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エッセイ/深夜の

久しぶりにガンプラを作った。小さなSDガンダム。二頭身のかわいいやつだ。購入したのは1ヶ月ほど前なのだが、疲れていたのかなかなか組み立てる気になれなく、ようやく先日の深夜に組み立てたいという衝動にかられ、取り憑かれたかの様にガンプラを組み立てた。

深夜にガンプラを作るという子供の頃ならば確実に母親に怒られるであろう行為を、堂々と自室の蛍光灯を全開にして組み上げるのは大人の特権である。はじめはガンダムのテーマソングをガンガンにかけながら作業していたが、組み立てが複雑になるにつれ、説明書を深読みしながら試行錯誤しているうちにテーマソングが鬱陶しくなり音楽を消したのはご愛嬌。

深夜のガンプラは昼間のガンプラよりテンションがあがる。

「深夜の」とまくらにつくだけでなんでか事情と事象の色合いが変わってくる様に思えた。


深夜のファミレス
これはなんだか哀愁と青春が入り混じった様な色合いだ。このご時世で深夜営業が危ぶまれているから余計に哀愁が漂い聞こえる。もともとは帰りたくない若者や休憩中のトラックやタクシーの運転手などの憩いの場所だ。
僕自身も月の退却まで友達とドリンクバーとポテトで語り明かしたものだ。

深夜のちくわ
私感だが昼間にちくわは似合わない。
おでんの汁に染み込んだちくわは深夜になればなるほど味が染みこみ、美味しい雰囲気が漂ってくる。
これは「深夜の」がだいぶいいアクセントになってはなかろうか。


深夜の宿題
これは大変だ。この子はきっと宿題の存在を忘れていたのだろう。あたふたしながら大急ぎで眠い目を擦りあげ、えんぴつを走らせている。昼間の宿題はこんなに汗はかかない。

深夜の先生
この言葉が醸し出すなんとも妖しい雰囲気は昼間じゃ教えて貰えないであろうすいもあまいもディープに進めるマンツーマンの授業だろう。

深夜の花束
これには解釈が多様にある。ようやく渡せた花束なのか。誕生日のキャバ嬢へのプレゼントか。はたまた怖い話しのタイトルか。それとも愛が散ったのか。いろんな色が「深夜の」で着色される。

深夜の絵描き
よりクリエイティブさが増した様に感じるのは僕だけなのか。

深夜のマカロニ
夜遅くに疲れて帰ってきた新婚の旦那さんが、新妻が作り置きしてくれていたであろうマカロニスープを温め直して頬張る幸せの充電が目に浮かぶ。素敵な色だ。


昔から深夜に書いたラブレター、昼間に見返すと恥ずかしい文字の羅列に出すのを辞める。などと深夜のテンションというのがかなり僕達のドーピングに手を貸している。友達の変顔写真ですら、Mー1グランプリ決勝戦の様に浅いツボに入り爆笑してしまうことだってある。
これは怖い話だ。

深夜は笑い、涙と喜怒哀楽の磁場が狂い。感情やエモーショナルのツボが浅くなる。


深夜の猫背
ガンプラを作っている僕自身の丸まった姿が鏡にうつり、情けない背中にみえたのはきっと僕の姿勢のせいではなく、全部深夜が悪い。


深夜の見栄は見逃して。
深夜の嘘には気づかないフリを。
深夜の涙は優しく包んで。
深夜の笑顔は大切にしてあげてほしい。


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