見出し画像

フェスに行くために休学を決めた話


高校生の時にたまたま本屋で手に取った『The World Festival Guide』。

海外旅行の経験もほとんどない私にとっては海外フェスなんて夢のまた夢でした。

だけど、どうしても海外の音楽フェスを見てみたいという気持ちが捨てられず、今年の4月から大学を休学し、海外フェスに行くことを決意しました。

学業や就活、金銭面など、様々なハードルがありましたが、色々なチャンスが重なって、この選択をすることができました。

「フェスに行くために休学するの?」

渡航費を稼ぐためのバイト、インターン、就活や資格勉強など、休学期間中にやるべきことは他にもたくさんありますが、でもやっぱり一番の理由は海外フェスに行きたいからです。

遊んでるだけのように見えるかもしれませんが、でも、私にとってはこれが今一番やりたいことで、その体験を発信していくことに意味があると思っています。

いざ始まる休学期間の前に、両親や友人など、理解してもらいたい人には、なぜ私が海外フェスに行きたいのかを知ってもらいたいと思い、今回この記事を書きました。

多くの人の協力があってこの選択ができていることを忘れずに、有意義な一年間を作りたいと思っています。

今後は海外の音楽フェスを自分の目で見て、体験して、そこで感じたことを発信していきます!


本記事は以前noteに投稿した記事を整理し、まとめ直したものです。



音楽フェスが持つ社会性とは?



私は音楽フェスが好きだ。

ただのフェスではなく、ただのライブでもなく、”音楽フェス”が好きなのである。

フェスというと、”一日中音楽が鳴り響く、パリピたちが楽しむお祭り”だと思われているかもしれない。

確かに音楽を楽しむお祭りであることに間違いはないのだが、それと同時に、フェスは『音楽を通して社会にメッセージを発信するためのハコ』なのではないかと思う。

今回は、そんなフェスが持つ社会性について書いていきたい。


フェスと主催者

同じライブを鑑賞する場としてはアーティストの単独ライブも音楽フェスも変わらないが、音楽フェスの中で行われているコミュニケーションはより多様で、複雑なのではないだろうか。

そもそも、音楽フェスの主催者はプロモーター会社やレコード会社、ラジオ局、企業、行政、まちの商工会など、様々な団体・個人によって主催され、そこに込められる想いやメッセージは様々だ。

それらのメッセージはフェスのコンセプトやアーティストのラインナップ、出店するお店、フェス内で行われるワークショップ、アートなど、様々な形で表現され、フェスに関わる全ての人が表現者となってフェスを作っている。

ステージに立つミュージシャンでなくとも、音楽を通して人を楽しませたり、社会にインパクトを与えらる、そこに私は大きな可能性を感じるのだ。

使われなくなった衣類を回収するブース@中津川ソーラー武道館'23

音楽シーンから見たフェス

フェスは、国内、ひいては世界の音楽シーンという側面から見ても、重要な役割を果たしているイベントだ。

音楽フェスの中でも、特に大規模なフェスは、その年の音楽シーンを決めるショーケースとしての役割も果たしている。

私が音楽フェスにのめり込むこととなったきっかけの1つであるポッドキャスト"Festival Junkie Podcast"でよく語られているのがこの点であり、音楽好きが音楽フェスを楽しむには欠かせない視点の1つだ。

音楽フェスはその年の音楽シーンを決めるショーケース?

音楽フェスが日本の音楽シーンを決めるというのがどういうことなのか、簡単に説明したい。

例えば、フジロックやサマソ二といった日本の2大フェスは海外アーティストを得意とするプロモーター会社によって主催されているが、

ラインナップが決定される上で面白いのが、単に日本で知名度や人気があるアーティストを起用するだけではなく、”これから日本で見てもらいたいアーティスト”という観点からもラインナップを組むという点である。

つまり、海外アーティストの日本ツアーを組む前に、まずは国内フェスで観客の反応を見てみて、”これはいける!”とか”まだ早いか…”といったように、判断する場として音楽フェスを使っているのだ。

これは海外アーティストだけに限らず、日本のアーティストにしても、国内でそれほど知名度が高くないアーティストがブッキングされ、フェスへの出演をきっかけにブレイクすることも多々ある。

2021年のフジロックに出演したVaundy

サマソニやフジロックは既にフェスそのものの知名度が高く、集客をアーティストに頼りきる必要がないからこそ、このような実験的・挑戦的なブッキングができる、という側面もありつつ、「このアーティストを見てほしい!」という主催者の強い思いが感じられるのはどのフェスも同じ共通するところではないかと思う。

このように、フェスはその年の音楽シーンに対するメッセージを発信する場としても機能していると言えるのではないだろうか。


音楽を通して、社会にメッセージを発信する

「音楽に政治を持ち込むな」という言葉があるが、そもそも音楽自体の性質や歴史を考えてみると、それは少しおかしな言葉であると感じる。
(アーティストや音楽が政治のために外部から勝手に利用されてはいけない、という意味であれば正しいとは思うが)

そもそも音楽は社会にメッセージを届けるための手段でもあるし、社会に生きている人間が作るものなのだから、そこに政治や社会的なものが含まれていても何もおかしくはない。

それは音楽フェスも同じで、様々な音楽フェスが音楽を通して社会にメッセージを発信する場として機能している。と私は思う。

フェスの中に組み込まれたメッセージと文化性

最たる目的が社会貢献ではないフェスにしても、何かしらの取り組みやコンテンツによって社会にメッセージを届けていることが多い。(というかほとんどがそうであるし、主催側が意図的に発信していなくても読み取れるメッセージもある)

たとえば、日本で大きなフェスでいうと、毎年夏に新潟・苗場にて開催されるフジロックフェスティバル。

日本にフェス文化を根付かせたといっても過言ではないこのフェスは、早くから環境問題に取り組んでおり、新潟・湯沢周辺の森林の整備により、山に切り捨てられる「もったいない木(間伐材)」を利用した「フジロック・ペーパー」をフジロックのフライヤー、オフィシャルパンフレット等に使用している。

他にも、気候変動の原因となるCO2を削減するために一部のエリア、ステージでは全体の電力を使用済み天ぷら油をリサイクルしたバイオディーゼル燃料や太陽光等のソフトエネルギーでまかない、CO2 排出量の削減を図っている。

これらの取り組みはフェス会場内のトークセッションなどを通して発信されるだけでなく、公式HPやSNS、メディアで取り上げられることによって、フェスの外部にもインパクトをもたらす。

このように、フェスに参加する・もしくはフェスに興味を持つだけで、気が付かないうちにそういった取り組みに触れることができる。

このようなフェスでの体験を通してメッセージを受け取った人々が、また日々の生活に戻っていくことによって、フェスという空間の中で発信されたメッセージが、フェスの外の社会にも広がっていくのではないだろうか。

このような社会的な取り組みだけに留まらず、フェスはもっとあらゆる観点において社会を表象する存在であり、私たちはそれを読み取ることができる。

たとえば、フェスのスポンサー。

そのフェスがどのようなスポンサーによって協賛されていて、フェス会場の中にはどのようなブースが置かれているのか。
そこを見るだけでも、フェスの主催者がどのようなことを大切にしているのかということや、どのような企業がどんなメッセージを発信しようとしているのか、が見えてくる。

運営費用や他の様々な関係で、必ずしも主催者が意図した通りの協賛を掴み取れるとは限らないかもしれないが、そういう部分にも拘りを感じるフェスには、より魅力を感じる。

また、協賛企業の特性は国や地域、イベントの属性によっても変わってくるだろうし、意図的なものというよりかは、単なる文化差が現れていたりもする。(海外フェスでは大麻のブースが置かれてることもあるらしい。)

他にも、会場に来ているお客さんの年齢・性別・人種・階層といった客層や、出演しているアーティストのラインナップ、各アーティストが発信しているメッセージ/音楽性。それら全てが、今私たちが生きている社会の様々な側面を表しているだろう。


度々フェスでの発言が話題になるイギリスのロックバンドThe1975。
2022年のサマソニでも、彼らをブッキングするためにジェンダーバランスが調整された⇓


同じくThe1975の記事。マレーシアにて開催されたフェスのステージ上で、同性愛が禁止されている同国の法律について批判するなどして、フェス自体が中止に追い込まれた⇓

フェスで起きていること、フェスで体験できること、というのは、もしかしたら世界やその国・地域をぎゅっと小さくした縮図なのかもしれない。

一見キラキラした、楽しいだけのように見える場所だからこそ、たくさんの人が訪れる音楽フェス。

そこでメッセージを発信することにきっと意味がある。

訪れた人が何かしら社会に対する思いを持ち帰る場としてフェスが機能していたら良いなと思うし、事実、そういう場として音楽フェスは存在しているのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?