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蟲医入門

子ども科学電話相談で、「虫のお医者さんはいないの?」という質問が話題になったことがある。虫は人間のような生活環ではなく、多産多死の世界で、そういう生き方をしているからお医者さんはいないのだと先生が話す。大人にとっては当たり前のこととして、若い頃に受け入れてしまうことだが、子どもにとっては虫のお医者さんがいないことがむしろ驚きらしい。
だが現実になぜ虫のお医者さんがいないのか、という問いには、虫のお医者さんは現実にはいるのだと答えることができるかもしれない。養蜂家にとっての獣医は、蜜蜂のための薬を扱うことのできる貴重な存在であり、一定の需要が存在するのだ。だがしかし、年がら年中それをやるわけにはいかず、虫を治療するだけで食べている人はたぶん恐らく存在しない。
しかしながら私は、科学の発達が著しい現代において、蟲医を夢見るのは決して悪いことではないし、むしろそれを現実のものとしなければならないと言いたい。

最初に断っておくと、私は虫の専門家でも、動物の専門家でもない。植物の専門的な知識は多少はあるが、専門家を名乗るほどではない。しかし、虫のお医者さんのSF、「蟲医」のシリーズを書いていて、一人でこっそりとKindleに出している。
どういう経緯でそれを書くことになったのか、説明すると少し長くなる。
そもそも、虫のお医者さんという概念は、何も突拍子もないアイデアではなく、少し考えれば誰もが思い付くものであるという話をしておきたい。生命について少し思い巡らせたことのある人なら、そういうものの存在には思い至るはずで、それをきっかけに医学を志す人もいるだろう。蟲医という発想そのものは自分一人の、オリジナルなものでは決してない。
少し検索をかければ、虫のお医者さんについて考えたブログなどが目につく辺りからもそう言えるだろう。誰かが思い付いていたが、そのアイデアを形にする方法がなかったのだ。
私は蟲医のアイデアをベースに、シュ永デ琳宮国という架空の国を構想し、混沌態という半角カナと全角文字を混合させた表現方法を導入して、全く新しい文学の形で提示することを考え、そのアイデアを何回かブラッシュアップさせ、原稿を仕上げた。それは、当初SFの公募に送る予定だったのだが、当時のその公募が審査員の体調不良によりお休みになってそれができなかったので、Kindleで公開した、というわけだ。

私の蟲医執筆のきっかけは、大学生の頃に勉強していたカント倫理学の影響が色濃い。カナダのアルバータ大学に私費留学したとき、大学で哲学の講義を取り、エッセイを書くために、カント倫理学の本を英語で読んでいたのだ。というか、名目上は森林学を勉強するために留学を勝ち取っていて、同時期に森林学も取っていたのだが、それはほとんどそっちのけで哲学ばかりやっていた。
それでも自分の中で問い、考えていた。なぜ植物に命があるのに、林業という産業の中でその命を扱わなければならないのか。樹木は切られても、まだ命は残っている。しかし、人間のエゴで材木を取ってくること自体にかなり違和感があった。私がその話をすると、周りの学生はそんなに気にしていない印象で、むしろ木を切ったあと材木にすることへのコストだとか、生産性とか、そちらの方を気にしている人が多かった。つまり、植物に命があると考えていた人自体が、そもそも少なかったのだ。
こうした哲学的な思索の中で、以前から愛読していた永井均の『倫理とは何か』を読んで触れていた、カント倫理学に大学の英語の教科書で触れることになる。当時の感触としても、私はカント倫理学が好きで、特に「しなければならないからする」という定言命法的な義務論が、読んでいくうちに統覚や理性とつながっていくところが私の好みで、現実の生の感覚と合っている、という感じがするのだった。

林業の世界では二酸化炭素として固定した木を切って持続可能な形で利用することは最初から常識になっていたのだが、私の中ではその常識が――常識の科学的な正しさというよりは、利用しなければならない理由が後付けのような気がして、かなり疑わしかった。
樹木の手入れが必要とはいうが、人工林の場合はそうだが天然林は必要ない、ならば人工林と天然林の境界線はどこにあるのか? 自然と人工はどこで対立するのか? こういうことをずっと考えていた。
帰国後、病気をして、病院通いをしながら、自分が治療者となれないことが悲しかった。そんな折に昆虫食に触れたことで、虫を治したいという気持ちを思い出した。それで一番最初の蟲医の草稿を書いた。そこから、蟲医は始まった。

そう、以前の原稿では書いている。
しかし、私はこうも思うのだった。

私は蟲医になりたいのか?

この問いにYesとは答えられない。昆虫憲法まで作り、蟲医の世界を形作った私だが、私自身は蟲医になりたいとは思わない。蟲医は、あくまで物語の中の世界だと思う。現実に虫の治療をすることは、途轍もない苦悩だと思うし、そういうことを書きはするけれども、蟲医をやれと言われたとして、10億ドルもらっても、虫の命を預かることはできれば避けたい。
しかし、そうは言っても現実に実現したいという気持ちもある。どっちなんだ?
答えはこうだ。
私は蟲医を書くが、蟲医にはならない。私は蟲医の物語の紡ぎ手でありたい。
私は理念は書き、理想は語るが、自分の手で治療することはしない。私は、あくまで治療者ではなく、作家なのだ。誰の命を預かることもしたくない。実際に手を汚すことは、研究者や治療者がすればいいのだ。
その代わり、蟲医がなくて苦しかった人たち、欲しかった人たちの心の拠り所となりたい。虫を救うのでなく、人を救いたい。
何しろ、私自身が蟲医を書くことで、救われたのだから。

私は蟲医を書くことで、虫ではなく、人を救っているのだと思う。
虫のお医者さんのことを書いていたブログの人が、自殺で亡くなったことを知ってから、私は自分がその人から概念を奪ってしまったのではないかと考えたときもあった。虫のお医者さんは、存在するかも曖昧なものだから、人が目指す対象としては、あまりに儚く、一人の力では完成させることさえ、難しいのかもしれない。
どうして、人は虫のように強く生きれないのだろうか。憂鬱の中で、私は考えた。私のように、精神を病んでも、蟲医を通して色んな人と出会い、救われた人もいる。
どうすれば良かったのだろう。今でも考えるが、少しずつ物語を進めるしかないだろう。





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