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「個人」のやったもん勝ちと「集団」のやったもん勝ちは違う

どうも
わーさんです

今回は「始めること」について書いていきます。

何かを始めて、そのことが成功する。
それによって自分というものが認められる。

ある意味、それは「勝ち」と言ってもいいのかもしれません。他の人が出来なかったことが自分にはできたことで周囲から認められた。

それによって、自信につながった。
いい兆候だと思います。

よくある言葉で「やったもん勝ち」と言ったりもするかもしれません。ただ、この「やったもん勝ち」という言葉は誤解を生む可能性があると私は考えています。

今回はその部分に触れていきたいと思います。

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「個人」のやったもん勝ち

「個人」のやったもん勝ちは一般的に自分が何かを始めて、それが結果となった。そのきっかけとなったとは「自分自身がそのことをしたい」という気持ちの表れが周囲にも認められて、社会的にも大きな成果を残す結果になった。

このことはとても素晴らしいことだと思います。

「何かを変えたい」という気持ちから結果にもつながって自分の中で勝ちを手に入れることができたのは大きなことだと思います。


集団のやったもん勝ち

一方で「集団」やったもん勝ちというのはある意味、グルになって優越感に浸りたがる人のことです。

優越感に浸ることに関してはとやかく言うつもりはありませんが、それを人に対して圧力とすることには納得できないです。

・お前まだやっていないの〜?
・そんなのも知らないのか?

といった感じの言葉や態度にはいいと感じるものはありません。このような「やったもん勝ちの勘違い」は時として人を傷つけることにつながります。

このような行動は信頼を生まないです。

そして、人が離れていきます。
最終的にはひとりになってしまうのです。

優越感に浸るもの、しっかりと考える必要があると感じています。


優越感に浸ることに気をつける

人間というものは「組織」の中で生きています。

裏を返せば、単独行動だと弱い部分があるため人の力を借りて生きていることとも言えると思います。

人と協力することはとても大切なことですが、その協力を人を脅すようなことや人を挑発するようなことに使うのは意味が違ってくると思います。

また、優越感に浸りすぎることで自分自身と言うものを見失うことにもつながってくるかもしれません。

大切なのは、個人のやったもん勝ちのような「ワクワク感を持ちながらの成功」というものが大切になってくると思います。

そのワクワク感を集団の中でも持ち続けられるような生き方を私は考えていきたいです。




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