しかし中は薄汚れ、かつてあった宮殿の様な上品な空気は、最早ない。)

青年期のガツガツっぷりはどこへやら、悠然とした態度で、無口な語り口で、どこか遠くを見つめた姿。
しかしヌケガラになった訳ではない。
それは、確かな足取り、よく見ないとほんの僅か曲がっていると分からない、しゃきっとした背筋からも分かる。(デ・ニーロの演じ方が見事)
それは、旧知のモーを訪れるシークエンスからも、よく分かる。

1950年代、市街の中心が移動してから、そして裕福なユダヤ人たちが郊外に引っ越してから、街は寂れる一方。
上流階級を相手していたポーのレストランも、移民の若者がビールとつまみで日中の疲れを癒すアメリカンダイナーと化す。
昔と変わらぬ煤けた大構えが、窓ガラスのダビデの星が、今は虚しい。

そこにヌードルスがやって来る。店の目の前まで来て、直ぐそばにある公衆電話から電話をかける。ポーが客を全員追い出して閉店させたのを見て、もう一度電話をかける。
何を喋っているのか知る由もない、しかしこう言っているのは間違いない
「直ぐそばまで来ている」
そこで初めてポーは、通り向かいのヌードルスに気づく。
それとなく「今来た」と見せることで、友人に無礼のないようにする、
折り目の正しさがある。

ポーは客人を招き入れ、ビールでもてなす。
そして、凍り付いていた時が動き出したことを知り、
長年止めていた柱時計のネジを巻いて、時を再び刻ませる。
ポーは、再会を、顔に出さずとも悦んでいる。それはヌードルスも又。

かつてあんなに華やかで人がいっぱいで広々としていたレストランも、
今や、掃除も整理も行き届いていない荒れっぱなしの部屋ばかり。
その中でもいちばん綺麗な部屋を、ポーはヌードルスに貸す。
ひとりになって、ヌードルスの足は便所に向かう。
用を足すわけではない、便所の壁の上の方にある、秘密の覗き穴を見るために。
トトよろしく覗き穴から壁の向こうを覗き込む時、
彼は少年期へと甘く切ない思い出へと引き戻される・・・。

※ここが、すべての導入部。
たった10分もしない冒頭のこのワンシークエンスを観たら、絶対惚れる。

見ての通りヌードルスは「高倉健の様な渡世人」といった感。
それは、「今はもう失われた」少年期の思い出、「ついぞ叶わなかった」少年期の憧れを、抱え込んでいるから。(穿った言い方すれば「魔法使い」。)

そんな彼が戻ってきたのは、「美しい記憶」の中に「疑惑」を抱いたから。
わずかな手がかりを手繰り寄せて、少しずつ、真実に近づいていく。

そんな彼に向かって、老いてもなお大女優のデボラ(数十年前と一見変わりない_しかし、よくみると皺が増えている)は願う。
「振り返らないで」と。

There's an exit back this way. Noodles, go through it. Keep walking. Don't turn around. Please, Noodles, I'm begging you, please.
IMDBより引用

思い出を汚して欲しくないから、
真実を知ってしまえば、あなたがあなたではいられなくなるから、と。

だが、ヌードルスは振り返る。
そして、一番会ってはならないひとと会ってしまうこととなる。
彼は、どのような決着をつけるのか。

答えは最後、ヌードルスが見せる阿片窟での微笑みの中にあるのかもしれない。
悪人ヅラで笑って見せても、
あんな風にぬっと口角を吊り上げたような鮫の顎のような笑い方は普通しない、
デ・ニーロがそれをする。だから印象に残る。

まとめると:時が流れて時と知る、デ・ニーロ。


つまり、友情と裏切りとか、人の生き死にとか、そうしたものをみんな呑み込んでいく時の流れの美しさ。それを回想、追憶、記憶として、抱え込んだまま年老いていく人間というものの不思議さ。
デ・ニーロが、「一言では言い表せない」世界の不思議、とでも呼ぶべきものを演じるのだ。

本作、デ・ニーロ以外にも見どころ満載。彼一人の演技に終わらないのが見事。
子供の悪戯じみた、それでいてえげつない、ワルの手口とか
全編にわたり繰り返される、不思議と悲劇の扉を開くモリコーネの旋律とか
マカロニウエスタンばりの鮮烈な、しかし何処か神々しい暴力描写とか
完全主義者らしい、洗練されたバロック調の画面構成とか
喜怒哀楽のあわいの表情を切り取る、人物の顔のクロースアップとか
年代を経る毎に、単褐色から叙々に色付いていくNYの街並みとか
ジェニファー・コネリー演じる幼少期デボラの聖女&ツンデレっぷりとか
見事な演技指導に裏打ちされたキャラクターの個性とか
シンプルで力強い台詞回しとか
etc...

ぼーっと見ているだけでも、分かる
贅を尽くした映画。
一度見ただけでは分からない、
本来互いに相反するはずの要素でぎっちり詰まっている、
懐の深さ、世界の優しさ、というべきもの。

日本公開時のキャッチ・コピー

84年秋=今世紀最大のモニュメントが刻まれる。

はダテじゃない、いや、そうとしか喩えようのない
デ・ニーロが語る、大いなる叙事詩、大いなる追憶。
それが、本作だ。

※各種配信サイトで配信中!

※勝手にデ・ニーロ・ナイト インデックス


第一夜:暴れん坊のデ・ニーロ「マチェーテ」

第二夜:青い目をした牢人のデ・ニーロ「RONIN」

第三夜:働き方を考えさせるナイスミドルのデ・ニーロ「マイ・インターン」

第四夜:ナイトメアクリスマス夢見るデ・ニーロ「ウィザード・オブ・ライズ」

第五夜:役作りに七転八倒のデ・ニーロ「俺たちは天使じゃない」

第六夜:沈痛のデ・ニーロ「ディア・ハンター」

第七夜:ハメを外すデ・ニーロ「ダーティ・グランパ」「ラストベガス」

第八夜:華麗なる紳士にして空賊のデ・ニーロ「スターダスト」

第九夜:自分探し真っ最中のデ・ニーロ「マラヴィータ」

第十夜:追憶のデ・ニーロ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」



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