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近代漢字文化圏の話④「甾」


(この話は以前私が別のブログに書いたもののほぼコピペです。なのでもしかしたら見たことがある人がいるかもしれませんが、すごく面白い内容なのでこちらにも掲載したくて持ってきました。どちらも中の人は同じですので盗作だとか騒がないようお願いします)

1.甾

それでは皆さま、ご機嫌よう。

突然ですが皆さんは「甾」という漢字をご存知でしょうか。

日本ではまず使われない漢字ですので、そもそもなんて読めばいいのかすら分からない人もいることでしょう。

なのでまず読み方を教えておきましょう。

この漢字は「甾」と読みます。


はい。
説明になってないので改めてカタカナで書きますと、「サイ」とか「シ」とかになります。日本語の音読みでは。

で、この「甾」。
漢字ですから当然中国で誕生したものです(一部例外はありますが)。

もう何千年も前の中国で誕生したこの「甾」という漢字。当初は「土器」とかそんな意味の漢字でした。

しかしだんだんと使われなくなり、死語というべきか死字というべきか、まぁそんな存在になってしまいます。日本でも見慣れない字ですが、中国でも見慣れない字になってしまったんですね。

しかし現代になると、この「甾」に新たな意味が加えられ、再び日の目を見ることとなったのです。

新たな意味での「甾」。
それは土器という意味の「甾」とは別に、同じ形をした別の字が誕生したと言い換えることもできるでしょう。

むしろ意味的な繋がりが皆無なので新漢字と呼ぶ方が妥当かもしれません。

さぁ、皆さん。その新たな「甾」の意味とはなんでしょう。
勘が余程鋭い人なら分かるはずです。
なぜなら、その新しい意味とは象形に基づいて付与されたものだからです。

2.象形

「象形」ってどういう意味か分かりますか?

漢字の造字法の1種です。漢字の造字法には「象形」以外にも「会意」とか「形声」とか色々とあるのですが、長くなるのでその辺は今は割愛します。興味がある人 は各自で勝手に調べてください。

さて、「象形」ですが、「象形」は訓読すると「形を象(かたど)る」になります。

つまり、「象形によって作られた漢字」とは「物の姿形をかたどって作られた漢字」という意味になります。

そもそもですが初期の漢字は全て象形文字でした。
甲骨文字とも呼ばれる初期の象形漢字は文字と言うより絵に近いようにも思えます。その絵が時代とともにこんにちの漢字へと変化していったのです。
木とか日とか、小学1年生で習うような簡単な漢字の多くが象形に分類される漢字です。
当初は木の絵だったものが、字へと変貌していく図を見たことのある人は多いのではないでしょうか。漢字ドリルとかに載っていたような気がします。
ちょうどこんなやつですね。

絵から文字へと変貌を遂げる様子が見てとれるのではないでしょうか。
こうして実際の物の形を基礎として作られた漢字が象形漢字と呼ばれるものです。

さて、本題に戻りましょう。
現代に入り、「甾」は生まれ変わり、新たな象形漢字へと変身を遂げました。

「木」や「日」など、元来の象形漢字の多くが紀元前1000年以上前に誕生したというのに、この現代でも新たな象形漢字が誕生したのです。

そう考えるとなんだか面白くありませんか?

ともあれ、象形ということはこの「甾」という字をジーッと眺めていれば、元の形が見えて来る、意味が分かってくるはずです。これは形をかたどった象形文字なのですから。

ということでよく眺めて見てください。

どうですか、意味、分かりましたか?

分かった人は次に進んでください。
分からなかった人はもう10秒だけ考えてから次に進みましょう。

ちゃんと考えましたか?


3.正解発表

さぁ、皆さん、それではこの「甾」という漢字の元となった物の画像を貼りたいと思います。

「甾」の元となった物はこちらです。

「甾」の元となった物

急に構造式が出てきてびっくりしましたか?
理系でかつ頭の良い皆さんならご存知とは思いますが、上の構造式は「ステロイド」と呼ばれる物質のものです(正確に言うとステロイドの1種のコレステロールですが)。
実は「甾」という字はこの「ステロイドの構造式」をかたどって作られた象形漢字だったのです。
「ステロイド」とは「ステロイド核」を持つ物質の総称です。上のコレステロールの構造式から余分な部分を取り除き、ステロイド核だけにしてもう1度見てみましょう。

ステロイド核

よく見てみてください。これが「ステロイド核」です。
構造式にはABCDの4つの環と、abcの3つの側鎖が描かれていますね。
それを踏まえて見ると、「甾」にも4つの環と3つの側鎖が描かれていることがよく分かるのではないでしょうか?
そうです。
「甾」の上の「巛」は上図でいうabcの「3本の側鎖」。
下の「田」はABCDの「4縮合環 炭素構造」を表していたのです。

つまりはこういうことです。

対応表

ということで、「甾」は「ステロイド」という意味でした。

構造式から象形文字が作られるだなんて、漢字って面白いですね。

4.造字

実は、中国では化学分野において、新漢字の創作が盛んです。

例えば皆さんは中国での元素の表し方をご存知でしょうか?

ここで日本について考えてみると、
日本で元素の名前と言えば「水素」や「酸素」のように漢字に翻訳されているものもあれば「ヘリウム」や「カルシウム」のように外来語をそのままカタカナで輸入しているものもあります。


ここで前回「近代漢字文化圏の話③ 水素」にも登場したた江戸時代の化学書『舎密開宗(せいみかいそう)』を参照してみましょう。

この中では既に邦訳された「酸素」や「水素」の語とともに、訳されず、外来語の音をそのまま流用している「加留毋(カリウム)」や「諳謨尼亜(アンモニア)」の語を見ることができます。

舎密開宗の目次

左側の第六十章には「諳謨尼亜(アンモニア) 水ニ和ス」、第六十一章にも「諳謨尼亜ノ成分」とあるのが分かりますね。

他にも当て字とは関係ありませんが「親和」「塩類」などの基礎化学で習うような語彙や実験などが記されており、江戸時代に既にこのような化学書があったと思うと少し面白いものがありますね。

“水ハ純体ニアラズ、水素ト酸素ヲ以テ成ル”

舎密開宗 第四十六章 水乃成分

上は前回も引用した一節です。

ここで復習ですが、『舎密開宗』の著者、宇田川榕菴は蘭学者で、彼こそが「水素」や「酸素」といった日本語を初めて創作した人物です。

上の一節ではその言葉がどちらも使われていますね。

そして前回も少し触れましたが彼の作った語彙は海を渡っています。
韓国では水素を「수소(スソ)」酸素を「산소(サンソ)」と呼ぶのがその例です。

これは韓国が、東洋で最も早く体系的に化学を習得した日本の影響を強く受けているためです。

この言葉を作った蘭学者、宇田川榕菴もまさか海の向こうの朝鮮半島でも自分の訳語が使われるなんて思っていなかったでしょうね。


しかしそんな日本のみならず海外でも使われる「水素」や「酸素」を邦訳した彼でも、「加留毋(カリウム)」や「諳謨尼亜(アンモニア)」は翻訳せずに当て字を使っているのです。
以上より、日本では化学語彙を網羅的に翻訳することは当初から諦めていたことが瞭然でしょう。

しかし、中国では違います。
かの国では、なんと全ての元素を漢字1文字に翻訳しているのです。
これについては見てもらった方が早いでしょう。
以下が漢字版周期表です。


中国語(簡体字版)周期表


全てを翻訳する中華の熱量は凄まじいものがありますね。
それに全部漢字だと極めて化学的なお経みたいでなんだか不気味です。

金属元素は全て「金へん」になっているなどの規則性は見てとれますが、これだけの漢字を覚えなくてはいけないかの国の化学専攻は本当に大変なことでしょう。


さて上の周期表をご覧になればわかりますが、例えば水素は「氢(qīng)」と書かれています。

あ、水素は前回で解説しましたね。

ではまだ触れていない「酸素」について解説しましょう。

酸素を意味する「氧(yǎng)」。

これは『生命を体』という意味で、「養」と「気」を合体させた合字です。

「養」の上の「羊」の部分と「気」の外側の「气」を合わせているのに気づきましたか?

ちなみに発音は「養」の中国での発音「yǎng」と同じで「氧(yǎng)」は会意形声の手法で造字されていることが解ります。

このように中国の化学漢字は作られているのです。

それにしても元素を漢字1文字で表すなんて面白いですね。


では最後に皆さんにクイズです。

「羟(qiǎng)」。
この漢字の意味を推測してみてください。ちなみに元素ではないので上の周期表には載ってません。

勘の良い人はもうお分かりでしょう。
「羟」には「氧」と「氢」の要素が混在していることに気づきましたか?

「氧」は「酸素」、「氢」は「水素」でしたね。

ということは…。


つまり、酸素と水素の化合物だ!

酸素と水素が合わさったもの...。


あ!もしかして「水」!?

そう思ったあなたは愚かです。水は中国語でも「水」です。当然でしょ?笑


これは英語で考えると解りやすいです。「水素」は英語で「hydrogen」、「酸素」は英語で「‎oxygen」です。
では「hydrogen +‎ oxygen」は何になるでしょう?

正解は「hydroxy(ヒドロキシ)」でした。

ヒドロキシ基のヒドロキシですね。

ということで、「羟」は「ヒドロキシ」を意味します。

「hydrogen」の「hydro」と「oxygen」の「oxy」を合わせて「hydroxy」。
「氧」の「羊」と「氢」の「圣」を合わせて「羟」です。

だったら日本語でも「酸素」と「水素」を組み合わせてこれを「酸水」とか「水酸」と呼べば良さそうなのに、そこは英語に準拠して「ヒドロキシ」。
なんていうか、日本語はやることが中途半端ですね(一応“水酸基”という呼び方はあるらしいですが一般的ではありません)。


5.終わりに

さぁ、今回は漢字と化学で文理混合の話をしてみました。

いかがでしたか?

私は近代漢字文化圏にも興味があるのですが、高校までは理系クラスにいたのでこういう話も好物なんです。

なのでこの話が皆さんにとっても面白い話であったなら嬉しいです。

ちなみに最初に書いた通りこの文章の大半は以前私が別のブログに書いたもののコピペです。
コピペではありますが、どちらも執筆者は同じなのでむやみに騒がないようにお願いします。

では今回も読んでくれてありがとうございました。
また次回お会いしましょう!


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