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失敗が失敗じゃなくなる日

五月の下旬。noteを開いた私は、かなりひるんだ。
発表されていたのは、新しいコンテストのテーマだ。
「#あの失敗があったから」
ポケモンバトルで、ひるむとわざが出せないように、私も今回は、書けないかもしれない。
コンテストには毎回挑戦する、と決めていたのに。(何度か挑戦してない時もありますが…。)

それからというもの、noteを開き、
「#あの失敗があったから」という言葉が目に入るたびに、私はひるんだ。
「失敗」という二文字は、私にはかなり苦い。

それでも、どういう風の吹き回しか、まあいろいろときっかけはあるのだが割愛。夫の「書いてみたら」という言葉が最後の一押しとなり、私はせっせとノート(物理的なやつ)にペンで書き出し始めた。

さて、私だけかもしれないが、「失敗」という言葉でイメージされるのはあれやこれやのマイナスなもので、「失敗」という言葉が少し怖い。
失敗は成功のもと、という言葉があるが、私も基本的にそう思っている。
「失敗」は、それが他の何か(学びであったり、成長であったりバネであったりそういう)に変身する前の出来事で、仮の姿・仮の名前。それだったらいいな。(と、まさに今、気づいた!キーボード打ちながら自分の奥底の気持ちが言語化されるとたまらんですよね!)
「失敗」という言葉のマイナスさほぼ消えました。

私は、これまでの人生で取り立てて努力をしたことがない。頑張ること、辛いこと、我慢すること、失敗すること、すべて嫌いだった。ゆるい文化部の活動でさえ不真面目だったし、バイトも長続きせず、早起きが出来ないから1限は入れなかった。
更に、繊細で、感受性が強くて、すぐに情緒不安定になる。
社会不適合だと薄々感じていた。でもそんな私にも時が流れ、社会人になった。

上京したての社会人一年目、初夏。とあるフード系の会社に入社したてガールだった私は、新人研修を受けていた。2か所目の研修場所は、どうやら期待されている新人が行く場所のようだ。かなりきつい場所だと同期の間では噂になっていた。でも決まった時は嬉しかった。
行ってみると実際、主に人間関係がきつかったので、毎日おっかなびっくりドキドキだった。
厨房はシェフたちが縦横無尽に動く神聖な場所で、のろまな私は絶対に邪魔になると一瞬で察した。なるべくシェフたちに近づかないよう、怒られないよう、息を殺していた。
が、しかし。それが裏目に出た。私が取ったある行動で、ボスから怒号の雷が落ちてきた。
次の日の朝、私は会社へ辿り着く直前で過呼吸をおこし、救急車で運ばれた。

それから会社の指示で、何日か休むよう言われた。
しばらくして、新しい研修先が決まったから、と言われ、久しぶりにスーツを着て、指定された場所へ行った。ものすごく怖かった。
次は怒られないようにしなければ。機嫌を損ねないように。間違ってはいけない。そんな気持ちで心を満たした私は、誰が見ても分かるほど、ビクビクしていたと思う。

だけどそこで私を待っていたのは、なんだかかっこいいボスと、なんだか親しみやすい先輩だった。彼らは私を待っていた。

なんだかかっこいいボスは、仕事の合間を見つけては、プチ講義をしてくれた。その時は確か、ボスのこれまでのキャリアの回だった。
ふと、なんだかかっこいいボスはこう言った。
「そして今、あなたに出会って。ここで学んだことを持って、あなたはこの先も歩んでいくでしょ。あなたの未来が、僕の未来にもなっていくんだよね。」
記憶は薄れているけど、確か、こんなようなことだ。
心がふるふるした。なんだかかっこいいこのボスにとって、私は邪魔じゃないんだ。別に、私が優秀じゃなくても、邪魔に思わないんだ。私はここにいていいんだ。私はその時、そんな気持ちでいっぱいになった。
零れそうになる涙をぐぐぐ、っと堪えるのに必死にだった。

なんだか親しみやすい先輩は、ただただ、正真正銘の先輩だった。社会人として、いや、人としての、基本を教わった。
研修が終わる頃、なんだか親しみやすいその先輩はこう言った。
「これまで教えた新人の中で、お前が一番伸びたよ。最初はどうなるかと思ったけど。」
あなたのおかげです、と思った。こんなポンコツでプライドだけが高い私を、否定せず、疎まず、適度に褒め、明るい方へ導いてくれた。

そんな風にして、私はなんとか持ち直した。

人生は出会いだ、とよく言うが、私もそう思う。ただ、ボスと先輩に出会えたから、私はなんとか持ち直した。というのは少し短絡的な気がする。
出会いはきっかけで、影響。もちろんボスと先輩には感謝だ。
その一方で、その出会いを受けて、実際に立ち上がったり、前を向いたりして、持ち直すのは自分であることを、忘れずにいたい。

前回過呼吸で飛んだ地獄の研修先は、「ご迷惑をお掛けしました」と言いにいった。また過呼吸になっては困るので、相手はボスではなかったが。
ちなみにそうしたのは、なんだか親しみやすい先輩に、そうした方が良いと諭されたからで、当時の自分の意志ではない。
でも一応それで、地獄の落雷過呼吸事件は形として終わりを迎えた。
苦い部分だけを思い出して打ちのめされ続けるだけの出来事には、しておかなくてもいいはずだ。

実際、時が経つにつれて、あの時謝っておいてよかったな、と思うようになっていた。謝っていなければ、今よりもっと、何かにつけて思い出してはイーッッッ!となって頭を掻きむしり、うなされていたと思う。
迷惑を掛けたのに、謝らなかった。という結果にいつまでも追われ続けていたに違いない。あくまでも、自分の中での問題にすぎないけれど。

それでも、まだ、今日この日まで、消化しきれていない。
「失敗」という言葉で思い出し、向き合う勇気もなく、忘れようと振り払う。そんな出来事のままだと、私は気づいた。

「失敗」に囚われたままでいたくない、という自分の本心にも、気づいた。そのために、何をやってみるかも、自然と見えた。

だから今日の私は、私自身に、こう語りかける。
「失敗」だったかもしれないけど、もういいよ。
もう背負い続けなくていい。そんなに自分を責めなくていいんだよ、きっと。
ほら、「失敗」は形を変えて、名前を変える。
自分を許して、そのままを、だめなとこがあっても、自分を肯定してみる。それは毎日楽しく過ごすために大事なことで、今まで私が出来ずにいたことだよね。
これでもう、「自分を許すきっかけ」に変えられたかな。

このコンテストがあってよかったです。ありがとう。








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