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小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 1
その日は朝から歯が痛かった。 どこの歯が痛かったのか、結局忘れてしまうくらいなのだから、虫歯ではなかったのかもしれない。
歯が痛くてわざと三メートル向こうに置いた携帯電話を視界の隅で意識しながら、僕は歯イタを耐えていた。 鳴らない電話を憎らしく思うのは、僕がそれが鳴るのを待ち焦がれていたからだ。電話はいつまでたっても鳴らない。
僕は鏡で口を広げた奥を眺めたり、窓を開け放しては外の風に
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 2
僕はねえちゃんの額に触れた。
「あやこ、あやこ」と呻きながら、じいちゃんがイリニウムの床に座り込んだ。病院が手配した葬儀屋が来るまで、それからあまり時間はかからなかった。
病院の裏口で主治医と看護師たちが見守るなか、僕らと姉ちゃんは葬儀屋の黒いワゴン車に乗り、そして見送られた。その晩、僕は姉ちゃんのそばから離れなかった。
じいちゃんは、わしも絶対寝んぞ、と言っていたのに、酒を飲んでい
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 3
それから三日後に姉ちゃんは決まっていた就職先に電話をして、就職を辞退した。近所の書店でバイトをしながら、家のことをするようになった。じいちゃんと僕の食事の用意、掃除に洗濯。だらしない僕を母さんと似た口調でたしなめた。
「ロウソクが小さくなっとるぞ」
僕は慌てて燭台に新しいロウソクを灯した。
じいちゃんは姉ちゃんのそばに寄って、その顔を見下ろした。
「じいちゃん、目が覚めたの?」
その問いに
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」4
姉ちゃんの肉体が煙となり、灰となり、骨だけになって、僕は絶句する。荼毘に付された姉ちゃんの骨を拾うのは、僕とじいちゃんだけだった。僕は長い箸を握ったまま動けなかった。じいちゃんは僕の背を押し。僕は促されるように姉ちゃんの真っ白い骨を陶器製の壺に入れる。手が震えてうまくできない。
最初に病名を言い渡されて開腹手術をしなければ命が危ないと言われた時、姉ちゃんはいやだと言った。切るのはいやだと僕にし
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」5
「火葬場って、夏は熱いよね」
ユカが言った。「あたしも経験したよ。九州のおばあちゃんのとき。骨から湯気が立ってすごい熱気。熱くて近づけなかった」
僕とユカは公園のベンチに腰かけて、蝉の鳴き声を聴いていた。ここは木陰で、汗を冷ます風が通り抜ける。
「結局ゆうやのお姉ちゃんには一度も会えなかったね。一度くらい会ってみたかったけど。ゆうやはしょっちゅうお姉ちゃんのこと、話してたもんね。きれい
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」6
【前回までのあらすじ】両親が死んでから、姉ちゃんと僕はじいちゃんと暮らすことになった。姉ちゃんは料理を覚えて懐かしい母さんの味の料理を作ってくれた。そんな姉ちゃんの病気が発覚、死んでしまう。姉ちゃんの闘病と、そして僕の「いま」が交差する物語。
手術の三日後に、姉ちゃんは人工呼吸器を取り外すことができた。
口の中へ繋いだ管がなくなっただけで姉ちゃんを取り巻く悲壮感みたいなものはずいぶんと和ら
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 8
【あらすじ】両親が死んでから、姉ちゃんと僕はじいちゃんと暮らすことになった。姉ちゃんは料理を覚えて懐かしい母さんの味の料理を作ってくれた。そんな姉ちゃんの病気が発覚、死んでしまう。姉ちゃんの闘病と、そして僕の「夏のいま」が交差する物語――ゆうやとじいちゃんの会話、続いています。
「じいちゃん、ほんとに一人になっても大丈夫か?」
「なに言うか。大丈夫じゃ」
「一人で飯食える?」
「当たり前じ
小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」第10話
【前話までのあらすじ】姉ちゃんを喪った僕は、姉ちゃんが生きていた過去をいったりきたりしながら、姉ちゃんの短かった人生と僕の未来をぼんやりと思う。登場人物は四人だけ。
ゆうや・・・僕
あやこ・・・僕の姉ちゃん
じいちゃん・・・僕のじいちゃん
ユカ・・・僕の彼女
遠くの山が新緑で眩しくなるころ、学校を終えていつものように僕は姉ちゃんに会いに行った。中間試験中だったから、いつもよりずっと早く病室に着
小説 「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」第11話
【前話までのあらすじ】僕は結局のところ、姉ちゃんの苦しみがわかっていなかった。病院から連れ出してやると言った僕に姉ちゃんはほほ笑んだだけだった。
「大事なのはゆうやの未来でしょ」
九月下旬の公園は夏と変わらない暑さで覆われていたけれど、それでも蝉の声はすっかり聴かなくなっていた。濃い緑の葉をつけた木々は時々風に音を鳴らした。
「今日も暑くねぇ?」
「話をそらさないで。いつまでグダグダして
小説 「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 12
【前回までのあらすじ】ねえちゃんは僕の誕生日の前日に電話をかけるとじいちゃんに伝えていた。でも電話は鳴ることなく、姉ちゃんは死んでしまった。僕はといえば、家で姉ちゃんからの電話を待っていたから、姉ちゃんの死に目には会えなかった。そんなことを思い出しながら、僕は公園でユカと進路について話していた。
僕はずっと考えていた。どうして姉ちゃんがこの世から飛び立つその瞬間、姉ちゃんのそばにいてやれなかっ
小説 「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 最終回
【前回までのあらすじ】すこしずつ、姉ちゃんのいない夏に慣れていく僕は、大学進学をようやく決意した。夕暮れの風を受けて、夏の終わりを知る。
「今日はあさりの味噌汁と太刀魚じゃ。初物じゃからの、元気が出るぞ。ゆうや、ビール飲むか」
帰ってきた僕を玄関まで迎えに出てくれたじいちゃんは元気な声でそう言った。
「太刀魚にビールはうまいぞ。お前もたまには飲め」
じいちゃんと僕は食卓を囲んできんと冷