ただの高校生からカナダで研究者を志すまで:(勝手に育まれた)私の思考習慣
とにかく語学学習書を読みあさった中~高校時代
学校の休み時間でも、駅での待ち時間でも、移動中の車の中でも、ベッドの中でも、とにかく語学学習関連の本を図書館から大量にかりてきては読みあさっていました。
なぜこんなことをしていたかというと、あの頃の私は
「どうすれば英語が効果的に、効率的に習得できるのか」
という疑問で日々頭がいっぱいだったからです。
「今回借りてきた本にはこんな学習法が書いてあった! さっそくまねしてみよう!」
「これはうまく行かなかった。けど、この部分はこうして見たらどうだろうか?」
そのころから、自分の”研究プロジェクト”を進めることにしか興味がなく、
同じ文法事項ばかりを繰り返すばかりの学校の英語の授業は右から左。
テストの点数はよかったですが、正直そんなことはどうでもよく。
そのほかの教科にもまったく興味がなく、中の中ぐらいの成績でした。
もちろん人並みにほかのことにも興味はありましたが、部活や人と会うこと以外の時間はほぼすべて読書と本に書かれていたことの実験に費やしていたかと思います。
挫折とほんの少しの成功を経験したカナダ学部時代
学部時代は、ほんとうに失敗だらけでした。
高校時代は割と英語ができていたほうだと思っていた私は、カナダに着いた当日、現地で話される英語のあまりの速さに度肝を抜かれました。
そのとき気づきます。
高校時代の私は、ただの「井の中の蛙状態」だったことを。
もともと内向的な性格だった私は、コミュ力に全振りしているルームメイトや同じ寮に住むカナダ人たちと仲良くなれるわけもなく、しばらくぼっち状態でした。
そのうち、たまたま同じ寮に住んでいた日本人の留学生の子たちと仲良くなり、精神的に折れることなく無事一年目を消化。
その子たちが帰ってしまったあと真の孤独が訪れましたが、現在の主人と出会い、その後は社交面においては狭すぎる交友関係をなんとか維持しながら学部時代をすごすことができました。
学部生二年目から悩んでいたのは、卒業後の進路のことでした。
心理学を専攻していた私がそのとき目指していたのは、もちろん心理学者。
もともとは言語学が勉強したかったのですが、たまたま最初に受けた心理学の授業で、頭をガツン、と殴られたかと思うほどの衝撃を受けたからです。
中高生時代に本を読みあさって探していた”答え”がそこにあったんです。
教授の働いている姿にもすごく憧れました。
自分の好きなことをずっと研究し続けて、それでいてお金ももらえる。
なんてすばらしい職業だろうかと。
でも、心理学者という職業について調べていくうち、酷な現実を知ります。
心理学の博士卒で卒業後も食っていけるのは、だいたいが臨床心理学(もしくは、カウンセリング)専攻。
それ以外だと、就職先がほぼ大学か研究機関しかなく、ごく一握りのとてつもなく優秀な人しか職にありつけない、という事実です。
なら、臨床心理学の道に進むしかない、と思いましたが、就職はしやすくても、こちらは院に進むこと自体が至難の業でした。
合格するために、とてつもなく優秀な成績が必要だったんです。
二年目以降、白髪が増えるほど、うつになるほど四六時中勉強してなんとか成績をあげましたが、時すでに遅し。
一年目で何も考えず、勉強を怠ってきたツケがまわってきた瞬間でした――。
臨床心理の道はここであきらめます。
それでも、院に進むこと、そして、教授になる夢はあきらめられませんでした。
この時は、教授になりたい、なんて大それたことすぎて言語化したことはなかったですが、あの時すでにそう思っていたと思います。
最後の一年――卒論研究のため、ある一人の教授のもとで研究することになりました。
とても優しいおじいちゃん名誉教授で、いつでも生徒の興味を最優先してくれる本当にすばらしい方でした。
そのとき、オンラインゲームの英語教育への応用に興味があったのですが、教授の研究分野とはあまり関係ないのにも関わらず、それを研究テーマとすることに快く了承していただきました。
研究者としても教育者としても、いつまでも尊敬し続けるだろう存在です。
そして、この研究ですが、結論から言えば、成功しました。
最上の成績をもらい、その年の学部生による論文の部門でカナダの心理学協会から賞をいただきました。
教授にも出版することを進められ、ジャーナルに論文を何回か送りました。
結果は惨敗。
割と辛辣な評価を受けてしまい、心が折れまくっていました。
「出版することすらできないのに、このまま院に進んだとして教授職につけるのだろうか」
悩みに悩んだ結果、答えが出なかった私はたまたま見つけた英語教師のポジションに応募。
その後、しばらく大学から離れて働くことにしました。
疑問を持ち続けてたどりついたカナダ最高峰の大学院
働いても働いても、大学へ戻りたいという気持ちは消えませんでした。
大学という機関自体がとてつもなく好きだった。
つらいことがたくさんあったとしても、努力し続けなければならなかったとしても、知識を得るという行為、そして、それを駆り立てられる環境がとても魅力的だった。
知識は本からでも得られる。
でも、本にはまだ載っていない新しい知識がほしかった。
英語教師としての自分は好きだけど、大学という場で教育者になりたかった。
こうした考えがあったと思います。
ある年、教育学部においてはカナダでは一位、世界では14位とされるトロント大学への入学を決意。
無事合格し、返済不要の奨学金も獲得できました。
そこで、「知識構築」という、これまた鈍器で頭を殴られるような衝撃を受けた理論と出会い(よく殴られてるな)、その理論発案者のもとで研究を続けています。
修士二年目で論文を一本、本を二章執筆。
最近、博士に進む覚悟がきまり、願書を提出しました。
教授からも、引き続き監督していただく了承を得ることができました。
ここから先、どこまで行けるか。
現時点ではわかりません。
それでも、自分の興味や夢をいつまでも失わず、努力を続けていきます。
私が教育者として関わる人たちには、同じように興味や夢を追い求めてもらいたい。
日々そう思いながら、学習の場を提供しています。
まとめ
自分がなぜ研究者を志すようになったのか。
そのきっかけははっきりと覚えていますが、その下地となったのはやはり「自分がものすごく興味のあることに対して常に疑問を持ち、解決策をさぐる」という研究者のまねごとを無意識にずっとしていたからだったのではないのかな、と思います。
テストでよい点を取ることは二の次に、ひたすらに興味を追求させてくれた両親でなければ、ここまで来ることはできませんでした。ほんとうに感謝しています。
今度はわたしが、
中学生の頃から夢中になって取り組んできた、「疑問や興味を持つこと」「その解決策をさぐること」そして「知識を得ること」の楽しさを
みなさんに知ってもらう手助けができればな、と思います。
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