自分のために仕事をする。誰かのためにもなっている。

尼崎ENGAWA化計画ってどう生まれたの?いまどんな感じなの?今度行くまでに改めて知っておきたいなと思っています。

というご質問。ありがとうございます。

いやー、この活動(ありがたいことにいまや仕事)は、ほんとあそび心からスタートしているのです。

というのも、もともとは商業ビルの空きスペースにかっちょいい公民館みたいなあそび場をつくろうとしていたのです(2015年)。3人のメンバー(市職員とDIYパーツ屋)で。そのとき、便宜的に活動を名付けようとなってつけたのが「尼崎ENGAWA化計画」という名前(屋号)。

「amare(あまり)」というそのあそび場ができてからは、ぼくが「尼崎ENGAWA化計画」という屋号を引き取って、活動・仕事を続けているという感じです。そして、そのあそびがどんどん広がって、今のぼくの仕事があると。

なので、とても大切なポイントなのですが、ぼくのやっている仕事は課題解決をすることじゃなくて、楽しいことをみんなでつくることだよと思っています。

課題や困難性(生きづらさ)は誰しも抱えていると思っていて、それがありながらでもどう楽しく生きていくのかということが大切なのではないかと。もちろん、課題解決をしながら、困難性を減らしながらというのも大切だと思うのですが、それらがなくなることや消えることはない。だから、楽しく、面白く生きていくために何ができるのか、ということを常に自分に問うて、新しい価値をつくっていきたいと思っています。楽しく、面白くを追求した結果として、課題解決が勝手になされている、ということが一番いいんですけどね。うん。

だから本質的には、誰かのために仕事をするということがない。常に自分のために仕事をしています。自己中心的ですよね。でもぼくはたくさんの人たちと関わることで、異質な他者と関わることで、自分という存在が拡張すると思っています。だから、たくさんの自分を備えた自分(拡張した自分)であれば、自分のために何かをすることが誰かのためにもなる確率も上がるじゃない、そう思って仕事をしています。

あそぶということ、余白があるということ、あわいの世界。無目的性やあいまい性の中に、次の可能性を見ています。

質問:
コミュニケーターとしての仕事をする上で意識していること、大切にしていることを3つ教えてください。


山口若葉さんと藤本遼さんの期限付き(6月に行うイベント当日までの)交換日記。コミュニティやらデザインやらソーシャルやらについて、うだうだと語ります。