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そもそも「考える」ってどういうこと?―『考える力』を高める魔法の言葉~日本人が大切にしてきた「言霊の本質」を探る~―(中編)

こんにちは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


その一環として、
小学校教諭として学校現場では、
「和の心」を軸に、喜びあふれる豊かな学級集団を作り上げるために、
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を目指して
日々奮闘しています。


前回から、

『考える力』が高まる魔法の言葉

という主題でお話をしていきます。


今回は、
そもそも「考える」ってどういうこと?
その仕組みについてお話していきます。







1)「考える」ってどういうこと?





皆さんは、この「考える」という言葉の意味を説明できるでしょうか。

「しっかり考えなさい!」

「考えればわかるよ」

「ちゃんと考えないから、そうなるんでしょ!」

「みんなで考えてみよう!」



これまで家庭生活、学校生活、職場においても、
この言葉は日常的に使われていますよね。

しかし、
実はその意味を、それこそ「考えず」に使っている可能性があります。

大人でもよくわかっていないこともあるのですから、
子どもたちはなおさらわかるはずがありません。

子供に「ちゃんと考えなさい」と言ってみたり、
他人に「よく考えろ!」と言ってみたりしたところで、
言われた相手はよくわかっていないので、頭がフリーズしてしまうのです。

この「考える」仕組みが分かれば、
ぼんやりしていたもので、はっきりとした楽しいものに見えてくるのです。




僕は、


『考える』とは、「広げる」ことであり、「深める」ことである。


と捉えています。


「広げる」とは、
今までなかったものを生み出したり、新しい価値を作っていくことです。


「深める」とは、
「そもそも」を見つめなおすことです。


人間は、一日に6万回、何かを考えているという説があるそうです。

寝ている時間を除くと、
ざっくり1秒に1回は思考していることになります。

私たちって実はみんなすごいんですよね!



2)「考える」と「思う」の違いは?




ところで、

「考える」と似ている言葉で、「思う」というものがあります。


みなさんは、このふたつの言葉の違いは何だと思いますか?




例えば、
好きな人がいるときのことを思い浮かべてください。

大好きな人です。

「いま、何をやっているかな?」

「この間のデート楽しかったな」

頭の中は好きな人のことで占められいます。

いつも相手のことを考えてしまう。

こんな経験ないでしょうか?


しかし、この場合の「考える」とは「思う」なのです。

英語で言うとthinkではなくfeelという感じでしょうか。


「思う」とは、頭に浮かんでくる、感じること。


「考える」とは、目的のために意識的に思考すること。


と僕は、考えます。





「一生懸命考えたんですが、答えが全く分かりませんでした!」

こんなことをいう人がいます。


この場合、

「考えている」のではなく、「思っている」状態がほとんどです。


また、「プランを一生懸命考えました!」という人もいます。

しかし、
よく見てみると、調べたものをまとめただけということもあります。

「知っていること」と「考える」ことにも違いがあるのです。



3)「考える」が習慣になっている人の特徴とは?





例えば、
国語の問題でよく

主人公はなぜ、〇〇のようなことをしたのでしょうか?」


という設問に出会ったことはありませんか?

実は、考えているにも2パターンあり、


字面だけを追っている子は、

「文章からその答え」を探そうとします。

問題に正確に答えるためには必要な力です。


その一方で

「普通、〇〇のようなことはしないだろ。」と考える人もいます。


意味を理解したうえで思考するからこそ出てくる言葉です。




東大生には共通する3つのことがあるみたいです。


ボキャブラリーが豊富なこと。
②集中して人の話を聞くこと
③自らの意見を必ず語ること。



です。


「ボキャブラリーが豊富」はよくわかると思います。
とにかく言葉をよく知っています。
本から学んだことも考えられますし、
受験勉強を通じて語彙を獲得してきた可能性もありますが、
いずれにしても、
一つのことを表現するのに、いくつもの言葉を知っているため、
言い換えて説明することができます。


「集中して人の話を聞く」は顕著に表れます。
こちらが大した話をしていないにもかかわらず、
集中して話を聞いてくれます。
実は、人の話をよく聞くということは、
それだけで集中力を発揮することでもあります。

つまり、常に集中して「聞いて」いるのです。
集中力と記憶力は比例関係にあるため、
彼らの記憶力がずば抜けていることの背景の一つに
「話を聞くこと」が挙げられます。


そして、「自らの意見を必ず語る」こと。
人との話をよく聞くと同時に、
その内容について自分なりに咀嚼、自分の考えを話し始めます。
それほど重要ではない日常の些細なテーマに対しても、
この傾向を持っています。


このようなことが日常からできているのですから、
学校や塾の授業で、
たまたま目の前にある国語や数学といった問題に対しても、
自然に行われていることであろうことは容易に想像できます。


つまり、
彼らにとって勉強は生活の一部であり、
日常の友達との会話、授業中のやり取りも同じなのです。





「考える」ということをせずに、
ルーティン化された日々を漠然と生きる。


その結果、
ネットやテレビに流通する情報に振り回されたり、
判断を人に委ねてしまったりするので、自分軸を見失うこともあるのです。

自分の頭で考え、判断し、実行していくこと
重要なのは誰でも理解できますが、
初めのステップである「考える」ができなければ、
適切な判断をすることはできないでしょう。

つまり、
「考える力」を手に入れると、
人生を歩む上で得られる情報、
気づきの量がそうではない場合よりも格段に変わるのです。




日ごろの生活から「考える力」を身につけることで
これまでとまったく異なった『景色』を見ながら生きていくことになり、
ひいては『できる自分』を創り上げていくことができるようになります。



では、
どのようにして、日常生活から「考える力」を高めればよいのでしょうか。


次回の記事で、お話していきます。


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『学び』って

もともと
「なんか気になる」
「なんか面白そう」 という
知的好奇心を満たしたり、
知る楽しさを満たしたりするもので

テストでいい点を取るためでも
試験に受かるためのものでもない。

そんな何かに「没頭できる」体験を
学校でできるようにしたいと考えています。


僕は、こう思います。

学校教育の役割は、
みんな同じように能力を高め、平均点を上げることではない。

それぞれに個としての能力を高め、
自分の持ち味を自覚し、
社会の中で自分をうまく活かせる場所を見つける力を養うことだと。


極端だけど本質的なこと。

『学び』とは、知識を得ることではない。

『学び』とは、「学ぶことの意味」を知るということ。


本当に教員がやるべきことは、
「学ぶことの意味」を子供が実感できるようにすること。

これさえおさえておけば、
「勉強しろ」と言わなくても
勝手に子供自ら学び始める。


『一隅を照らす これ即ち国宝なり』

私たちが小さな灯火として
周囲の一隅を照らす。

その灯火がたくさん集まって、
国家全体を明るく照らし、
将来への希望の灯りを点すことができるようになる。

大人が輝けば、子供も輝く。

今日も子供を信じて。

今日も自分を信じて。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。





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