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良い部分を、見る・知る・得る習慣

ただいま電車の中でいろいろ思うことを書いていく。軽量ノートはこういうときにありがたい。

昨日は、「正月映画らしいものを見よう」の気分から「6アンダーグラウンド」を観賞。映画館も遠いのもあるし、Global展開を踏まえ萎縮するハリウッドのカウンターとして、Netflixが何をしているのかも興味があったので。

結論からすると、懐かしいアメリカ映画感(バイオレンス、アクション、ウィットが効いた掛け合い)を詰め込んで、「辻褄?美味しいのそれ?」「この構図かっこよくね?このカメラワークでしょ?」に仕上がっているので、正月休みを楽しむならありかと。

この手の映画だと、よく言われるのが、「脚本やキャラの深掘りが甘い、辻褄が合わない」など出てくるのですが、完璧に辻褄を合わせれば、合わせるほど説明っぽくなり、テンポが遅れていく。

そうなると、爽快感・疾走感が失われていくことになる。作るものって、こういう「こちらを立てれば、こちらは立たない」という事象は大き気がしています。でも、不思議なのは「こっちが立ってないじゃないか!」という人々。

誰とは言わないけど、先日とあるインタビューを読んでいて、その人の意見の一部になるほどと思ったのですが、その記事のコメントを見ると、「論理破綻している。この人いつもそう」という声が出ていて。

なるほど、指摘部分は、言われてみると…という気づきもあったのですが、よい部分ではなく、悪いところばかり見る人っているよなと。

良く言えば完璧主義なのでしょうが、疲れる人生だよなと。なかなか、自分ではその生き方は、しんどいぞと。少なくとも、いいなと思う情報を取得・醸成・出力するスタンスを維持していこうと思っています。

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