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スーツ+ノーネクタイはダサい!?

スーツ+ワイシャツに、ノーネクタイはしょぼいらしい。衝撃だった。

成毛 眞(なるけ まこと)さんの『バズる書き方』という本のなかで、成毛さんご自身の投稿した文章が紹介されていた。そのなかの一つに、スーツとノーネクタイは「しょぼい」とあった。

ボクはまさに、上下揃いのスーツにワイシャツ、ノーネクタイで仕事に行っている。自宅から30分かけて電車通勤。ノーネクタイが本当にしょぼいのであれば、ボクは毎日、しょぼさを振りまいていることになる。

成毛さんいわく、ノーネクタイは一昔前のトレンドで、今となっては、懐かしいけれど時代遅れだという。言われてみればそうなのだが、言われてみて初めて強く意識するようになった。ここ数日、毎日の出勤が恥ずかしい。

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正直なところノーネクタイの賛否はどちらでもいい。人それぞれの好みがあるし、会社によっては変えようがない場合もあるはず。でも、ボク自身は「え?まじで?着るものを変えよう。ビジネスファッションに気をつかおう」と思うようになった。

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言葉ってすごい。

言われて、ストンと納得することができれば、意識が変わる。

ここ数日、ボクはビジネスファッションのことしか頭にない。仕事中も、お客さんと接しているとき以外は、服のことに意識が持っていかれている。良くないことは分かっているけれど、頭のなかがファッションに占拠されてしまっている。勤務時間が終われば、ファッション情報を集めてしまっている。道を歩いていると、男性ファッションばかりを目で追ってしまっている。

だって「しょぼい」って言われると、誇張するクセのあるボクとしては「ダサい」と言われているように感じてしまう。もっと言えば「センスない」って言われているように思ってしまう。

ボクは高校生まで、ママに選んでもらったシマムラの服を着ていた。今でこそコスパ抜群なシマムラだけど、当時のシマムラはヒドいものが多かった。持っていたTシャツの1枚に、たしか「sunny boy sunday」とか書いてあったような…。絶妙なタッチの少年の絵を添えて。ネット検索したけど見つからなくて、ここで紹介できないのが悔やまれる。

とにかく、それほどファッションに無頓着だったボクは、なんとか大学デビューをしようとした。だから、「ダサい」「センスない」という言葉には、今でも敏感になっている。

「ダサい」「センスない」って何だか人格を否定されているような気がする。

センスないって言われたって…。どうしたら伸ばせるの?伸ばせるなら伸ばしたいよ…。って思う。

これはファッションに限らず。ビジネスにしたって、営業にしたって、コミュニケーションや笑いにしたって、「え…センスないね」って言われると、ボクの心のやらかい場所がぐっと締め付けられる。「センスない」って最強の悪口じゃないかしら。

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悪口という観点で話を広げると、言葉のすごさがより実感できる。

友人Aが、別の友人Bの悪口を言っているとする。そういうのを聞くと、ボクも友人Bのことを悪く思ってしまうようになることがある。友人Aが「アイツ(友人B)の指摘って、いつも細かすぎてムカつくんだよね」というと、ボクも友人Bの細かい指摘に意識が向いてムカついてくるようになる。

なにかを言われて、確かにそうだと納得してしまったら最後、あたかも初めから自分でそう思っていたように意識が書き換わる。

ここまでネガティブな方面を話題にしてきたけれど、ポジティブな言葉も一緒。

アイツのこういうとこスゴいよねっと言われたら、そういう面に目が行くようになる。
ほかにも例えば、自己啓発書でよく言われる「失敗の先に成功がある」という言葉に、ボクは何度助けられたことか。

いい言葉をもらって、意識が良い方向に変わることもある。

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ここでスーツとノーネクタイの話に戻すと、『バズる書き方』という本の成毛さんに対して、悪口言うんじゃねえって批判したいわけではない。

むしろ、おお!これが「バズる書き方」なのか!って教えられて、感動すらしている。ボクはこんなにも心を乱されて、こうやって共有したくなっている。「バズる」の一端を担っていることになる。

そして、しょぼいよって指摘してもらって感謝もしている。スーツ+ノーネクタイで今の会社に勤務して2年を越えるけれど、これまで誰にも指摘されたことがなかった。指摘されることがなければ、これからも「しょぼさ」を振りまき続けるところだった。失敗の先に成功があるわけだから、今から少しずつ改善していこうと思う。

■■今日の教訓(ポイント)■■

言葉で指摘されるから意識が変わる
意識が変わるから行動が変わる

■■以上■■
今日の気づき(2021年6月10日)




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