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【短編小説】和女食堂・海老のトマトクリームパスタ

僕は料理を全くしない。できればいいのにとも思わない。

自分の時間給とのバランスや、体力と時間の効率を考えたら、どう考えても外食のほうがリーズナブルだし。実際、ほぼ毎日外食をしている。

「栄養が偏るのでは?」なんて絡んでくるやつもたまにいるが、何も毎日ラーメンや牛丼を食べているわけではない。

そういった早飯タイプの店に行くことは稀で、前菜、主菜、副菜があり、気遣いも行き届いたレストランに行くことが多い。高級店に限らず、探せばそういう店はあるものだ。

本当の意味での名店は、味が良いだけではなく、旬の新鮮な食材を使い、栄養価も考えて作られている。

料理が気分転換になると言っている同僚もいる。それは性格によるだろう。僕は体を動かして気分転換をするタイプ。少なくとも週2回は定時で上がってジムに寄る。

マシンで筋トレをして、プールで少し泳ぎ、ジャグジーに入り、仕上げにサウナと水風呂をこなせば、全身すみずみまで浄化される。

浄化された後は、味覚が鋭敏になる。良い食材で作られた、できたての純粋な味を求めたい。いくつか定番の店があるが、今日は新店開拓だ。

ジムのトレーナーさんが、ときどき行く店を教えてくれた。

「神谷さんにご紹介するような店ではないのかもしれませんが、庶民の味で良かったら、作りたてのものをササッと出してくれる静かな店があるんですよ」と言う。

僕だって庶民だし、高級なものしか受け付けないなんてこれっぽっちも思っていない。実際行きつけのひとつは、つきだしにもずくが出るような、どうということのない和食屋だ。価格がリーズナブルで味が確かなら、何も文句はない。

【お品書き】
明太子パスタ 250円
海老のトマトクリームパスタ 500円
茹で上げ明太バターうどん 320円
ちょっとだけあるマッシュルームのカナッペ 80円
もり蕎麦 200円
おにぎり 10円
たぬきおにぎり 30円
たまごサンド 50円
カレーピラフ 120円
海老チャーハン 350円
熱いとうもろこし 130円
水茄子のオリーブオイルかけ 300円
生マッシュルームとベビーリーフのサラダ 200円
レタスサラダ 30円
レタスとウィンナーのスープ 80円
味噌汁(玉ねぎ、おかわかめ)60円
麦茶 20円
アイスティー 40円
牛乳 100円
ホットケーキ 200円

「おっ、初めてですね。いらっしゃいませ。今日は海老のトマトクリームパスタがイチオシかも。もちろん他のもの美味しいっすよ」

静かな店とは聞いていたが、客は僕一人で完全貸し切り。店主は飲食業らしからぬ存在感のフレンドリーなキャラ。少し面食らった。

とりあえずお試しで、おすすめのパスタとサラダ程度にしておこう。

「ではおすすめのパスタと、生マッシュルームのサラダをください。お茶はアイスティーで」

「はいはい〜お待ちくださ〜い」

野菜を切り、炒めて煮るところから始まった。一体何分煮るつもりだろうか。まあいい。返信が必要なメールがいくつか溜まっている。それを返しているうちに出来上がるだろう。

「サラダお先です。どうぞどうぞ。パスタはあと9分です」

「お、ありがとうございます。ゆっくりで平気なんで。お気遣いすみません」

飲食店の人に対しては基本的に丁寧に接するように心がけている。僕の独特な考え方かもしれないが、食べるものを委ねるということは、命を委ねるのと同じことと捉えているので。根本的にそういう意味で、リスペクトしている。

マッシュルーム、生で食べる機会は少ないがたまにある。こうしてベビーリーフとともにオリーブオイルと塩だけで食べると、土からのパワーをいただけてる気がする。

「トマトクリームの完成で〜す! あっ、バジル乗っけるの忘れた!」

一度その皿を僕の前に置いて、その人は急いで冷蔵庫からバジルを出してきた。

「ほいほいほいー。やっぱりバジルがないと味が引き締まらないっすよね!」

「ああ、ええ、バジルは大好きです」

このノリに付き合わないといけないのかな? と思ったら、彼女はすぐに別室に姿を消した。ふう、落ち着いて食べられる。

トマトクリームは女子の大好物だよな。自分から頼むことはあまりないが、たまにはいい。

へえ、海老とマッシュルームと茄子が入っているのか。ベースはトマトと玉ねぎとニンニク。予想以上に具だくさんで、野菜の風味が出汁になりヘルシーな印象。悪くない。

ゆっくりとパスタを口に運び、頭を無にする。音楽も何もかかっていない。脳から疲れが抜けて、引き換えに料理の持つ力が体にスッと吸収されていくような感覚。ちょっとした瞑想に近い。

食べ終わり、別室のドアに向かって声をかけた。

「ごちそうさまです」

「はーいありがとうございまーす! 740円です」

「なんだか癒されました。全部手作りなんですね」

「そっすねー、わたし自身あんまり化学の味がするものが好みじゃないんで。あと、出来たてじゃないと美味しくないすよね」

化学の味? 化学調味料ってことだろうか。まあ確かに、自然な味だった。

「今度また来ます。他の料理も楽しみです」

「ありがとござます! タンパク質多めのおかずも得意なんで! 待ってます!」

僕のバッグの中身がスポーツウェアなことに気づいたんだろうか。もしかすると、プール上がりの臭いがしていたのかもしれない。いやそれ以前に、多少鍛えてる体つきだからだろうか。

少し恥じらいのような気持ちを感じつつドアを出た。だがそれを上回る、癒された感覚が強く残っている。僕の顔を見てから、僕だけのために作られた料理の持つ力は、なかなか大したものだ。

あと何度か通ったら、あの人に僕の好物をいくつか伝えてみようか。タンパク質は多めで。

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