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愛すべき図々しさの先に
「私は充実した大学生活を送れたのか」
最近このことについてよく考える。
私の理想の大学生は横道世之介だった。
大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳。愛すべき押しの弱さと愛すべき図々しさで、様々な出会いと笑いを引き寄せる。友の結婚に出産、学際のサンバ行進、お嬢様との恋愛、カメラとの出会い・・・・。誰の人生にも暖かな光をともす、青春小説の金字塔。第7回本屋大賞第3位に選ばれた、柴田錬三郎賞受賞作。
しかし、「横道世之介になりたい」と公言するような大学生にはなりたくなかった。
そんなことを口走るのはダサいと思っていた。
結局、このnoteという不特定多数の眼に晒される場所で公言しているのだから
私はかなりダサい。
もう開き直ってやる。
私は横道世之介になりたかった!!!
ふぅ、諦観したことでとてもすっきりした。
横道世之介を目標に大学生活を送った結果
新歓で出会った可愛い先輩に惹かれて教職をとることになったり
高校の先輩の紹介で鴨川納涼床でバイトを始めることになったり
はたまた、ドイツ語の授業で知り合った女の子に誘われて無人島でボランティアをするはめにもなったし
教室の机に置いてあったビラを見て京都市議会議員のもとで働いたこともあった。
ほかにも、宅飲みで初めて会った女の子と月一で京都国立博物館で展示を観に行っているうちに、いつの間にか月一でご飯に行く仲になったりもした。
(その子とは今でも仲のいい友達です。)
緊急事態宣言をきっかけに、一人飲みをおぼえ、行きつけと言える飲み屋もできた。
そこで同じく一人飲みしている芸術家と著作権の話で盛り上がり、夜中に知財談義をしたこともあった。
一人で深夜喫茶で小説をひたすら読んでいた夜もある。
単館上映の映画を観て一人涙したこともある。
多くの出会いをし、その出会いを通じて様々な感情を抱き、それまで自分が考えたこともないような考え方を持つこともできた。
そのような経験ができたことは、良くも悪くも京都特有の仲間内のコミュニティの強さのおかげだと思っている。
こんなことは、就活の面接で話すようなことではないのかもしれない。
そういうことをしている自分が好きで、自己満足に浸っているのかもしれない。
それを踏まえた上でも私は京都が好きだし、このとき、この場所、この空間でこの人たちと4年間を過ごせたことがとても素晴らしいことだと思える。
✳︎このnote、実は3週間ぐらい悩みながら書いててて、その流れで懐かしくなり『横道世之介』を久しぶりに読んだ。
世之介は、確かに無計画な人間で流されやすくその図々しさゆえに多くの経験や出会いをしていた。
ただ
それだけじゃなく
その経験を、何年後、何十年後と振り返ったときに
「青春時代に世之介と出会わなかった人がこの世の中には大勢いるかと思うと、なぜか自分がとても得した気持ちになってくる」(p189引用)
と、一緒にその時代を過ごした人が思ってくれるような人間だった。
改めて
「私は横道世之介のような充実した大学生活を送れたのか」
今はまだわからない。
何年後か何十年後かに、私と、この4年間を過ごしてくれた人たちが、
「あぁ〜、あんなやついたな、また会いたいな」
と思ってくれていたら私の4年間の大学生活はその時本当に充実したものだったと言えるんだとおもう。
大学卒業の日までにこのnoteを書き終えることができて本当に良かった。
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