【雑記】被災記/ジプシー音楽とドヴォルザークを聴く 2023年5月5日
今月のはじめ――2023年5月5日、私の住む金沢を震度4の地震が襲ったとき、私は石川県立音楽堂のコンサートホールでドヴォルザークの交響曲第8番の演奏を聴いていた。
第3楽章の前半あたりで、周囲の観客たちの携帯電話から、一斉に「地震です」という警報音が鳴った。観客席に動揺が広がり、私もまたご多分にもれず、とっさに頭の中に「最悪の事態」を色々と想像した。落下物、逃げ惑う群衆、パニック、ドミノ倒し……などなど。これから地震が来るのだという警告の内容もさることながら、そもそも携帯電話が一斉に鳴り出すことが想定外である。演奏が始まる前には、「会場内には携帯電話の通信を遮断する電波が飛んでいますが、各自、携帯の電源はお切りください」という仰々しいアナウンスがあったのだ。
私はとっさに出口を見た。この席からなら遠くない。地震が来たら、外に出るべきだろうか。
私は天井を見た。特にこの席に落ちてきそうなものもない。要するに、何もせずに座っているのが一番良い。
すぐに揺れが始まった。まだ演奏は整然と続いている。私達は、コンサートホールの観客席に腰掛けながら、芝居の仕掛けか何かのように地震を「鑑賞」した。やがて演奏は中断され、全員が、地震が収まるのを待った。
当然のごとく、この日、私の印象に最も強く残ったものは、演奏の内容ではなく地震だった。一瞬の動揺が周囲の観客席に伝播し、地震の揺れが、観客たちのどよめきを伴って、オーケストラの演奏を切断する――。
個別の地震に個別の「内容」があるとすれば、今回の「内容」は、そのような体験だった。ドヴォルザークの交響曲第8番という作品の「内容」に並べられるかのように、地震の「内容」は、観客席でくつろぐ鑑賞者へと差し出されたわけだ。
やがて、揺れが収まり、しばらくたってから演奏は再開された。
指揮者はレオシュ・スワロフスキー、楽団はヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団。公演は、石川県で毎年開催されるクラシックのイヴェント「風と緑の楽都音楽祭」の一部だった。
日頃熱心にクラシックを聴いているわけではない私がこのイヴェントに足を向けたのは、ドヴォルザーク第8のためというより、その前の時間にプログラムされていた、ハンガリーのジプシー音楽の公演を観るためだった。ヴァイオリン、コントラバス、そしてツィンバロン(ツィンバロム)のトリオ、「ハンガリー・ジプシー・バンド(スターライト・トリオ)」の演奏だ。
ツィンバロンの音に期待しながら、またハンガリーと言うだけでハンガリー革命のことを安易に思い浮かべたりしつつ、私は石川県立音楽堂の邦楽ホールに足を踏み入れた。(座席番号が座席の分かりづらい位置に振られていて、少し迷ってしまった)。
自宅で聴いたレコードから想像していたのに比べて、ツィンバロンの音色は、遥かにピアノに似ていた。奏法が違うのだろう。
と思いきや、終盤、2曲ほど、私が聴きたかったとおりの尖った音色で音楽が奏でられた。奏法を変えたのだろう。尖った音のツィンバロンとともに奏でられる「ひばり」は圧巻だった。
しかし、これは明らかに、クラシックとして座って聴くのではなく、みんなで踊りながら聴くべき音楽だ。
一般論として、民族音楽はできる限り生で聴くべきだ。あるいは、超高周波の音が生理活動に変化をもたらすという「ハイパーソニック・エフェクト」現象を念頭に、CDではなくレコードやハイレゾ音源で、そしてヘッドフォンではなくスピーカーで。もちろん、踊れるときにはできる限り踊り狂うべきである。
もっとも、運動神経の悪い私が音楽に合わせて体を揺らすと、痙攣ダンスのようになってしまうのだ。そして、私の部屋の床は本やCDやレコードやガラクタで埋め尽くされており、ダンスフロアとしては0.7人用くらいだろうか。
部屋を出て、路上で痙攣しよう!
帰宅すると、乱雑に積み上げられていた本やCDやレコードは、ぐちゃぐちゃに散乱していた。
ダンスフロアは、0.2人用くらいに縮減されていた。
レコード・プレイヤーは、落ちてきたマルクスの『資本論』の下敷きになって破壊されていた。
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