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あなたはいい子


小学生の時、弟の付き添いで、週に二回、学習教室に行っていた。

大学の敷地内、周囲に木が鬱蒼と茂った小さな建物の中、薄暗くひんやりとした廊下の突き当りに、その教室はあった。

狭い教室の中は、ボランティアの学生さんや同年代ぐらいの子どもたち、付き添いの保護者の方たちでいつも賑わっていた。

後から知ったことだが、そこは、『通常の学級に在籍していて、学習面や生活面でつまずきがある子どもにとって適切な支援策を考える場所』だったらしい。
当時は、『学生さんや子どもたちと遊んだり、お菓子を貰えたりする楽しい所』ぐらいの認識で、そういう目的で通っていたとは知らなかったがー。



学校で、いつも問題児扱いされていた弟。
授業中に離席する、キレたら手が出る、自分の関心がある方へ過集中してしまい集団行動ができない、などなど。

放課後には、毎日のように先生から家に電話が来る。時には、母が学校へ赴くこともあった。
(先生からのありがたい召喚は、なんと弟が大学生の時まで続くのだが、それはまた別の話・・・。)
電話や学校での先生との話が終わった後、母は険しい顔をして弟を呼ぶ。
『ああ、今日も学校で何かあったんだな。』と私まで暗い気持ちになっていた。

忘れられない光景がある。
下校中も、どこにふらっと消えてしまうか分からないので、いつも私が弟の教室まで迎えに行っていたのだが、
その日は弟のクラスの帰りの会が長引いていた。
何事かと教室前の廊下の窓から、そっと中を覗き見ると、先生に立たされて叱られている弟の姿。
弟は悔しそうに顔を真っ赤に歪めてぼろぼろと泣いていた。
見ているだけで胸が刺されるように辛い光景だった。

その日の帰り道、弟がぽつぽつと話してくれたことは、
「クラスの人に手を出してしまった。でも、その人いつも僕をからかってくるんだ。今日はどうしても我慢できなかった」と。
キレやすい弟に、わざとちょっかいを出して、反応を見て楽しむようなことをしてくる子だった。
弟は手が出てしまうから、いつも悪者にされていて。
心優しい弟だ。
理由がなければ手を出すはずもないのに。
弟がキレる背景を理解しようとしてくれる大人がいないこと、好奇の目で見て馬鹿にする子がいること。
全部全部許せなくて、どんなに弟が悔しかったろうと思うと悲しくて、今でも覚えている。



そんな毎日に母も疲れ果てたのだろう。
おそらく藁にも縋る思いで繋がった学習教室。

弟の担当になった先生は、若くて栗色の髪がよく似合う色白の可愛らしい女性で、将来教師を志している学生さんだった。
弟と目を合わせて「よろしくね」と微笑んだ先生。
隣で見ていて『すごく優しそうな先生だなあ』と思った。

その先生は、漢字を書くのが苦手な弟のために、へんとつくりをパーツとして意識できるようなプリントを用意し、一文字書くごとに花丸を付けてくれていた。
弟も嬉しそうに意欲的に取り組んでいた。
また、弟がぐちゃぐちゃで読めない字を書いてしまうからだろうが、そのプリントには、薄いカラーペンで漢字を色分けして、なぞれるような線が予め引いてあった。
弟は、はみ出さないように一生懸命集中して綺麗に書くことができた。

集中力が続かない弟と、先生は「何分頑張る?」と一緒に決めて、達成できたらいっぱい褒めてくれていた。

弟は、目標の時間を終えると、教室に置いてある大好きなトランポリンを暫く飛び、再び自分で切り替えて学習に向かった。
「何分頑張ればいい」という見通しがある安心感があったからだろう。
学校でも家でも、全く自分から机に向かおうとしていなかった弟が、だ。
こんなに生き生きと楽しそうに学んでいる弟の姿を初めて見た。

弟は本来勉強が好きなのだ。
でも、彼に合った方法ではなかっただけで、周りからは“できない”という烙印を押されていた。
先生は、彼の持つ力とやる気を引き出した。

そうする内に、最初は5分だった座る時間が、どんどん伸びて数か月後には45分座ることができた。
弟が「先生から貰ったんだ」と家で誇らしそうに見せてくれた賞状には、
『45分座って がんばれたで賞』という言葉と、マリオの手描きのイラスト。
弟は宝物のように恭しく、部屋の壁にその賞状を貼っていた。

弟の大好きなマリオ、わざわざ描いてくれたんだ。
なぜだか救われた気持ちになった。母も泣くほど喜んでいた。
45分、座って勉強する。当たり前のことで褒める程のことでもないって思われるかもしれない。
でも、弟にとっては、本当に頑張ったことで、そこを認めてくれた先生は凄いなって心から思った。

3月、先生とのお別れ会。
先生は、無事に教員採用試験に合格し、4月からは小学校の先生になるらしい。
大好きな先生との別れに弟は、ずっと泣きそうな顔だった。
涙をこぼさないように堪えながら、お手紙とお花を渡す弟に、
先生は、「あなたはいい子だね」と言って笑顔で頭を撫でた。
弟に「いい子」と言ってくれたのは、その先生が初めてだった。
今も素晴らしい先生として活躍されていることだろうと思う。



私の理想の教師像は今も昔も、あの時の弟の先生だ。
先生のように、一番厳しい子に一番寄り添える人でありたい。
その子に合った方法を模索して、持つ力を引き出してあげたい。
「できて当たり前」ではなく、「そもそも当たり前のようにできていることが凄い」し、「“できない”は悪ではない」と思いたい。
みんな、いい子。生きているだけで、いい子。大切にされるべき存在なんだ。

「あなたはいい子」って、目の前の子どもに心の底から愛情を持って伝えたい。

誰かが認めてくれた経験が、その人を生かしてくれることだってある。
まだまだ道のりは遠いけれど、
子どもたちの心に宝物のように残る言葉を贈ることができる教師に。

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