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”見えている世界”と”見えていない世界”

どうも
わーさんです。

今回は「意識」をテーマに考えていきます。

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人はそれぞれの”見えている世界”で過ごしている

基本的に私たちは、自分が見ている景色が世界のすべてです。そのため、人はそれぞれの”見えている世界”の中で生活をしていることになります。

自分が見ている世界が世界のすべてであり、その世界の中で自分が正しいと思っている行動を取ります。

その世界というものは、生まれた時から決まっていることもあります。親や家系によって、生まれた時から自分の人生がある程度決められていて、物心がつくまでは、親が作り出した世界を自分の世界だと思って生活をすることでしょう。これはほとんどの人が当てはまるかもしれません。

そして、少しずつ大人になり、自分が置かれている状況がわかってくれば、その世界に対して、どのように生きて行きたいのかなど、心境の変化が生まれてくることだと思います。

そのため、その時に自分が見ている世界とは違う、”見えていない世界”というものの存在に気がつくことになるのです。


”見えていない世界”の存在

”見えていない世界”とは、自分が今まで生きてきて、みたことがない景色のこと。人によっては、それが異なる世界のように感じるかもしれません。

ただ、生きている状況が人それぞれ異なってくれば、人は必ず”見えている世界”と”見えていない世界”の2つを持ち合わせながら生きていることになります。

これを日常から感じることができているかが、大きな価値観の変化になってきます。

つまり、自分が置かれている立場が他の人と比べた時に、どのように違うのかを考えるきっかけにすることができます。

自分のどんな部分が幸せと感じるのか?
自分のどんな部分が不幸と感じるのか?

そんな自分には何ができるのか?

自分が置かれている環境を考えることによって、今まで見えていなかった世界が一瞬にして考えるべき対象になってくるのです。


”見えていない世界”こそが新しい世界

つまり、”見えていない世界”を感じることが、自分が今までみていなかった。もしくは、知っていたけど無視していた世界になる。

それを受け入れることで、新しい価値観を築くことができる。自分には見えていなかった世界だけど、人によってはそれが当たり前の世界で、自分の立場から考えると苦しい世界にいる人のことも考えれるようになる。

そうした時に自分には何ができるのかを再度考えることができる。

そうすることで、人はより幅広く価値観を広げることができると私は考えています。

自分が見えている世界だけが当たり前ではないのです。


”見えている世界”の裏には”見えていない世界”がある

自分が見えている世界の裏側には、見えていない世界は存在しています。

つまり、自分には当たり前の世界の他にも、世界はある。

それは、すごく裕福に見える世界もありますが、自分よりも苦しい環境に置かれている世界もある。

その2つの世界を見ることによって、自分の心境がどのように変化して、自分が見えている世界の中でどうすることができるのか。

そして、今まで見えていなかった世界に対してどのようなアプローチをすることができるのかによって、人と人とのつながりをより感じることができるようになっていくと思います。

実際の世界は不公平です。

ただ、いつの日か、つながりだけでも公平な世界がくることを願う。それをするためには、人それぞが見えていない世界を意識することが大切になってくるだろうと考えています。





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