知能が低下していく病気の弟と1日3時間しか動けない私

後天的自閉症アスペルガー症候群の弟

私の弟は、中学2年生になった頃から知能が低下し始めた。22歳の現在、ほとんど会話ができない状態だ。毎日1人で何かを叫びながら笑っている。

私は子供の頃から弟のことを ごりくん と呼んでいる。以降ごりくんと書き記す。

ごりくんが小学生の頃、たくさんの友達と部屋で遊んでいる様子を何度も見かけたが、かなり好かれているようだった。
中学生にあがってからもしばらくは、変わらず楽しく過ごしていた。
半年くらい経った頃から、段々とごりくんが学校を休む頻度が高くなっていった。
ごりくんが「今日学校休む」と母親に言うと、毎回母親は大声で1時間くらい怒鳴っていた。初めの頃は怒らず学校を休ませていたが、あまりにも休む頻度が高いので怒るようになった。遂には全く学校に行かなくなり、毎日母親に怒られていた。なぜ休みたいのか理由を聞いても「頭が痛い」としか言わなかった。
数年後に母親は「あのとき私が毎日怒りすぎたせいで、精神的に大きなダメージを与えて狂わせたのかもしれない」と後悔しながら言っていた。

ごりくんが全く学校に行かなくなって3ヶ月くらい経った頃、クラスのみんなから手紙が届いた。

半分以上のクラスメイトから名前の呼び捨てで呼ばれていたり、母親がママ友から「ごりくんみたいな人と結婚しなよ」と言われたことがあったことからも、かなり人気者だったと思う。

母親は病院につれて行き、頭痛の原因を調べたが分からなかった。ごりくんの兄の私が脳脊髄液減少症という頭痛の病気を患っていたので、その検査もした。

それから一年後、母とごりくんはあまり会話をしなくなっていた。私とごりくんも全く会話をしていなかった。私は毎日部屋に篭りインターネットをしていた。ごりくんは元々家庭での口数は少ない方だったが、全く話さなくなった。

ある日から、ごりくんが1人で何もしていない状態で笑うようになった。
はじめに異変に気づいたのは母親で、病院に連れて行った。最初はたまに笑う程度だったが、段々と笑い声の大きさも笑う頻度も増えていった。
医者からは「脳みそに菌が入ってるかもしれない」と言われたらしい。
MRIで詳しく脳を調べることになり病院に行ったが、脳の撮影中にじっとしていられないらしく撮影できなかった。

しばらくして、自閉症アスペルガー症候群と診断された。それを聞いたとき私は、自分の弟が障害者だという現実と初めて向き合った。今までの弟との思い出が無くなるかのような、今までの弟は死んだかのような悲しみを覚えた。あの頃の弟と話すことはもうできなそうだ。

調べたところ、後天的に自閉症になることは無いらしい。ということは、他の病気か、新しい病気か、初めからその病気だったのか、どれかだと思う。
小学校低学年の頃から、ごりくんが他の人と違うなと思う点は2つあった。ただ、会話は難なくできていた。

1つ目は、寛容すぎるということ。ごりくんにお尻を向けておならをしたり、急におなかを叩いても、全く怒らず、お尻を向けてきたり、「おえっ!」って言ったりして、相手を笑わせようとしていた。急に「どーもーごりくんでーす」と言って1人で漫才みたいなことをしてきたこともある。そんなふうにいつも相手を笑わせようとするキャラクターがクラスでもウケ、人気者だったのだと思う。

2つ目は、勉強が全然できないということ。小学校のテストの点数はどれも50点くらいだったと思う。中学1年生の頃は、5教科の合計が80点くらいだった。小学校の頃と比べて、全く勉強についていけなくなっていた。これも学校に行きたくない理由だったと思う。

その後、中学校はほとんど行かずに卒業して特別支援学校に入学した。
その頃には段々と独り言を言うようになり、かなりの頻度で何か言いながら笑うようになっていた。
「ごりくん」「なにしてんのー」「あたりまえだー」「グルメ界かー」
等言いながら笑っていた。主に最近聞いて記憶に残った言葉、怒られた時に言われたことや最近見たアニメのセリフを言っている。ワンピースやトリコのオープニング曲を歌っていることもある。

特別支援学校では、いろいろな職業を体験し自分に合った職業を探すことができる。パンを作ったり、農業をしたり、袋詰めをしたりしていた。

ある時、特別支援学校で学芸会があった。
ごりくんは進行役をしていた。
「次は1組の合唱です。ハッハッ!」
ごりくんは進行をしながらも大声で笑っていた。見に来た親御さん達も笑っている。
ごりくんのクラスが演奏する番となり、壇上に上がった。10人で並び全員が2つずつベルを持っている。
とてもうまく演奏をしていて、ごりくんは大声で笑いながらも自分がベルを鳴らすべきタイミングではしっかりと鳴らしていた。

ごりくんは指示されたことをすぐに行動することができる。
「風呂入って」「もっと体ちゃんと拭いてきて」「ご飯食べて」「電気付けて」
等言うとそれを行う。
「何歳?」「いま何時?」
と聞くと答える。年齢の方は間違った答えを言うが、時間の方は時計を見てちゃんと合った答えを言うことができる。

しばらく経った頃、父方の祖父が亡くなった。
葬式には家族で参列した。
お坊さんがお経を読み終え、前の席の人から順に御焼香へ向かった。
私の家族は、ごりくんがもし何か喋ったり笑ったりしても邪魔になりにくいように1番後ろの席に座っていた。お経を読み終えるまでは笑ったりしていなかった。
私たちの御焼香の順番となり立ち上がったとき、ごりくんは笑い声をあげた。
ほとんどの人が振り向きごりくんを見た。ごりくんをみたあと、すぐに目線を戻した。
恐らく、ごりくんの様子や動きをみて察してくれたのだと思う。ごりくんは笑うとき腕を動かすことが多い。なんとなくどんな動きか想像がついたかもしれない。障害を持っている人がしていることが多い動きだと思う。
棺の扉を開け、故人との対面をした。隣にごりくんがいたので、ごりくんも棺の中を見ていた。見た瞬間すぐに後ろの方へ歩いて行った。何か恐怖を感じたのかもしれない。

特別支援学校に通い始めてから3年が経ち卒業した。ほとんど休むことなく通っていた。
それからはどこかの会社で農業の手伝いをすることとなった。時給100円くらいで交通費の方が高いが、社会体験と昼間両親が仕事をしている時間に様子を見ててもらうためのようだ。

はじめは職場から1人で地下鉄で帰ってきていた。
間違った駅で降りたり別の改札から出ることもあり、行方不明になったことがある。
母親が警察に行方不明届けを出し、協力して探してもらった。
4時間くらい経った頃、遠くのコンビニで見つかった。
ごりくんは持っていたお金でジャイアントコーンを買って食べた後、カップ焼きそばとジャイアントコーンを万引きして食べていた。カップ焼きそばにはお湯を入れずに何口かバリバリのまま食べていた。
不審に思ったコンビニ店員が警察に通報して見つかったと言う流れだ。
盗んだ分のお金を母親が払い、家に帰った。

それからはごりくんの位置情報が分かるようにキッズ携帯を持たせた。仕事のある両親は車で職場に迎えに行く時間がなかった。行きは車で送っていた。
帰り道では10回に一度くらいの頻度で1人で帰って来れない日があった。そんなときは位置情報の場所へ行き、連れて帰った。
結局、あまりにも帰ってこれない日が多いので、母親は早めに仕事を切り上げて車で送り迎えをすることとなった。

ごりくんが「障害者」という独り言を言うようになった時期が5日間くらいあった。恐らく地下鉄に乗っているときなどに誰かから言われて、その言葉を覚えて発していたのだと思う。
職場でも「障害者」と言いながら笑っていたらしく、周りの子から「うるさい」と言われたようだ。普段の独り言や笑い声は職場で注意されることはなかったようだが、さすがにまずかった。

ごりくんが働き始めてから4年が経ち、現在22歳。最近仕事を辞めさせられた。
表向きは「笑い声がうるさいから」という理由だが実際は違った。そもそも4年も勤めたのに今更笑い声を理由に解雇するのは変だ。
会社の社長が独断で解雇したらしい。その女社長は頻繁に攻撃的な発言をしたり、障害を持った女の子をビンタしたこともあるらしい。
ここ4年間では職員が20人以上辞めている。ビンタの瞬間をみた職員が障害者虐待センターに相談中のようだ。

現在ごりくんは、いくつかの仕事を体験しながら次の職場を探している。



脳脊髄液減少症

はじめまして、話題のツイートRTです。
上記に私の弟の話を書きましたが、この先は私が患っている脳脊髄液減少症という病気についての記事です。どちらの記事から読んでも良いように書いています。

私の症状は、2時間以上立っていると頭痛や熱がだんだんでてくるというものです。
詳しく言うと、横になっていない状態(立ったり座っている状態)が続くとだんだんと頭痛や熱がひどくなってきます。8時間以上経つと熱は38度を超えます。また、一日置きであれば2時間起きていて大丈夫でも、前日に5時間起きていた場合は次の日は1時間で頭痛がすることもあります。ずっと横になっていれば症状なく過ごせるので、いつも寝た状態で生活しています。

脳脊髄液減少症の潜在患者は年間10万人と言われています。この病気はまだあまり知名度が高くありません。私と同じように原因不明の頭痛等で苦しんでいる人を救いたいと思い、今回書こうと決めました。

症状や対策について書いていきます。
脳脊髄液減少症とは、脳から背中にかけて流れている脳脊髄液(髄液)が脳脊髄液腔から持続的あるいは断続的に硬膜外に漏出したり、脱水などにより失われることによって髄液減少し、が下方へ牽引され、頭痛を主症状として、その他、頚部痛、めまい、耳鳴り、発熱などさまざまな症状を呈する病態です。

脳脊髄液減少症とは、脳から背中にかけて流れている脳脊髄液(髄液)が、傷や脱水などにより失われることによって減少し、が下方へひっぱられ、頭痛を主症状として、その他、頚部痛、めまい、耳鳴り、発熱などさまざまな症状のある病態です。

私が最初に発症したのは中学1年生のときです。初めの頃は頭痛がしても、みんな頭が痛い日くらいあるだろうと思い、頭痛を我慢して学校に通っていました。頭痛の頻度がだんだんと増えてきて、学校を休む頻度も増え、半年後には学校に全く行かなくなりました。クラスメイトからはズル休みだと思われてました。
その頃は医師からもあまり認知されていない病気だったので、なかなか原因が分からず、原因を見つけるためにいくつもの病院に行きました。耳鼻科、歯医者、整骨院、脳神経外科などです。
当時、週に5日で水泳を習っていましたが、耳鼻科の先生から「プールの水で鼻炎が悪化して頭痛が起きているのかもしれない」と言われ水泳をやめました。部活も水泳部からサッカー部に変更しましたが頭痛が治らず、部活を頻繁にズル休みしてる人だと思われながら2ヶ月くらいでやめました。
頭が痛くて部活は行かずに帰ろうとしていたら「部活行かないとだめだろ」と言ってきた生徒もいました。
頭痛が始まってから一年くらい経った頃、通院していた耳鼻科の先生から「もしかしたらこの病気なんじゃないか」と言われ、大学病院で検査してみたら病名が判明しました。

その後、ブラッドパッチという治療をして一度は症状が治りました。
ブラッドパッチとは、髄液が漏れている箇所に患者自身の血液を注入して、髄液漏れを血液で塞ぐという治療です。
当時は保険適用外の治療だったので10万円くらいかかりましたが、現在は保険が適用されてます。
それから1年ほど症状は治まっていましたが、高校1年生になってから脳脊髄液減少症が再発しました。
その後再びブラッドパッチをするも症状がよくならず、他の治療法を探しました。

東京でプラセンタ注射をしている病院に行きました。私の家からは新幹線で2時間くらいの場所にあり、3週間に一度のペースで通いました。6時間ほど外出することになるので頭は痛くなりましたが、少しでも頭が痛くならないように新幹線の自由席を2つ使い、横になって寝たこともありました。待合室など普通は横になっちゃいけない場所でもスペースがあるところでは短い時間でもなるべく寝るようにしました。
一年位通いましたが、病気は改善しませんでした。
プラセンタ注射とは、ヒトの胎盤から抽出した成長因子やさまざまな栄養素を注入することで、健康へと導く治療法です。 更年期障害や自律神経失調症、しわ改善、白髪の減少、慢性的な疲労、肩こり・腰痛・ひざ痛、喘息・アトピー性皮膚炎、花粉症などのアレルギー疾患、生理不順、生理痛、イライラ、月経前緊張症、関節リュウマチの症状の軽減、肝障害の改善などに対する効果が期待できます。
その病院で森三中の大島さんを見かけたことがありました。なかなか子供ができず悩んでいて、プラセンタ注射をしていたようです。その後、その甲斐あってか世界の果てまでイッテQで出産シーンを放送していました。

つぎに、静岡県の病院へ行きました。脳脊髄液減少症の第一人者で、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)に関する本を4冊執筆している先生が勤めている病院です。
その病院ではいろいろな治療をしました。何度か特殊なブラッドパッチをしたあと、3人にしかしたことがないという手術をしました。90万円かかるという手術でしたが、両親がお金を払ってくれました。
いままでに手術した3人は治ったようです。

全身麻酔をして、尿漏れを防ぐために尿道に管を入れ、背中を6センチほど切り、顕微鏡で髄液漏れの箇所を見つけて穴を塞ぐという手術です。

手術前の準備として、オムツとストッキングを履きました。
オムツを履くのは全身麻酔をすると尿漏れをすることがあるからで、ストッキングを履くのは全身麻酔中の血流をよくするためです。

先生から「手術が終わって目を覚ましたら、手をグーパーするように言うので指示に従ってください」と言われました。
手術台に寝てマスクを付けました。マスクから全身麻酔のための煙が流れ込んできます。もし麻酔が効かなかったり、途中で目が覚めたらどうしようと不安でしたが、まばたきをしたと思ったら「手術終わりました」と言われました。
一瞬で3時間の手術が終わってました。

自分の病室に戻ると、看護婦さんから「尿道に入れている管を外します」と言われました。オムツを外し、管から何か液体を入れました。管には尿が出ていたのでその尿を膀胱に戻すための液体だと思います。その刺激で勃起してしまい、そのまま陰部をつかまれて管を引っこ抜かれました。恥ずかしかったです。

それから4年ほど経ちますが、症状は変わっていません。
髄液の漏れている箇所は塞がっているらしいのですが、髄液を生成する能力があまり無いことによって症状は変わっていないという可能性があります。

現在、障害年金の申請をしているのですが、なかなか通りません。髄液の漏れが塞がったことにより、脳脊髄液減少症の定義から外れて病名が付かなくなり、貰えなくなったのかもしれません。

以降追加の文章等はありませんが、寄付していただける方がいましたらよろしくお願いいたします。

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