見出し画像

失敗してもいいと思えるようになるまで


いつまでたっても成長しない

 気持ちがざわざわとしていて、他に書きたいことがあったのだけれど、今はこの「ざわざわ」を吐き出したくなってしまった。
 当日までは、このざわざわが続くのだろう。

エッセイが苦手だった


 エッセイは、見聞きして不思議な気持ちになったものをエネルギーにして書きたいな、と思っていたけれど、今回のnoteでは、あまり「エネルギー」みたいなものはなくて、ただ鬱屈とした「ざわざわ」を吐き出すだけになるのかもしれない。
 自分の気持ちをコントロールするつもりで、つらつらと書き連ねることも、感情を分析できるため、いいのかもしれない。
 そういうまっすぐな気持ちを並べていくことを最近はしていなかったし、おとなになっても、まだこんなに青臭く幼い感情を持っているのかと思われるのが恥ずかしくて、なかなかできなかった。
 エッセイを書くというのが苦手なのも、自分が未成年のままの気持ちのままおとなになり、成熟していない未発達な感情を知られたくなくて、あまり書かないのだというのもある。
 そういう、青春っぽい、まだまだ中学生のような、半端者なので、いまだに何か失敗すると、鬱々としてしまう。
 すぐに落ちこむし、「あれのせいだ」「これのせいだ」「わるいのは、だれだ」「ああ、自分が子どもなだけか」のくり返し。
 心臓は破れそうに痛くなるし、緊張状態のまま、食欲がなくなり、頭がつねに騒がしい。
 ざわざわとしたまま、時が過ぎ去るのを待っている。

逃げだしたいと思っていた


 そういうのは時間が解決してくれるのを待つしかないというのは、さすがにいい加減、わかってきた。
 そして、悪い状況を逃げ出さずに、どうすれば乗り越えられるのかということも、最近になってようやくわかってきた。
 きっちりと、するべきことをする。
 やるべきことを、念入りに準備する。
 いちばん重要なのは、周りの目を気にしないこと。
 だけれど、それがいちばん、難しい。

人それぞれの言葉


 心ない言葉をいう人は、たいていそれが、「心ない言葉」なのだとわかっていない。
 だから、やっかい。
 自分が繊細だから悪いのだ、とまでは思わないけれど、向こうは口から出る言葉をそれほど重要視していない。
 言葉の強さをわかっていないのだ、と自分に言い聞かせる。
 そうすることで、少しだけ、すこーしだけ、気が楽になる。

心が繊細なのは損なのだろうか


 繊細なことで、得をすることも、損をすることもある。
 言葉に鈍感な人も、それで得をすることも、損をすることもある。
 人それぞれなのだから、忘れることがいちばんなのだ。
 もちろん、じゅうぶんに、わかってはいる。
 でも、それで頭が真っ白になった自分が、損をして終わりなのか、とも思う。
 自分は、傷つけられて、どこで得をしたらいいのか。
 損得を考えなければ、やってられない。
 自分を傷つけた人間は、これからも成長はないのだろうと、考える。
 自分は、この「ざわざわ」を乗り越えて一回りも二回りも、成長した自分になるのだ。すごいだろう。
 虚栄心、見栄、ナルシシズムを満たし、自分で自分の傷を癒す。
 今日もまた、成長できたよ、と明日の自分にいい聞かせる。
 あんなに高いハードルだったのに、よく乗り越えられたね。あんなにすぐ鬱になって、しにたくなってたのに、すごいじゃない、と。

昨日よりも成長できていたらいい

 ようやく、むりやり楽観的に思うよう、努力できるようになったのが、最近。
 つまり、人っていつまででも成長途中。
 成長を止められるのは、本当に自分だけ。
 アップデートし続けよう。これからも。自分で自分を褒めるために。

 まだまだ、失敗が怖い。失敗するたびに、頭がくらくらして、息が吸えなくなるのがいやだ。
 なんで、こんな思いをしているんだろうと、考える。
 成長のため、自分のアップデートのため。
 そんなのはわかっているのに、やりたくない、止まったままでいればいいじゃん、と思ってしまう。
 この「ざわざわ」を乗り越えたら、今までとは違った自分になれるんじゃないか。今のままでいたって、どうせ何者にもなれないまま、終わる。
 成長が止まった自分が見たいのなら、このままでいればいいのだろう。
 鬱々とした自分とは、違う誰かになりたいと思い続けてきた。
 今でも根本は変わらないままだけど、それでも、一年に半歩ずつでも、変わっているような気がした。
 何もしないでいるよりは、何かをしたほうがいいという言葉を信じて、走った。
 何もしなかった自分を想像しただけで、ゾッとするほどには。
 「ざわざわ」はいまだに続いている。
 それでも、今日も何かをし続けようという思いだけは枯れていない。
 「ざわざわ」を遠ざけることはしなくなった。
 それに気づいたとき、自分のことながら嬉しくなった。
 自分にたいして、嬉しいと思えることがある。
 実ったものは、決して恥ずかしいものではない。
 誇れるものだと信じたい。

時間が解決してくれる

 時間が過ぎれば、「ざわざわ」はなくなる。
 そのとき、わずかでも変わった自分になれていたのなら、いいじゃないか。
 待ち続けて、抱え続けて、耐え続けよう。
 それが、何かに繋がる、そのときまで。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?