もって生まれたものを大切にしたい#64
こんにちは。わくわくらすです。
あなたは才能というものをどれほど信じていますか。私は人間には到底覆すことのできない生まれながらの才能はあると思っています。幼いころからサッカーをしていましたが、どう考えても才能という言葉でしか表せられないような選手に何度も出会いました。男女問わずです。
勉学においても才能はあると思います。塾に行っているわけでも、幼いころから英才教育を受けたわけでもない同級生が、一度教師の説明を聞いただけで全てを理解している姿を見て、頭の出来が違うんだろうなと子どもながらに思っていました。
才能とよく比べられるのが努力という言葉だと思います。私たちは才能は努力で超えられるということをどこかで願っています。そうでなければ、私たちは生まれた段階ですでに負けているということを自覚せざるを得ないからです。
じゃあ実際に努力をした結果、才能を持つ相手に何らかの勝負で勝ったとしましょう。であれば努力をしたあなたはすごいね、となることが当然のように思いますが、「努力ができることも才能の一種だ」なんてことも言われます。ほんと、人間って負けず嫌いなんだなと思います。
以前おもしろい記事を見ました。幼いころから平等を刷り込まれた子どもは、助け合い精神が育まれにくいという考え方があるそうです。
少し前に話題になりましたが、運動会の徒競走で順位付けをしないとかみんなで手をつないでゴールをしてみんなが一等賞をもらえる、主人公が複数人いる劇など平等に結果や機会を与えようとする学校があるようです。
ではこのような平等がなぜ、助け合い精神を育みにくいかというと、みんな平等=みんなの能力は同じ、という考えが生まれるからだそうです。
本来順位付けには、自分の位置を客観的に見ることができるという利点があります。みんなの能力が同じと自覚してしまうと、例えばテストの点数が悪いのは自己責任ということになります。努力をしなかったからとも言い換えられます。
みんな同じ能力なのに、入試に落ちるのも、就活がうまくいかないのも、昇進できないのもみんな自己責任だよね。
そんなふうに結論付けられます。実際今の日本は自己責任の風潮がとても強いです。
冒頭で私は人には生まれながらの才能があると言った理由は、人には違い(才能)があるからお互い助け合いながら生きていくことが必要だと主張したいからです。
何であの人にはできて自分にはできないんだ、と思うこともありますが、逆に自分にはできてあの人にはできないこともあります。努力で得られるものもありますが、それで悩むくらいなら「あの人にはあれができる才能があるんだ」と納得したほうが楽になるのではないでしょうか。
自分の生まれ持ったものを大切にして、生きていければ100点満点だと私は思います。
お読みいただきありがとうございました。
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