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当たり前が『当たり前』ではないーー 娘が教えてくれたこと

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

キーパーソン21チームふじのくに(静岡)をまとめる副リーダーの露木さん。わくわくエンジンは「人とのつながり」。退職後の安定した再就職を3ヶ月で蹴り、自分のわくわくすることにチャレンジしたきっかけとは?
そして最愛の娘を2年前に亡くしている彼が伝えたいメッセージとは……。

【図鑑No.20】
お名前 
露木 弘充(ひろっぺ)
お仕事 
目まぐるしく変化する世の中の流れについていけず、立ち止まってしまった方、疲れてしまった方等の一歩踏み出す勇気をサポートすること。
わくわくエンジン
人と繋がることで、新たな世界(ネットワーク)を生み出すこと


きっかけは偶然に


—— キーパーソン21に関わったきっかけを教えてください


5年くらい前にキャリアコンサルタントの資格を取得しました。東京のキャリアコンサルタント仲間に「律ちゃん」(キーパーソン21副代表理事)がいて、彼がキーパーソン21で活動しているのをFBで見たのが事の始まり。

キーパーソン21の活動には興味はあったものの、静岡在住の自分には、川崎を中心として活動しているイベントには参加できないと考えて見ているだけの存在でした。
その後、キャリアコンサルタントの勉強会で、随分笑顔の素敵なにこやかな受験生と出会いました。それが「ひとちん」(こちらもキーパーソンの理事)で、飲み会のときに名刺をもらったら、キーパーソン21のメンバーだったことが分かりました。
そんな偶然の出会いがきっかけで「わくナビ養成講座」を受けることになりました。

養成講座では、最初のデモの際 (初めにある模擬の講座)に、いい年の大人が「イェーイッ!!」と言っている姿に、少し引いていたのは事実です(笑)でも、まさか午後になったら、自分もそれをやることになるとは思わなくて、でもやってみたらとても楽しかった。ちょうど「イェーイッ!!」って言った時の写真を撮ってくれていて、その写真を見ると満面の笑顔の自分が写っていました(笑)
その後、なんとか土曜日開催の渋谷区の学校の子どもたちへプログラムを届ける現場を経験し、改めてこのプログラムの素晴らしさを実感しました。

満面の笑顔♪01

静岡でもやりたい…、でも一人では無理…というジレンマの中、本部から連絡があり、「わくナビ養成講座」に、静岡の参加者がいますとの一報。それが「けんけんさん」でした(チーム静岡、もう一人の発起人)「けんけんさん」が現れたことで、そこから今の静岡チームの原点ができました。

—— なるほど、そこからチーム静岡が生まれたのですね

大学生時代


—— ところで、露木さんのわくわくエンジンは、「人とのつながり」ということですね


今回(インタビューの話を受けて)、改めて「わくわくエンジンて何だろう?」と考えたとき、自分の原点は、大学時代のサークル活動にあると感じています。
大学で入ったのは軽音楽部フォークソング研究会。
中学高校のときは、引っ込み思案で内気で、劣等感のかたまりで、日の目を見ない暗~い子でした。

——あははは。(今の露木さんからは信じられないお話なんです)

笑わないの(笑)
中学高校は野球部で、まさに野球漬けの毎日だったので自由がなかった分、東京の大学へ行ったら彼女でも作って楽しい学園ライフを……、音楽サークルだったら女の子と出会うかも……という半分以上不純な動機で入部(笑)そしたらとんでもない、これがもうすごい体育会系の音楽サークルでした。
一人無断欠席すると全員その場で正座させる。女子だろうが男子だろうが、下が土だろうがなんだろうが関係ない。今は考えられないけど、もともと体育会系の自分だったので、その当時は違和感なく受け入れていました。

このフォークソング研究会は部員が100人くらいいる大所帯。その中から選抜された約50人でステージを作る。5パートくらい分れてステージに立ち、ロック、ジャズ、カントリー、フォークソング等様々な分野の音楽にコーラスアレンジを加え、後ろにはバックバンドやコンサートマスターが並んで、迫力のあるコーラス&振付等を目の前で見せられて鳥肌が立ち感動して即入部を決めました。
1年の夏合宿では、1票差で1年生の責任者になってしまい、1週間毎日夜先輩方の部屋に1人呼ばれて罵声の連続、毎日涙ボロボロ流していました。しかしその後、先輩方のフォローがしっかりあって最終的に同学年のサークル仲間と信頼関係が生まれるようになっていました。
体育会系のフォークソング研究会は、思い描いていた軟弱な楽しい学園ライフとは異なっていましたが、ここでの体験が、自分の性格を大きく変える人生の転換期となりました。

—— 今の露木さんの今の活動の基礎が作られた感じですね

結局、幹事長として大所帯のサークルの取り纏め役を担うようになりました。部員一人一人の繋がりを土台とした音楽を追求することで、本当に素晴らしいステージを作ることができました。その結果、関東フォークソング研究会連盟に所属する他大学からも一目を置かれる存在となりました。このような大学時代の経験は今のキャリアとつながっていますし、今の自分の原点となった時期です。


定年後わくわくする仕事へ再就職


—— 卒業後の就職でも「人とのつながり」をベースに選んだのでしょうか?

僕らの頃は、今みたいにキャリアコンサルタントがいない時代。地元に戻って、今のJRの前進である「国鉄」に就職。その後、分割民営化してJRになったことをきっかけに国家公務員(文部科学事務官)に奉職し、国立の学校ならつぶれないなと考えて、国立の高等教育機関に勤務することとなりました。
その後、国立大学等で主に総務人事系の仕事を歴任したのち一昨年3月に定年退職、地元の国立大学に再雇用されました。 でも3ヶ月で辞めてしまいました。

—— なぜ辞めたのですか?
 
仕事をしていても何も面白くなく、自分のやりたいことではないと実感したからです。
定年退職の5年前にキャリアコンサルタントの資格を取得し、その後は若者支援、キャリア教育等のボランティア活動に力を入れた他、静岡県内のキャリアコンサルタントのネットワークを作りたいなと思い 「静トレ」を立ち上げ活動を続けてきたのも、退職後にこの道に進むための準備期間と考えたからで、全然別の仕事を再雇用で選んだことに後悔したからです。
自分のやりたい仕事ではないが安定した仕事を選ぶのか、安定より自分のやりたい仕事を選ぶのかという究極の選択の末、後者を選んだ訳です。

それにこのまま5年経ち、さあキャリアコンサルタント資格を活かした仕事をやろうと思っても実績がない。それなら今から5年間キャリアコンサルタントの実績を積んでいった方が、5年後のキャリアにも繋がる……。いくつまで働けるかわからないけれど、この先を見据えた決断でした。かみさんからは、「あなたには自分のやりたいことがあるのでは? これからのセカンドキャリアは自分の好きなことを思う存分やってみたら?」と背中を押されました。

——ところで、キャリコンを選んだきっかけはなんですか?

もともと自分は、スキーやキャンプ好きのアウトドア派だったにもかかわらず、退職間近の自分の生活は完全にインドア派になっていることに気づき、違和感を感じていました。
そんな生活をしている中、ふと定年退職後のことを考えたら、定年後の自分の姿が描けなかったのです。

そんな中、同じ職場にキャリアコンサルタントの資格を持っている人がいたことから興味関心を持ちました。
当時はまだキャリコンてなに?という時代。就職の面接指導や、就職のカウンセリングをする仕事と聞いたときに、興味を持ちました。

終身雇用制度が崩壊し、働き方も多様化し、働くことの価値観も変化してきている昨今、仕事に纏わる悩み、相談事は年齢性別関係なく世の中に溢れている。キャリアコンサルタントの役割がそこにあると感じました。そんなことからキャリアコンサルタント資格を取得、平成28年4月に国家資格となり、この道に進んで良かったと実感しています。

—— 今のキャリアコンサルタントの仕事について教えてもらえますか?

静岡県東部県民生活センター内のある「しずおかジョブステーション」という就職支援機関で仕事をしています。具体的にはキャリアカウンセリング(1人当たり1時間、1日に7人)を主業務として、他に高校生への面接試験対策セミナーや大学生のグループディスカッションセミナー等の講師をやっています。また、別の仕事として児童養護施設の児童生徒への個別支援もやり始めました。今は、自分のやりたい仕事をやり甲斐を持って出来ているという「幸せ」を実感しています。

静トレ講義風景01

—— これからしてみたいことがありますか?

自分はずっとサラリーマンの世界で仕事をしてきたので、フリーランスで自由にキャリアコンサルタントとしての自分のスキルでお金を稼げるようになることが夢です。今の仕事は、その夢の実現のための実績づくりと考えています。

「人のつながり」が自分の一番核になるもの


—— 露木さんにとってどのように人とつながったときにわくわくするのでしょう?

 「どのように人とつながったときにわくわくするか」というよりは、「人とのつながり」自体がわくわくの源なのです。
人は一人では生きていけないし、誰かを支え、誰かに支えられてここまで生きてきたと思っています。だから、自分の中で一番の核となるものであり、一番大切にしているものです。

—— 露木さんは、キャリアコンサルタントになって良かったと思いますか?

思います!(即答!)
自分の中で、別の世界が一つ生まれたような感覚です。
人と関わることで、自分の居場所がここにあると強く思っています。

コロナ禍で「当たり前」が当たり前じゃない時代。


以前だったら当たり前のようにできていた「家族旅行」「買い物」「友人との飲み会」等々が自由に出来ないという経験を通じて、「当たり前」の大切さを改めて実感しています。
以前、過去にお子さんが生まれてから、苦しんで大変な思いをされた方の投稿を拝見させていただきました。

私の娘は知的障害児でした。考える力が少し遅れている反面、とても感受性が豊かで、面白い漫才を聞くとゲラゲラ笑い、悲しいドラマを観るとボロボロ涙を流す。そんな娘に毎日癒されていました。

自分が仕事から帰ると真っ先に「お帰り!」と言って出迎えてくれました。夕飯のおかずを取り分けてあげると必ず「お父さんの分はあるの?」、寝るときには必ず私の部屋をのぞいて「お父さん、寝るよ~!」と声をかけてくれる。もう20代の娘なのですが、毎日二人で手を繋いで(笑)寝ながら今日一日の出来事をお互いに話し、振り返ることを日課としていました。そんな中、自分が先に疲れて寝てしまうと、寝るなと顔を叩いたり、大声で歌を歌ったりして寝かせないようにする等、お茶目な性格の娘。
本当に親思いの優しい娘で、我が家にとっては太陽のような存在でした。
でも、そんな娘が2年前に亡くなってしまいました……。
いつも、玄関で出迎えてくれるはずの娘がいない……。
いつも当たり前のように家の中に響き渡っていた娘の笑い声がない……。

辛いなんてもんじゃない・・・・・・・・・・・・・・・・・

今更ながらに、娘の存在の大きさを実感しています。

tuyuki01のコピー

このような経験をして今思うことは、
「当たり前」が当たり前ではなく、とてつもなく貴重で大切なことであるということです。

朝起きて、仕事に行って、夜帰って家庭に戻ると、そこに家族がいる。その日常が毎日出来ていること自体が奇跡であると思っています。日常に慣れてしまうと、そのありがたさが分からなくなってしまう。人生の中で、結婚し、子どもが生まれて家族が出来る、その過程には、いろいろ壁にぶつかり、思い悩むこともありますが、そういう経験が出来ること自体が幸せだと思っています。

こんなことがありました。
他県に嫁いだ姉からメールが来ました。就職が決まったばかりの甥っ子(当時22歳)なんですが、彼女に子どもが出来てしまったとのこと。姉夫婦は二人とも中学校教諭の教育一家で躾に大変厳しい家庭。義兄は激高し「勘当だ!」といって、息子には会わない等大騒ぎになりました。

私は義兄に伝えてほしいと言って姉にメールを送りました。

順番は違ってしまったし、自分も兄貴の立場だったら怒るかもしれないけど、でもね……自分にとっては、息子に勘当だ!といって怒っている兄貴がうらやましいです。怒る息子がいて、孫が生まれて……それだけでも幸せなことだと思います。自分にはそんな経験は出来ないのです……

それ以来、義兄は何も言わなくなったそうで、今は、可愛い孫4人に囲まれて幸せな生活を送っています。

もちろん、悩みは人それぞれだと思いますし、人によっては重大で、自ら命を絶ってしまったりするケースもあるのが現実です。当事者になれば一番大きな問題であり、それを軽くみているわけではなく、見方を変えると考え方も変わるのではないかと思っています。

私のところに来る相談者のほとんどが目先のことで悩んでいる人です。
そもそも、「しずおかジョブステーション」に相談に来たこと自体が凄いことで、自分を変えたい、と気づけただけでも凄いことだと賞賛するところから始まります。
また、全て一人で抱え込んで負担を背負ってしまっている方も多いです。そんな方が相談する相手や場所があると知っただけでも変われる方もいます。きちんと話すことのできる他者の存在も大事ですね。

子育てのお母さんたちは、本当に一人の世界で毎日が子どもや家事だけ。無意識に周囲の人と比較したり葛藤があったり、目の前の子育てで悩んだり、それを自分だけで抱え込んで考えていると病んでしまう。そんな負のスパイラルに陥ってしまう人も多いですね。

—— 今実際にそういう人多いと思うんですよ。母親という責任感をしょって、なぜこれができないんだと自分を責めたりとか。理想像のお母さんにならなきゃという方多いと思うんです。露木さんはどのようなスタンスでアドバイスしているのでしょうか?

先ずは、決して一人で背負わないこと、周りに頼るという勇気も必要であることを伝えています。また、自分の経験談やアドバイスは意味ないということです。自分と目の前の人は違うわけで、相談者自身が「こうしていこう」と思えるような関りを意識して相談を受けています。
 
—— でもアドバイスしがちじゃないですか

そうですね。ここがなかなか難しいところで、いろんな方々と関わる中で、キャリコンサルタントとして、自分自身が一番身に付けるべきカウンセリングスキルだと考えおり、そういう意味でも、日々実践を積み重ねています。

—— 年間1000人を超えるカウンセリングの体験から来る言葉ですから、重みがあります。今日はありがとうございました。

(編集後記)
「人とのつながり」がわくわくエンジン=活動の原動力である露木さん。
なぜキャリコンになり、活動しているのかは自分でも分からないんだよね、と言いながら、その笑顔がとてもキラキラしていたのが印象的でした。私の主人も定年が見えてきた年代です。定年後からのキャリアについて深く考えさせられるインタビューでした。
(ライター・てらっち)

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