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私はここで待つ ただの止まり木でしかない

私は子どもたちにとって「止まり木」に過ぎないな、と思う時がある。
子どもたちを変えることはできない。でも、情報や選択肢を与えることはできる。
成長する過程で、私という止まり木に寄って、少しでも彼らを認める言葉や成長を促すきっかけを与えられたらそれでいい。

教師となって一年目は、「ちゃんとさせなきゃ」という意識が強かった。
全員に正しさを強く求めた。
響きは良いが、目の前の子どもを見ておらず一方的な思いだった。
机上の空論のようなことばかりを語り、子どもたちの心にも当然響かなかった。


でも、教育に綺麗事ばかりは通用しない。
家庭訪問、玄関開けたらゴミの山。
小蝿の飛び交う廊下。
そんな光景を見たことがある。
酷い悪臭の中から「先生来たー!」とキラキラした笑顔で駆け寄って来る子ども。
胸が痛んだ。

不登校のお子さん。
毎朝迎えに行った。
夜勤でお家の方がいないことが多い家庭。
子どもたちが3人寄り添うようにリビングに布団を敷いて寝ていた。
生活する場と休む場の区別がついていない、ぬるま湯のような雰囲気の家。

生きているだけで、学校に来るだけで合格の子どももいるんだって思った。
大人の理想を求めるのは、ただのエゴでしかないのだとも。


相変わらず、理想は語るし頭の固い直球勝負。
目の前の子どものことを充分に見取れていないこともある。
あれで良かったのか?本当に子どもたちのことを考えて出た言動だったのか?エゴの押し付けではないか?
毎日、一人で反省会。

でも、私はいつでもここであなた達を待っている。
元気に学校に来て、笑顔で帰ってくれればそれでいい。
お家で何があっても、学校に来たらほっと羽休めできるような学級にしたい。
一番厳しい子どもに一番優しくできる人でありたい。
自分に自信はないけど、その想いはブレることはない。
謙虚にかつ真摯に子どもたちに向き合おう。

私はただの「とまり木」。
未来へと羽ばたくあなた達の背中を見送る。


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