働くことの意義を実感し、いきいきと輝くための一手『石門心学』に学ぶ忠の教育観(完結編)~「石門心学」に学ぶ忠の教育観とは?~ー『日本人のこころ』45ー
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すという主題のもと
小学校教諭をさせていただきながら、
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
季節の変わり目は、
体調を崩しやすいものです。
かという私は
体調を崩してしまうという負担と
やりたいことをとことんやりたいという思いとの間で
葛藤しながらも
「今日はこんなに進めることができた!」
「今日は全然進まなかった…」という
気持ちにも左右されながらも
なりたい自分に向けて勉学に励むことができています。
また、
Xのspaceを活用しての
「日本が好きになるシリーズ」も
多くの方からお聴きいただき、
好評のコメントやDMも多数いただいております。
ありがとうございます。
特に、対談回が好評のため、
今後も、ぜひぜひ多くの方々と我が国についてお話をしていきたいと思います。
高杉とお話したい方をぜひ、募集しております。
DMにてご相談ください。
さて、
第11弾もいよいよ完結編です。
ぜひ、
最後までお付き合いください。
よろしくお願いいたします。
前回は、
『都鄙問答』に書かれていることを基にして、
石田梅岩先生の考え方をお話してきました。
『石門心学』の精神は、
現代の日本人においても大きな影響を与え続けています。
いかに古いものであっても、
本当によく練られた思想というものは、
時代的な制約を超えて何度も生き返るものです。
現代に生かすことができる『石門心学』の精神について、
最後にお話していきます。
1)『石門心学』を学んだ人の特徴とは?
梅岩先生は、20年間呉服屋の店員として働いた後、
退職することを決意します。
店員として極めて優秀だったため、
独立することも十分可能だったと思います。
それにもかかわらず、完全に商業の世界から離れてしまうのです。
そして、
その後二度と商売に関わることはありませんでした。
自分の愛した商業の世界から離れてまで、
梅岩先生がしたかったことはどのようなことでしょうか。
それは、
自分自身のうちに培った思想を
講義という形で語り伝えることでした。
45歳になった梅岩先生は、
現在の京都市中京区車屋通御池上る東側にあった自宅の一間を教室して、
無料の講義を開始します。
まったく無名の元商人が、突然講義を始めたところで
果たして人が集まるのでしょうか。
講義開始からしばらくは、
当然ながら、誰一人聴講者はいなかったといいます。
しかし、
それでもくじけず、講義を開き続けた梅岩先生のもとには、
すこしずつ人が集まり始めます。
無名ながら、
十分な知識量とそれを活用する知力を備えていた講義は、
聞く人が聞けば、本物だとわかるものだったのです。
梅岩先生は、
これ以降も精力的に講義を続け、最終的に多くの門人を育てました。
その間に
『都鄙問答』(1739年)と『斉家論』(1744年)という2冊の本を著し、
それも大きな評判になったと伝えられています。
そして、
1744年に何の前触れもなく、
突如この世を去りました。
享年60。
梅岩先生は、生涯独身で、子供もいませんでした。
財産らしきものも日常的に使う者以外、何もなかったようです。
このように、
梅岩先生の60年間の障害は、非常に慎ましやかでした。
しかし、
この梅岩先生の熱は、
その後数えきれないほど多くの人々に生き方を
根本から変えさせるほどの力を持っていました。
アメリカの宗教社会学者だったロバート・ベラーは、
著書である『徳川時代の宗教』(1957年出版)において
我が国が近代化の条件をそろえるにあたっては、
江戸中期以降に盛り上がった思想が重要な役割を果たしていると
論じました。
この本の一節に、
というものがあります。
この箇所において、
ベラー氏は、心学を学んだ人々は、
「倹約と節約を毎日実行し、勤勉に仕事に献身する」という指摘です。
これが『石門心学』の本質だと私は考えるのです。
日常の行為の大切さを『石門心学』を通じて学んだ人々は、
倹約に励み、より勤勉となるのです。
この3つは、
江戸時代の日本人だけではなく、現代においても、
日本人の性質としてよくいわれるものです。
そして、
この『石門心学』の精神性が、
江戸末期において、近代化を迎え入れる土壌を整備し、
終戦後の日本経済の強みである「道徳力」を支えていたのです。
2)梅岩先生が目指した「真の倹約」とは?
『都鄙問答』において、
という記述があります。
商業についての正しい知識をもち合わせていないような者は、
欲望が止まることなく、
ただひたすら「自己の利益」を追求することによって
結果として「家を滅ぼす」と警鐘を鳴らしているのです。
本当の学問とは、
知識量を増やすようなものではありません。
人生や社会に対する正当な見方を獲得し、
日々の実践に落とし込むことができるような「知恵」の獲得を
目標とするものなのです。
梅岩先生は、
自らの精神で「自己の利益」を抑え、
常に「天下国家」の福利を願い、その実現につながる行いに励むことこそ、
学問の道徳だと語っています。
『石門心学』を考えるときに、
「倹約」という言葉がよく使われます。
景気が沈んでいる中で、
政治家や評論家は「個人消費が低迷している」と、
毎日のように語っています。
消費が落ち込んでいる以上、状況の好転は期待できないと力説します。
だからこそ、
どんどんお金を使って、
海外から観光客を呼び込んでたくさんお金を使ってもらえば
景気がよくなる。
そして、
国民は裕福になって幸せな人生を送ることができる。
でも、
どんなに裕福になっても消費だけは止めてはいけない。
消費に次ぐ消費の毎日。
そのような人生は果たして幸せなのでしょうか。
消費には当然お金が必要であり、
幸福が消費と結びついている以上、
多くの人の目標は、たくさんの収入を獲得することになります。
高い収入の人がそのまま高い幸福につながるという論理です。
結果的に、
人はお金を得るためにはなりふり構わなくなってしまうでしょう。
犯罪を犯さない範囲で、出来る限り多くの収入を得たい。
そのような人が向かう先は、
マネーゲームだったり、投機的な仕事だったりするわけです。
このように拝金主義になってしまう社会には、
道徳が喪失するだけではなく、
自律的思考を放棄した国民ばかりの心がすさんだ国に
なり果ててしまいます。
消費は、
社会に活力を与えるためには必要なものです。
しかし、
限度はあります。
だからこそ、
「消費」か「倹約」かの二者択一など意味はありません。
「消費」は必要で、
その暴走を止めるために「倹約」の本当の意味を学ぶ必要があるのです。
『石門心学』における「倹約論」を学ぶことで、
日本人のこころが見えてくると思うのです。
梅岩先生の講義録である『石田先生語録』では、
と記述されています。
梅岩先生が考える「倹約」と
世間一般において考えられている「倹約」は異なることを説明しています。
通常、「倹約」とは自分の為に節約することと思われていますが、
梅岩先生の考える「倹約」とは、
世界のための節約なのだと主張しているのです。
『書経』でいわれているように、
国の根本民であり、根本である民に最も必要なのは、食料です。
だからこそ、
税金として3石納めさせるところを、2石で済ませるようにすれば、
民は大いに安心し、余裕も生まれることになります。
さらに、『斉家論』において、
「倹約」の必要性を次のように説明しています。
どのような立場であっても「倹約」は必要であり、
「倹約」を実行することで、家が整う。
つまり、
「斉家」が達成され、国も治まり、天下が平和になると述べています。
『大学』における「修身斉家治国平天下」のことになります。
世の中に平和を実現するためには、
まずは自分の修身から始め、
次に家を整えて、国を正しく治めなければならない。
「倹約」することによって身が修まるのであれば、
「倹約」は世の中のためでありつつ、
自分を向上させることにもつながるということなのです。
梅岩先生は、他にも著書の中で次のように語っています。
これらのことは、一見関係ないようで、
梅岩先生の中ではすべて同じ「倹約」の実例なのです。
梅岩先生のとっての「倹約」の本質。
それは、
ということです。
真の倹約とは、
いたずらに出費を抑えることで実現できるものではありません。
事物の本性を正しく理解して、
それに最もふさわしい場所や用途を考えなければならないのです。
だからこそ、
事物や人間の本質が最も輝くことができる適所を常に考えつつ、
自らの行為を選択していく必要があるのです。
3)『石門心学』に学ぶ忠の教育観とは?
日本国の強みであり美意識であるものは、
「物の本性」を最大限に引き出し、
発揮させることを何よりも大切にしている
ということだと考えます。
梅岩先生は私欲を批判し、
「正直」から立ち上げられた「倹約」を重要な道徳的行為
として称揚しました。
「失われた30年」における日本経済は、
主に大企業の従業員に対する扱いによって、
容易に浮上できないほどのダメージを負いました。
企業は市場で競争し、勝ち残らなければなりません。
商品を売る際には、
競合他社より1円でも安く商品を売らなければならず、
そのためにはあらゆる「無駄」を削る必要がある。
人件費も、その無駄の日筒に数えられたわけです。
正規に雇用すれば、
福利厚生のために多額の費用が必要になる上、
業績に応じて解雇することも難しくなる。
そこで、
目をつけられたのが非正規雇用でした。
日本型の終身雇用、年功序列システムでは、
市場で戦えないと判断されました。
勝ち抜くためには、
会社を可能な限り身軽にしなくてはならなくなったのです。
家族主義的といわれた我が国の企業は、
家族の数を減らし、
足りない労働力を他人である外国人迎えることで
埋め合わせる戦略を選んだのです。
梅岩先生の「倹約」とは、
出ていくお金を減らすだけではなく、
場合によってはお金を使うことでもあると説きました。
優れたは働きをした従業員に、積極的に臨時の手当てを与えれば、
さらにやる気を出し、高いの能力を発揮するかもしれません。
そして、
そのような経営者の姿勢をみたほかの従業員も
より良い仕事をしようと奮い立つかもしれません。
これまで失敗した経営者の多くは、
単純に数字だけを見て従業員の本性を把握することを
怠っていたのではないでしょうか。
商品の価格、原価率、売上高…。
このような数字を正確に知り、
分析することも重要な仕事です。
しかし、
従業員は全員、1度きりの人生を生きるかけがえのない人間なのです。
それぞれの顔を見て、本性を引き出す努力をせずにして、
会社の長期的な成長は実現されることはありません。
『斉家論』において、
梅岩先生は、非常に重要なことを記しています。
企業の経営に携わる者も、これと同じなのです。
たとえ、自分が拙いと感じていても、
本性に従うために、日々の努力を続けなければなりません。
それは、
正しい倹約の道知覚し、従業員に教え示していくことも意味します。
少なくとも我が国の経営は、
近世の終わりから長きにわたって、真の倹約を重んじてきたのです。
これらを軸に据えて働いてこそ、心も安心に満たされる。
同時に事業は繁盛し、周囲から感謝される。
それが輪となって広がれば、立派な社会を築くことができる。
このように人間の心を原点として経営を考えたところから、
石田梅岩先生の教えは、
『石門心学』と呼ばれ、今でも日本人の心に宿っているのです。
石田梅岩先生の『都鄙問答』は、
江戸時代に10回、
明治以降も14回も出版されるロングセラーとなりました。
弟子たちは全国を行脚して心学の普及に努め、
最盛期の天保年間(1830年代)には、
全国34藩、180か所に講舎が作られました。
心学は武士の間にも広がり、
寛政の改革に参画した15人の大名のうち8人が進学を修行していた
といいます。
このような『石門心学』の考え方は、
日本人の勤労観、事業観に大きな影響を与えたのです。
我が国の経済が繁栄を取り戻すためには、
忘れかけている日本人の心を思い出し、
「勤勉・誠実・正直」の道徳心を取り戻し、
経済的な豊かさだけではなく、
精神的な豊かさを追求することでこそ実現することができるのです。
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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。
極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。
昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。
その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語と修身教育を廃止させたのです。
戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。
しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。
道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。
「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。
教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。
教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。
教育とは国家戦略。
『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。
「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。
江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。