見出し画像

#43 それぞれの道

こんばんは。

7/12は蓮始開(はすはじめてひらく)

ここ一週間の我が家のキーワードは、
「それぞれのこと」だ。


共同のお財布制度から定額の共用費を毎月集金し、差額は個々人が好きに使う制度に移行した。いわゆる、シェアハウスはそんな感じだろうか。


共同のお財布制度は「家計をひとつにする」と呼ばれており、稼いだ額が大きいから偉い、凄い、額が少ないことは能力が低い、貢献度が低いなどと暮らしをともにする人々の間に不必要に優劣の感情を呼び覚まさないこと、例えばレストランでの割り勘のような個別会計から生まれる手間の削減、個人で収支をつけることによるお金の不足感欠乏感を回避することを目的に導入されていた。


定額納める場合、不払いの人がいることは一目瞭然だが、誰がどれくらい稼いでいるのか誰がどれくらい何を払っていないのかわからなくする仕組みのお陰で僕も含め随分金銭感覚や人間関係に変化が起こった。


しかし、人の内面が変化し続けるなか、変化のない仕組みと変化を重ねる内面に齟齬が生じてくる。

「ひとつの家計(家族のような)」と「個個別別の家計(一人暮らしのような)」はある種の両極端の家計のあり方で極端である。人それぞれに応じた家計のあり方がそれぞれの人生の歩調に応じて必要となってきたことが、はっきりしたのが今月のハイライトかもしれない。


家計を一部個別会計にすることは、人と人の関係というか心のつながり具合を希薄に弱くするわけではない。仕組みがそうだからお金に対して気楽になるのではなく、気楽でいられる人がいるからお金の話しも気楽になる。


いま、その気楽な関係性のベースが育ってきたからこそ「それぞれやりたいこと」に時間もお金も心も向けようというムーブメントが起きているようだ。


ご多分に漏れず僕自身も僕に適した暮らしや生き方をまっさらなところから描き直している真っ最中である。

7人もの人が「それぞれやりたいこと」をやりたいだけやっても、誰も迷惑被らず、誰も不自由にならず、誰も嫌な気持ちにならないなんてことはあり得るのだろうか?

そもそも、「それぞれ」のやりたいことなんてあるのだろうか?

これからそんなことが明らかになっていくのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?