【❓Que.3】偏見を無くすにはどうすればいい? -vol.3- 【わくわくママのくえすちょん】
こんにちは。わくわくママ(妻)です。本記事はvol.3です。
vol.1、vol.2をまだ読んでない方は、こちらからどうぞ。
自分で作った偏見の払拭には知識が必要?
妻「最終段階は、自分で作った偏見を払拭する方法よ。」
夫「そうね。ただ、やることは一緒なんだと思うんだよね。
自分が作り出したルーティーンが自分にとって必要かどうか考える。ゲームもやった後に自分が幸福な状態なのか、不幸な状態なのかっていうのに気づくとか。それってなんか常識を疑ってるのと同じ気もするし。」
妻「そうね〜。 でも意図的に考えるっていうのが、かなり大変だと思うんだよね。
でも、そもそもそういう概念がないって、気づく時があるかないかっていうところになるとも思ってて。」
夫「概念ってのは?」
妻「知識だよね。『お風呂に入らない概念』っていう知識がない。
風呂に入らない選択肢ってあったんだって単純に頭に思い浮かばない人。そういう人ってたくさんいるんだよ。
そうなると、自分がやってるルーティーン以外に、他のルーティーンがあるっていう知識がないから、自分の作った偏見に気づけない。」
夫「うんうん。」
妻「そうしたら、やっぱり知識を得るしかないんじゃないかと思ってしまう。」
夫「うわ、むずいな。知識の例でいうと、俺は結構古代文明、マチュピチュとかエジプトとか好きなんだけど。
その時代って、毎日風呂に入ってない人の存在は、みんな絶対認知してると思うんだよね。」
妻「いや、おだやかパパはでしょ。(笑)」
夫「でも、義務教育でそういう歴史を学ぶわけじゃん。風呂がどうでしたみたいなことは学ばないけど。」
妻「風呂がどうでしたって言われないとわかんないよ。」
夫「そういうことか。『エジプトの人は風呂は1週間に1回入ってました。』って教科書に載ってれば、初めてそこで概念が生まれるんだ。
確かに学んでないから、そこに気づきを求めちゃダメよね。」
妻「そう。『風呂の歴史』っていう教科書を1冊書いてくれなきゃ。それで初めて風呂は入らなくていいっていう概念をみんなつけることができる。
今の人たちは知識がないし、想像力もないから、その選択肢を知らない。」
頭の中に小人を飼って、偏見に立ち向かう化け物を育てよう
夫「その選択肢は、誰かが外部から入れるべきだと思う?」
妻「うーん。入れるよりは自分で吸収すべきだと思うよ。」
夫「俺もそう思う。
何かを受け取った時に、気づける人間になるってことだよね。」
妻「だから、何か学ぶときに、あらゆることを考えなきゃいけないってことよね。でも、エジプトの文明学んだ時に、風呂のことなんて考えないよ。」
夫「考えるって。
ピラミッド作る時も長い間ずっと住み込みで働いてたって言うじゃん。そうなったら、風呂の頻度とかめちゃくちゃ少ないと思うんだよね。」
妻「いや、そこにたどり着かんのよ。(笑)」
夫「流石にそこまで限定的に思わないけど。じゃあ風呂ってどうなんだろうっていう議題が出された時に、だいたい憶測は立つね。」
妻「それも『どうなんだろうっていう。』っていう議題が出されることないじゃん。」
夫「確かに。(笑)その議題が出されるのも俺の頭の中の誰かだわ。
議題出してくれるやつが頭の中にいるわ。(笑)」
妻「そいつをみんな飼わないといけないね。」
夫「あ〜それ面白いね!
自分の日常、今やってることに対して、アメリカ人は?フランス人は?イタリア人は?エジプトの人たちは?マチュピチュはどうだったんだろう?じゃあ北極に住んでるあの人は?っていう、この議題を出す人だ。」
妻「日々問題定義してくる小人を、頭の中に住まわせないといけないんだ。」
夫「おー、まとまったね。(笑)」
妻「無理やて。(笑)それができたら苦労してないの。」
夫「自分の生活とか日常を相対評価する人間を、自分の中に飼うみたいな感じかもね。」
妻「それがいるんだ。おだやかパパの頭の中に。」
夫「ソファーに横になってる自分。相対的に見て、どうなんだろうって考える。
アメリカでは、ちょっと太ったお父さんがポテチ食いながら、テレビ見ながら、もっとでかいソファーに横になってて、グダってしてる。アメリカではそれが日常で普通なわけよね。
じゃあイタリアでは、ドラマとかでもあんまりそういうシーンは見ない。じゃあエジプトは?」
妻「もうエジプトはいいよ(笑)」
夫「そういうことを考える。そこで、お母さんが帰ってきた時に、『あんたそんなとこで勉強もせず、グダってんじゃないのよ』って言われたら、『でも、アメリカ人はもっとグダってるし、エジプト人みたいに石を枕にして、焚き火しながらあぐらをかいてみんなで雑談しろってこと?』って言う。」
妻「ダメだ、こんな子供を育てちゃ。(笑)」
夫「っていう考えが生まれますね。小人を飼うと。」
妻「っていうバケモンが生まれる、と。(笑)」
妻夫「(笑)」
夫「バケモンが生まれることになります。(笑)」
この記事で伝えいたこと - この世をジュラシックパークにしよう
妻「でも、世の中の偏見を無くすには、言ってしまえばそういうバケモンみたいになればいいんだよね、みんな。」
夫「そう。だから、世の中の偏見に立ち向かう為にも、自分が持ってしまった偏見を払拭するにも、そのバケモンをちゃんと育てないと。」
妻「自分がバケモンになるには、それを問いかける小人を飼う。」
夫「うん。自分に住みついた悪魔みたいなものを、自分が育てたバケモンで 毒をもって毒を制さないと。」
妻「どっちにしろ毒なんだ、それ。(笑)」
夫「まあ、ちょっと育てすぎたら。(笑)
でも世の中的にはヒロユキの『それってあなたの感想ですよね。』って言うセリフが、ちょっとバケモンのセリフに近いと思う。
バケモンを育てるのは、言葉を強くする感覚に近いかも。常識への対抗策というか。」
妻「なるほど、確かに。それが強固になればなるほど、バケモン度が増すんだ。」
夫「人が言い始めて、ただ使うだけなら何もない。でも、それが、本当にこれは感想なのか、事実を述べてるのか。『あなたの感想ですよね』っていう言葉の深さをちゃんと育てていけば、本当の意味でちゃんとそれが力になる。俺がThreadsで投げかけてる言葉はそっちに近い。」
妻「え、バケモンってこと?」
夫「バケモンじゃない。(笑)
俺が作ったこの言葉をあなたの心に入れて育てていってみたら。みたいな」
妻「あ、バケモンの種ってこと?」
夫「あ〜。ミニリューみたいなのだ。」
妻「恐竜の卵だ!みんな恐竜になればいいんだ!自分の中の恐竜の卵を育てる。
その恐竜の卵を羽化させるための刺激を与えてるんでしょ。みんなに。」
夫「うん。あなたが間違ってるかもしれないって不安がってる。その言葉に助言を与えてる。」
妻「なるほどね。
みんな心の中に恐竜を飼ってると思えばいいんだ。その恐竜が羽化した時にティラノサウルスになるか、トリケラトプスになるか、何かになるかはあなたの飼ってる卵次第。」
夫「あなたが持ってる恐竜の卵を育ててください。」
妻「すごい結論になった。(笑)」
夫「俺がちゃんと干渉しに行きます。みんなが育てた恐竜を見るのは好きだからね。」
妻「世の中から見て恐竜なだけだもんね。恐竜が多数派になったら普通になるわけでしょ。
みんな恐竜になって、恐竜の町に…ジュラシックパークにすればいいんだ!(笑)」
妻夫「(笑)」
夫「カオス(笑)」
妻「この世をジュラシックパークにすれば、全てが偏見のない世界になる。」
夫「まあ、そうだと思うよ。アメリカなんてそういう世界じゃない。
まとまったね。」
妻「この記事を読んだ人は理解してくれるかもしれないし、全く理解できないかもしれない。」
夫「途中で挫折するだろうな。(笑)」
妻「結局難しい話になっちゃいましたね。(笑)」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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