「お前は馬鹿だ」言葉の暴力からの復活~うつの大学院生の復学~
こんにちは。はじめまして。私の記事を読んでくださってありがとうございます。私は適応障害とうつを患っている大学院生です。もし似た境遇の方であれば互いに共感し合い、そうでない方もこういう人がいるんだと思ってくださるとうれしいです。
今回は特に疾患関係なく暴言を吐かれた方に、または吐いてしまった方にも読んでいただけたらと思います。共有できたらと思います。
皆さんは、このような言葉を投げつけられたことはあるでしょうか。
私は復学直前、今まで精神疾患を抱えて藻掻く私に常に寄り添ってくださった方に突然この言葉を投げられました。
この言葉を投げられた原因は復学でした。
私は2年前から適応障害を患い、今年の9月まで1年休学していました(これまでの藻掻きについては前回までの記事にまとめています。よろしければ読んでいただけたらと思います)。前回のnote投稿から半年以上更新が止まっていたのですが、それは今年春にこれまでの人生で一番の底に叩きつけられ、書ける状態、言葉すら表せない状況になったためです。とにかく"死"という言葉に支配され動き、しかし結局生きることとなり、今があります。そこからゆっくり自分と向き合い、また徐々に外に出るようになってから私の病状は良くなっていきました。正直"死"から復学したいと思えるようになるまでこれほど変わるものか、と自分で驚いています(もし機会があればそれまでの過程も書けたらと思います)。
そんなこんなで、私は大学にふらっと戻ってまた学びたいと思うようになりました。元々何となく、きりよく1年休学した後どうするか(復学か退学か休学延長か)と考えていたこともあり、私は選択を迫られた期限の9月に[復学]を選びました。
私は幸運なことに助けてくれる家族や友人、先輩、先生方、そして信頼できるお医者様がおり、それぞれ「ゆっくりね」という言葉と共に私の背中を優しく押してくれました。
ただ、一人を除いて。
その方は私が底にいたときに常に私の手を握り救ってくださいました。最も信頼する人の一人です。忙しい中相談にいつも親身に乗ってくださり、沢山の素敵な言葉をいただきました。
しかし復学すると伝えたとき、その方は渋い顔をしました。
意味が分かりませんでした。私は確かに意志を持って復学をすると伝えました。しかしその方は、適応障害発祥以前の、学歴・大手企業就職への執着から点数評価を絶対として今までの人生を生きてきた過去の"私"が、まだ今の私を苦しめ無理に復学という言葉を吐かせているように考えていたようです。
しかし今の私は純粋に自分の専門分野―建築についてまた耳を傾け、手を動かしてみたいと思った故の復学という選択でした。色んな社会の理想の道を駆け上ろうと必死な十代を送りましたが、大学を受ける際の学科で建築を選んだのはそれとは関係なく自分が一番興味のある分野だったため学んでみたいという気持ちも本心にしっかりとありました。
私は嘘ではないことを伝えるため、必死に言葉を紡ぎました。しかし、その方は「それは〇〇の言っている言葉ではない」「数えきれない位の人を今まで見てきたから、声や表情を見ているだけで君が言っているのがウソかどうかわかる」と断言しました。私はこの方は見ている"私"は誰なのだろうと疑問に感じていました。そして、この言葉。
完全否定をされました。一つ息をついて、私の目をしっかり見てまっすぐとその言葉のナイフで心臓を刺されました。いっそのことふざけて笑いながら言われた方がマシだったかもしれません。それでも傷つきはしますが、私は「馬鹿」だということを認知してほしいように真顔で繰り返しその言葉を言われたのは衝撃でした。あまりの出来事に悲しい、怒り、負の感情は沸かずただ真っ白になり、しかし確実に心にパッキリとヒビが入った音は聞こえました。
また、また私は、自分を馬鹿だと思うところから始めなければならないのか。私はやはりどこまでも愚かだったのか。
[生きる価値、どこまでもない、馬鹿]
全てが崩れました。私はそれ以上その方に何も言うことができなくなりました。そのままその場は終わり、私は一人家へ帰りました。
そして夜になり薄暗い部屋の中、その方の吐いた[お前は馬鹿]という言葉によりぱっくりと開いた心の傷から絶え間なく血が流れ出ているのを感じていました。どこへ向ければいいか分からない怒り、自分への悲しみ、絶望、沢山の感情が、そのたった数文字のために溢れていました。
その絶望の時ふと、私はレディー・ガガの「Born This Way」という曲を思い出し、YouTubeを開きました。
私は適応障害になってから沢山の曲を聞き、励まされました。その中でも大きく影響されたこの曲の歌詞全て、特にサビの歌詞が、この瞬間最も輝いて伝わりました。そして11年前につくられたこの曲はどれだけの人を救ってきたのだろうかと思いました。
私を馬鹿だと言ったその方は恐らく、つまずいて悩みそして変わっていった今まで自分が見てきたすべての人々の「統計結果」から、私という人間の今の中身を「予想」し、そしてそんな考えで動いた私はまたきっと堕ちるであろう、「馬鹿」な人間だということを伝えたかったのかもしれません。また堕ちるだろう目の前の人を引き留めるための良心による「馬鹿」という表現だったのかもしれません。
しかし私はどの人間にも当てはまりません。もしかしたらその方の人生で出会った人々の中に似ている人もいたかもしれません。しかしそれはあくまで"類似"に過ぎません。その人たち、そして私はそれぞれの人生を選んでいます。
全ての生き方がその人たちの答えであり、それに〇か☓をつけるのは他人ではありません。その方が私を馬鹿だと言ったのは、あくまでその方から見た私の生き方、考え方が愚かだと感じたための感想であり、それが全てではありません。誰も、ましてや自分を卑下する必要はありません。
そして、自分が全て正解だとして人に押し付けるのも違うと思います。人によって正義が違うように、他人の正解と私の正解は違うということをしっかり認識しなければならないと感じます。その思考を頭に叩き込んだ上で人に接するとまた優しくなり、あらゆることを許せると思います。
それでも他人と自分が衝突して傷つくことも多々あると思います。そのときは一旦落ち着き、相手の考えていることを思い、私が傷つけてしまった部分―相手との相違について出してしまった言動について反省し相手に伝え、そうして他人と和解し共に生きていくことができるのかもしれないと、私は一旦の希望論を出しています。
とは言っても、常に冷静でいて聖人君子になれる人はこの世にはいないと思います。この病気になってから、私は制御できない誤った「怒り」を何度もしては人々を傷つけることも多々ありました。いや、病気以前にも自然と人を傷つけていたことも沢山あったと思います。それは自分の価値観を当たり前にしすぎて相手を考えられなかった、自分の色で埋めようとしてしまった、と省みています。恐らく、これからも間違うことはたくさんあると思います。それでも、自分だけが決して正義ではないことを心に留めたいです。
自分がどうしようと、どうしても合わない人は必ずいます。その時は距離を置くしかないのかと思います。それでも例えば学校のクラス内、職場の直属の上司部下というどうしようもない囲いの中で起こったら…どうすればいいのでしょう。自分の中で答えは出ていません。しかし、その人はその人の考え方があって生きているということは忘れてはいけないと思います。今のところの私がもしそういった状況になったらもうその人たちは自分とは合わない、どうしようもないな、逃げてもいい―逃げる、という表現もあまり好ましくないように思います。場所を変えていく、他の居場所を作りに外に出るのだと思います。
日本という社会において、それがとても難しく思う面が多々あるのは思います。この国は他の国よりも強く太い”正しい”と思わせるようなレールを社会に引いていて、それから外れるのはとても勇気がいる、外れたら終わり、どこへ行けばいいか分からない、だからもう―と考えてしまいます。しかし、レールの外にいる人は案外沢山いるということをこの病気になってから知りました。もちろん外れたことに苦しんでいる人もいますが、案外よく生きている人も沢山います。
沢山、自分の居場所をつくるといいのかなと思います。私は友人や先輩に助けを求めたことが今生きている私に繋がったように思います。友達と一緒に時間を過ごしたり、誘いにひと踏ん張りして乗って新しい輪に加わったり。合わなければ合わなかったでフェードアウト。
そんな日々でもある時は誰も頼れないと感じたときもありました。そんなときは先ほどのレディー・ガガなどの素敵なアーティストの曲やゲーム、物語の世界に飛び込んで救われました。沢山の作品が私の人生に色を付けてくれています。
私はもうひとつのことを思い出しました。私の名前です。
本名を書くことはできませんが、私はある花の名前から漢字をいただき、その後ろに歩くという漢字を付けた名前です。”花が歩くような女の子”。父と母が悩み抜いて名付けてくれたこの名前。苗字も好きなのですが特に私は自分の下の名前が実は好きです。
綺麗に咲く花もあれば、ある蕾は上手く花を開けず終わるものもあるでしょう。風に靡き、花弁が散り、茎が揺れても、それらは一つに統合されて地に根を張り生命を宿しています。同じ分類同じ科同じ名前がついていても、全く同じ形で生える植物はありません。私という花は私だけが咲かせた花であり、前述のレディー・ガガの曲を引用させていただくと、神様が生み出したたった一人の私です。
今までの過去も、病気も、苦悩も、悲しみも、嘆きも、全部あって私です。決して楽しいだけではないと思います。負の感情もあっての私だと思っています。ある人は私のこれまでの生き方を称賛し、ある人は批判すると思います。しかしそれはあくまでその人の視点です。
暴力、暴言で肉体的精神的に傷つけてしまうことは勿論、「自分が正義」という間違った旗を掲げて誰かを”否定”してはいけないと思います。誰か自分以外の他の人生を否定する権利は誰にもありません。
自分に暴力が向かれたとき、相手は相手自身を押し付けようとしている、この人はこの人で私ではない、と「相手を全てだと思わないこと」を冷静に心に留めようと思います。また誰かが誰かを攻撃しているときは、少なくとも攻撃を受けた側にはこのようなことを伝えてなるべくダメージが出ないようにしたいと思います。攻撃者側への対応は―今のところ、考えは見つかりません。そもそも攻撃者も人によって違うのだから、時に至難の業になることと思います。それだったら、攻撃を受けた人に「あの人が言ったこと全てだと思わないで」とその場から手を引いて立ち去る方がもしかしたら救い出せるかもしれません。…人間関係の問題は、どこまでも難しいですね。
私の周りには、同じように自分について絶望し嘆き嫌気がさし心が疲れてしまっている人が何人かいます。私はどうすれば皆が笑顔になるのだろうと悩みます。私は皆の環境を劇的に変える、または安定した場を与えられるほどの力は当たり前ですがありません。けれど、「貴方って最高よ」と言葉で伝えることはできます。彼らは、神様が作り出した”正しい”私が出会い選んだ素晴らしい運命の人たちです。一人一人全く別の面白さがあり、時には私を勇気づけてくれた人たち。他の人が何と言おうと彼らは私の人生においてそれぞれ素敵な時間を過ごさせてくれる最高の相手です。そんな彼らなのだから自分が愚かで間違っているなんて思わなくていいと伝えます。「貴方が最高な人だから私を最高な気分にさせてくれたの、本当に感謝しているし会ってから今までとても大好きよ」と自分勝手でも伝えます。私自身がオリジナルで特別な花ならば、彼らも同時に独自の色彩と形を持った素敵な花だと強く思っています。
今、私は復学し大学院の授業を受けつつ自分の時間や友人との時間を過ごしています。現実と戦うことに苦しくなることも沢山あります。まだ精神安定剤の薬を服用して通院もしています。また堕ちることもあるかもしれません。それでも、私は私を肯定しようと毎日生きています。
もしこれを読んでいる方がご自身を醜く思われているのなら、どうか自分に向けるナイフを一旦下してほしいと思います。そんな簡単なこと、と言われるかもしれません。実際私は周囲への評価によって手に括りつけられた自分へ向けたナイフを下すのに何年もかかりました。
いつか読んでくださる貴方は、誰にも卑下される必要のない、貴方しかいないオリジナルで特別な存在だということを伝えられたらうれしいです。
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