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【掌編小説】正月のしあわせ

 いつも通り携帯をみる。時刻は一月一日八時半。みずのとうさぎ年の幕開けだ。布団から体を出さないように部屋のカーテンをあける。窓の奥には冬の透き通った空と輝く朝日が見える。まぶしく光る朝日はボクの横で眠る母さんと姉ちゃんのことも照らしていたが、二人は一向に起きる気配がない。

 ボクは今年の年越しも寝てすごした。たしか、昨日、寅年最後の日に、寝たのは夜の二十一時頃だったきがする。大晦日のテレビを見ていた母さんと姉ちゃんの「どうして今寝ちゃうの?」「ここからおもしろくなるのに」という声を無視して、二階に寝に行った。
 
 ボクは生まれてから一度も新年を起きて迎えようという気が起きたことがない。
 寝て年を越すデメリットは冬休み明けの会話についていけないことだろう。たしかに、お正月明けの学校では大晦日のテレビ番組の話で持ちきりになるから話についていけないことがあったりもする。でも、一週間もすれば年末年始のテレビの話題なんて誰も話さなくなるのだ。

 寝ている母さんと姉ちゃんを横目に大きくのびをする。
 ――今年で一番いい朝だ

 一階に降りるとばあちゃんが台所で朝ご飯の準備をしていた。元旦だというのに朝からはたらきもののばあちゃんだ。
 「あら、おはよう、元旦なのにはやいわね」
 「ばあちゃんもね」
 
 ぼくたちの家族は年末にばあちゃんの家で過ごすのが毎年の恒例行事になっている。大きな川に沿って建てられたばあちゃんの家は、ばあちゃんが一人で暮らすには大きすぎるくらいで、木造の温かみを所々に感じる二階建ての家だった。
 リビングにある木製のテレビ台にはボクと姉ちゃんといとこの三人で撮った写真が飾ってある。十年前に行った近所の一条神社での初詣の写真だ。
 にこにこ笑っているボクと姉ちゃんに対していとこはむすっとした顔をしている、なんとも特徴的な写真だ。
 十年前の初詣、はじめて財布を手にしたいとこは緊張からか、賽銭箱に財布ごと奉納するという暴挙にでてしまった。ボクと姉ちゃんはおかしくなって大笑いしてしまったが、いとこはそれが気に食わなかったらしい。その日のいとこは終始不機嫌な態度で3人で写真を取るときも不機嫌なままだった。
 
 ――なつかしいなあ。

 そんな昔の思い出にひたっていたら、どすどすと階段を降りてくる足音が聞こえる。この他人の迷惑を顧みないような足音は、いとこだな。

 「あら、あんたもはやいわね、おはようさん」
 「ばあ、おはよう」
 
 やっぱりいとこだ。いとこはばあちゃんに挨拶するなり、すぐさまテーブルにおいてあった本を手にとり読み始めた。
 いとこはいつもこんな調子だ。場所と時間にかかわらず本をよみふける。ばあちゃんいわく、学校でもよみふけっているようで、話しかけてくる子も平気でシカトするらしい。端正な顔立ちに加えてスタイルも良いから気になっている男子も多いことだろうに、無視するとはもったいない。多分いとこは、男とか恋愛とかにみじんも興味がないのだろう。

 「ばあ、もち」
 いとこは本から顔を上げずにばあちゃんに言った。
 「はいよぉ」
 ばあちゃんの穏やかな返事が聞こえる。
 
 いとこと家族との会話はいつもこんな感じだ。いとこはいつも短い文でしかしゃべらない。さっきの会話の意味は「ばあちゃん、朝ご飯にもちを食べたいな」の省略形である。なんとも省エネないとこだ。

 「今年も一条神社にお参りにいくのかい?」

 慣れた手付きでお雑煮の具材をとんとん切りながらばあちゃんが聞いてくる。ばあちゃんの声はいつも優しい声だ。
 「うん、そのつもりだよ」
 ボクは毎年近所の一条神社に初詣に行くことが習慣となっている。
 ボクはできたてのおもちを飲み込みながらばあちゃんに返事をした。きなこの味が朝の体に染み渡る。このおもちはきのう近所の和菓子屋さんがくれたつきたてのおもちだ。市販のものと違い、もちもち度が段違いなのだ。
 
 もちを食べ終わったら初詣に行こう。母さんと姉ちゃんは一向に起きる気配がない。母さんと姉ちゃんが昼過ぎにのそのそとそろって一階に降りてくるのは毎年恒例なのだ。

 大晦日のテレビ番組を観ないのはもったいないと二人は言うけれど、ボクにとっては年末遅くまで夜更かしして、年始のスタートを遅らせる方がもったいないと思う。
 ボクにとっては大晦日の大爆笑な夜を逃すより、年始のわくわくな朝を逃す方がもったいないと感じてしまうのだ。こんな調子だから年始の母さんと姉ちゃんの生活リズムとボクの生活リズムは見事に反転する。

 ふといとこの方をみるともちをはむはむと食べながらボクのことを凝視している。なんだ。何か悪いことでもしたのか。

……

 いや、違うな。これは初詣にワタシも行きたいというまなざしだ。毎年ボク一人で初詣に行くのも飽きてきてたから今年くらいいとこと一緒に行くのもありだなと思う。

 「行くか?」

 「参る」

 ボクの目を凝視していたいとこはボサボサの髪ににつかないくらい爽やかに笑って返事をした。いとことの会話は多く見積もって五秒いかないことがほとんどだがそれで十分だと思う。

 
 一条神社に着くと木の陰から顔を出した一〇時の太陽がボクたちを照らした。本殿まで続く階段をのぼり、爽やかな疲労であがった息が白く空に溶ける。

 「これ、うま」
 甘酒が注がれた紙コップを両手で抱えていとこは控えめに笑う。ふと空に目を向けるときれいな青空が広がっていた。参拝に向かうひとたちの頭上には雲ひとつない青空がひろがっていた。

 ――今日はうさぎ年で一番幸せな日だな

 声に出したつもりはなかったが、それに応えるようにいとこがボクの顔をのぞき込んで微笑んだ。
 「もち!」

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