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良い子が大人になるということ

学生の頃から当たり前のように
身近にあった考え方。

それはいわゆる大人にとっての
良い子が必要とされ、

服装に乱れがあったり団体行動で
外れてしまったりする生徒が
問題児のように扱われる
ということです。


私はいじめられていた経験が
あって良くない意味で
目立っていたので、

特に優等生に見られるように
普段から努力していました。

少しでもマイナス面が
見えなくなるように。

それが学生時代における
私に対しての最低限
必要とされる条件で
あったように感じていました。



ところが社会人になってみれば
全く違ったものを求められます。

今までの良い子でいようと
することは個性がないとされたり、

大人しくて発言が苦手だと
主体性がないと思われたり
するようになります。


私の場合はすぐ怒る上司が
いたことがあり、勝手に動いて
怒られたらどうしようと思って
行動できずにいたら、

指示待ち人間というレッテルを
貼られてしまいました。

このように望まれるものは
場所や世代によって
全く違ってきます。



これらの話はあくまで
社会的に望まれる人間の話です。

そうでなくて友人関係や
恋人関係、仕事の関係。

そして家族の関係であっても
同じような役割が求められて
いることが多いです。

その場合最低限望まれている
条件があったりします。


それは実際に言われる
ことであったり、

無言で当たり前のように
要求されていること
だったりします。

最近の私はそのことで
疲れ切ってしまった
面がありました。




それは望まれていない自分を
見せた瞬間に背中を向けられて
しまったことです。

私は普段その人の嫌な面も
受け入れていたのに、

相手には私の見せてしまった
面が受け入れることができない
と思われるようなこと
だったようです。

今まで私の方がその人の
失礼なのではないか?と
思うようなことをずっと
許してきていたというのに。


考えたのは私が失礼なことを
受け入れていたからこそ、
今まで関係が続いていたのでは
ということでした。

相手にとっては学生時代のまま
良い子と言われるような人格しか
必要とされていなかった
のだと気付きました。

けど私にだって欠点はあるし、
人間らしい面もあります。

そういうところを私だけ絶対に
見せてはいけなかったなんて
不公平な話だと思いました。




だったら学生時代に良い子で
あろうとする努力なんて
しなければ良かったです。

大人になればそんな枠組みは
いずれいらなくなります。


良い子でいようとするよりも
自分らしく生きられる自分を。

本当の自分を大切にしたいものです。

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