見出し画像

梶間和歌プロフィール小説~「及ばぬ高き姿」をねがひて~ 【第2章】

第1章からお読みください。

第1章 女であるということ
第2章 正しさのむなしさ
第3章 本当に美しいもの
第4章 この世ならざる美を追って

画像1


第2章 正しさのむなしさ

画像2

 

東京に飛び出したのは23歳の時だ。


都会は田舎と違う。

新宿とか、人通りの多い場所で店を広げている人たちがいる。そのなかに“路上詩人”を名乗る人たちが散見された。
「あなたの目を見て、インスピレーションで言葉を書きます」なんて看板を掲げている。


「この人たち、詩というものを何だと思っているのかな」
彼らに怒りと軽蔑の念の生まれたのが最初だった。

画像3


このご時世、一生懸命生きていない人……などいるわけがない。
社会人として表向きは笑っていても、裏ではそれぞれ、いろいろ、ある。
なかなか認められない、人生が思うように行かない、傷ついた、裏切られた……そんな想いを抱えた人に宛てて

「これまで人知れず頑張ってきたね」
「あなたの笑顔は世界の宝だよ」
「だいじょうぶだよ。世界を信じて」

なんて相手を思いやった言葉を書けば、7、8割の人は喜んでお金を払ってくれる。
傷ついているんだもの。そしてその傷に一時的な癒やしが与えられるんだもの。
 

そんな、弱っている人の心に付け込んで、絶対に買ってもらえるもの・・・・・・・・・・・・を即興で綴ったメッセージ・・・・・
それをと言い張って売る……面の皮の厚さ。

「僕、書道家じゃなくて詩人ですから」
ヘタウマ、というか下手でしかない筆文字を、そんなふうに言い訳して練習もせず堂々と売る姿勢。

「売れない時は字の練習ではなく笑顔でゴミ拾いをするといい。徳を積むと運気が良くなってお客さんが来るようになる」
と大真面目に後輩に教える人間関係。

実力ではなくコネでイベントに呼ばれ、仲間同士でお客を融通し合って成り立たせる経済生活。


ああ、醜い。汚い。その精神性のすべてが許せない。
詩を、芸術を、何だと思っているんだ。

「私ならもっと良いものが書ける。詩人として恥ずかしくない作品が創れるし、売れるわ。
 その結果で、こいつらを黙らせてやりたい」

画像4


こうして私は路上に店を広げ始めた。


書道店で本を買って死ぬほど練習した。
書道家と張り合う気がないとはいえ、誰が見ても思わず「うまいですね」と言ってしまう字……百歩譲っても「味がある」ぐらいには確立された字が書けなければ、作品として販売して人からお金を頂く資格などないだろう。
“路上詩人”たちへの反発から始めた仕事である以上、とにかく彼らを反面教師にした。

そして、私は“路上詩人”を名乗らなかった。
看板にも名刺にも書いた肩書きは“詩人”の一語。


そもそも、目の前のお客さんに宛てて即興で書く詩が売れるのは当たり前だ。
オーダーメイド作品が喜ばれなかったとしたら、どれだけ低レベルなのかというお話。論外でしかない。

そんな、売れて当然のものが売れて満足するのは、“路上詩人”なんて概念に甘えた奴らだ。
“詩人”はそんな誘惑に屈しない。誰のためでもない“作品としての詩”が買われてこそ“詩人”だろう。

私は、自分に妥協を許さない。言い訳できない肩書きを率先して自分に課す。
自分にも、世界にも、言い訳できない“詩人”という肩書き、アイデンティティを。
 

そうした姿勢が通じるのか、誰のためでもない詩を色紙や和紙に書き溜めたもののほうが、即興で書く詩より売れるようになった。
続けているとさすがに業界の友人も少しは出来たのだけど、すぐにわかった。書き溜めた作品のほうが売れるのは私ぐらいだ、と。

でもそんなの当然よ、私は“詩人”なんだもの。

うれしくはあったけれど、満足したことはなかった。
当然そうあるべき結果を得て満足するなんて、そんな卑しい精神で生きたくはない。

画像5


私が作品として詠む詩には、自分の想いも詠むし、自分を超えたものも詠む。
月経のつらい時なんかは特に良い詩が生まれやすい。意識がどこかにつながっている気がする。

よく詠むのは子宮にまつわる詩だ。
月経、望まない妊娠、中絶、出産、不妊……そういう詩がどうやら私には詠みやすいらしい。

元カノが自分の子どもを妊娠して、自分の意に反して堕ろしたのだ、という元彼がいた。
その元彼や元カノの意識を憑依させて中絶の詩を詠んだこともある。


自分のことも詠むけれど、創作の範囲がそこにとどまっていたらつまらない。
詩人、芸術家だもの。自分の経験した範囲、考えられる範囲の事だけを表して、何が楽しいのだろう。日記でもあるまいし。


良い詩の生まれる時は“つながっている”“降りてくる”感じがある。
世界中の女たちの無意識が、私の体を使って子宮の詩を詠ませる、そんな感覚だ。

私は私であって私ではない。この体は、“詠むべき詩”の代理母とでも呼ぶべきものなんだ。
そんな自覚を増していった。


そして、驚いたことに、そうした詩が売れてゆく。子宮の詩が売れてゆく。
「誰得? 」と思いながらも、「でもこれを詠むべきだ」と感じて生んだ子宮の詩。それらが、「それこそがいい」と売れてゆく。

驚いたことに、と言いつつ、それが当然だとも思う。本来、詩とか芸術作品とかいうものはそういうものなんだ。
とはいえ、「陽子の笑顔は世界の宝だよ」みたいなメッセージを“詩”だと言い張る“路上詩人”の常識では、とても考えられないことだった。

画像13


また、その言葉は次第に七五七五や七七七五の韻律になっていった。

正直そんなもの、習った記憶もない。
中高はまともな国語教育を受けていない。百人一首なんて一首も言えない。

だけど、血の記憶、遺伝子の記憶があるんだと思う。
日本に育った人間が日本語で詩を詠む以上、七五調になるのが自然な流れなんだろう。

画像7


そうして2年が経とうとしていたある日、ふと思った。

いつまでも路上で稼ぐのは違う。
腕一本でとか、矜持を持ってとか……どんなにキレイな表現をしたところで、している事はしょせん道路交通法違反。
駆け出しのころはともかく、世間様に目をつむってもらって5年、10年と生活費を稼ぎ続けるというのは、どうなのかしら。


醜いと気づいた以上醜い行為は続けられなくて、路上販売をやめた。
潔癖だとよく言われるけど、仕方ない。醜いものは醜いんだもの。


代わりに週末のフリーマーケットのアート部門や手づくり市に、参加費を払って出店・出展するようにした。
そのなかでは数万単位で売れる実力があったようで、出展者仲間に一目置かれることもあれば妬まれることもあった。

ただ、月全体の売上は落ちた。週7でしていた仕事が週末のみになった以上、当たり前だ。出展費用だって毎回掛かる。

醜いと気づいた行為をやめて、美しく生きようとすると、生活が苦しくなる。
この世界は、そういう世界だった。

画像8


そして、路上時代からあったナンパが増えた。
そういう人たちに愛想よく振る舞って大きな仕事を取る同業者がいることも知っている。

でも私は、作品ではなく人間性で稼ぐこと、それも媚びへつらった、本心でもないお愛想で金を稼ぐことを、醜いと感じるから。
ゴキブリを見るような目でバサバサ切っていった。

必要に応じてイベント主催者に訴えもしたし、和装の私や筆文字の作品に許可を取らずにカメラを向ける外国人観光客に英語で怒鳴ったこともある。
ああ、独学で身につけた英語力の使い道よ。

毎年夏を終えるころには、ナンパよけのダミー指輪の日焼け跡がくっきりと残っている。むなしい。

画像13


そうやって、私の考える醜い事、美しくない事を私の生活から排除しようとすればするほど、コントラストが身に沁みる。

経済的に豊かなのは、路上に座り続ける人。
道路交通法違反を恥じもせず何年も路上に店を出す人。
詩とは何か、美しさとは何かを追究する私ではなく、通行人の心の満たされなさに付け込んでゴミみたいなメッセージ作品を売る人。
ナンパに毅然とした態度を取る私ではなく、ヘラヘラ笑って仕事を取る女たちのほうだ。


私は正しい事をしている、自分の美学に恥じない働き方をしている、そう信じていても。現実はこのとおりだ。
本業で満足に稼げなくて、向いてもいないカフェバイトをしてはうつを再発させたり、数ヶ月でやめたり、の繰り返し。
正しくない、美しくない事をしている人たちばかりが、お金の苦労と無縁にのほほんと生きてゆく。

画像10


購入者は熱心なリピーターになって応援してくださる。私の作品に価値があり、私の姿勢も間違っていない証拠だ。
ただ、絶対数が少ない。あまりにも少なくて、生活できない。


でも……昔からそうだったよね。
ここは正しさじゃなくて、うまくやってゆくすべを身につけている人が得をする社会だったから。

なのに正しい生き方をやめられない私。潔癖で、融通が利かなくて。
まったく、どこまでも難儀な性分だな。

画像11


経済的にも精神的にもしあわせに生きられない人生なら。

せめて、自作を未来に残したい。
「あの人は貧乏で不幸だったけど、間違っていなかった。こんなにすばらしい作品を人類史に遺したんだもの」
という千年後の評価だけを信じよ、私。

そうして80年の、不幸を積み重ねるだけの人生を、少しは意味のあったものとして……使い切るんだ。

画像12

 

梶間和歌プロフィール小説 ~「及ばぬ高き姿」をねがひて~
第1章 女であるということ
第2章 正しさのむなしさ
第3章 本当に美しいもの
第4章 この世ならざる美を追って


この記事が参加している募集

自己紹介

応援ありがとうございます。頂いたサポートは、書籍代等、より充実した創作や勉強のために使わせていただきます!