見出し画像

人材の流動性を上げることが、組織と社会の成長につながる。VOLVE CEO吉井がマッキンゼーから厚労省へ転職した後、起業に至ったワケ

(官⇆民の越境キャリアを支援するVOLVEのnoteです)

VOLVE創業者の吉井本人も「越境キャリア」の実践者である。
新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニー(以下「マッキンゼー」)に入社、米国と英国に異例のMPA(公共経営学修士)留学を経て、社会保険診療報酬支払基金・厚生労働省という霞ヶ関キャリアに越境転職。
戦略コンサル、保険制度改革、官僚そして転職エージェントの起業。吉井のキャリアは一見バラバラに見える道筋だが、新卒3年目に初めて抱いたある課題感をずっと追いかけてきた結果が起業という選択になったという。
VOLVE創業に至る原体験はどこにあったのか。中学生から一貫して発揮してきた「キャリア・オーナーシップ」の変遷を聞いた。

<プロフィール>
吉井 弘和
東京大学理学部数学科卒業。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社及びドイツ支社で勤務した後、米国コロンビア大学及び英国ロンドン大学政治経済学院より公共経営学修士(MPA)を取得。英国保守党本部などにおける1年間のインターン経験を経てマッキンゼーに復職し、ヘルスケア企業や中央省庁、都道府県庁等をクライアントとするコンサルティング業務に従事。その後、社会保険診療報酬支払基金の理事長特任補佐、厚生労働省保険局保険課の課長補佐を歴任し、2022年9月VOLVE創業。



「何をするかよりも、何のためにするか」

ー公共政策に関わりたいという気持ちを持ち始めたのは、いつ頃だったのですか?
公的な仕事に就きたいということは中学生くらいからぼんやりと思っていました。ではなぜ新卒当時に国家公務員試験にチャレンジしなかったかというと、人と同じことをしたくなかったのですね…(笑)。その頃「リボルビング・ドア」という官民を自由に行き来するキャリアパスの考え方を知り、自分もこうした生き方がしたいな、と思っていました。新たな道を切り拓くための問題解決力や人脈、いざという時にリスクを取ってチャレンジする勇気が得られるのではないかと思い、マッキンゼーでキャリアをスタートしながら、公共に関わる道を探ることになりました。
私はそもそも、自分で自分の道を選びたいと言うか…ちょっと天邪鬼な性格なんです。象徴的なのが高校受験です。より偏差値の高い高校ではなく、敢えて、他の高校を選んで進学しました。偏差値主義に対する中学生なりの抵抗として、「自分は自分のモノサシで進路を選んだぞ」という象徴的な「事件」が欲しかったのです。「これ以降、自分の進路は世の中のモノサシではなく自分のモノサシで決めるんだ」そういう、自分自身に対する宣言のつもりでした。

大学で数学科を選んだのもまた「人と違う道を行きたい」という理由でした。進化論にハマっていて生物がやりたかったのですが、当時はヒトのDNAを初めて読み取ることができたという時代で、「この先でヒトとはなんなのかを定義するのは数学者の仕事なんじゃないか」と思ったんですよ。データに構造を与えるのは数学なんじゃないかと。数学が得意だったわけじゃないのに、数学を解った上で生物をやった方がニッチバリューがあるんじゃないかと思ったんですね。そんな気持ちで数学科に進学したら、自分は思った以上に数学ができなくて、人生の暗黒期になってしまったんですけど(笑)。
自己認識が甘くうまくいきませんでしたが、この時点で既に「キャリア・オーナーシップ」を持ち、「どうすれば自分の付加価値を高められるのか」という視点は持っていたのかもしれません

ーマッキンゼーでは公共の仕事に関わることができたのですか。
当時の日本オフィスの仕事は感覚的に98%民間の仕事でしたが、マッキンゼーで公共の仕事をやりたいと強く思っていました。
1年目にたまたま国立大学の事務生産性改善プロジェクトに入ったのですが、その仕事が「公共に関わりたい!」という思いを強く認識するきっかけになりました。事務の生産性向上が目標ですから、粛々と業務の棚卸をしていくような仕事。戦略コンサルっぽいものに比べると華々しさはなく、正直地味なプロジェクトです。それなのに、その時すごくモチベーションが高かったんですよね。なぜかというと、業務フローが改善できたら、職員の残業と経費が減って投資に使えるかもしれませんし、研究者が出張申請等の雑務ではなく研究に専念できますし、場合によっては、競争的な研究資金が取りやすくもなるかもしれません。そうして日本最高峰の研究者たちがさらに活躍できたら、国の将来のためになる。そう思えたからなんです。私の仕事へのモチベーションは、何をするかよりも、何のためにするか、ということがずっと大事だと実体験として感じたのです。

その後はコロンビア大学とロンドン大学への留学も経験させてもらいつつ、いつもチャンスがあれば公共の仕事に関わりたいと思っていました。留学後に携わる公共分野のプロジェクトの選択肢は防衛関連かヘルスケアで、今後政策に近づく上で、より国民に身近なところに土地勘を持ちたいということでヘルスケア領域を選びました。
ただ、最近はそうでもないようですが、当時は、正直にいって公共プロジェクトはやはり予算的に厳しいものがありました。役所のクライアントからは「通常よりも多くの予算をかけている」という認識、社内からは「民間企業クライアントよりも予算が小さい」という認識…。大きな期待値の差を埋めるのは、現場でマネージャーをする自分とチームメンバーです。個人的にリソースを割きながら何とか回していたのですが、やっぱり辛いという気持ちよりも公共に関われる嬉しさの方が大きかったですね

ポジティブな意味での意外性が多かった、霞ヶ関への転職

ー初めて転職された公共機関は「社会保険診療報酬支払基金」という聞き慣れない組織ですね。
いよいよ公共セクターの中へ転職しようか!という時期ではあったのですが、当時は今よりも中途採用が限られていて、半ば諦めモードで2年以上が経ってしまっていました。民間企業から公共への関わりを深められるということで、PR会社やシンクタンクも検討していました。そんな折に縁をいただいたのが支払基金です。当時の塩崎厚生労働大臣が改革に乗り出していた組織です。ちょうど、マッキンゼーでの仕事でも関心があった分野のため、当時の厚労省の有識者会議の資料を読んでいました。大臣自ら有識者会議に出席して、データヘルスの取組や医療費審査の標準化について、市民感覚として分かりやすい改革の方向性を示しておられました。その姿勢に敬意を持つとともに、その内容と想いに共感して、公募に応募することを決めました。マッキンゼーでヘルスケア領域に関わっていたことが奏功したと言えます。

ーところで、マッキンゼーから霞ヶ関へ…ここだけの話、待遇面は納得できたのですか?
正直に言いますと、年収は結構下がりました。ただ、マッキンゼーはかなり給与水準が高い企業です。厚労省での報酬は、私が当時30代後半だったことを考えると、一般的な国内大手企業に比べて見劣りしない水準でした。
何より、当時とにかく「公共で働きたい」という気持ちが強く、チャンスが多くない中、「この機会を逃したら次はいつになるだろう、ご縁があるならチャレンジしてみよう」という気持ちでした。そう思える機会に巡り会えてありがたかったです。
ただ、霞ヶ関への転職で不安・不満に思ったことがひとつありまして…。実際に受け取るまで給与がわからないんですよ。おおよその想定ができる「算式」はあるんですが、情報が公開されていても、素人には難しくて分からない(笑)。なので、VOLVEでは年内を目指して、国家公務員の年収シミュレーターをリリースしたいと準備を進めています。お給料が今とどう変わるのか、住宅ローンや子どもの養育費が支払えるのかというのは、多くの人にとって転職を検討し始める際の「入口」だと思うんですよね。

ーコンサルと国家公務員、それぞれ必要とされるスキルは全く別なのでしょうか。苦労されたのではないでしょうか?
最初はもちろん文化の違いに戸惑いは大きかったです。何をどう動かしていいかわからない状態でした。意思決定の仕組みが全然違うのです。でもコンサルとは全く違うスキルを身につけられて、今起業してどちらのスキルも大いに役立っていることを実感しています。

何か企画を実現するには「プランを作り」「関係者にコミュニケーションを取り」「エグゼキューションする」というざっくり3ステップありますよね。
コンサルでは、極端にいうと仕事の95%は「プランを作ること」です。対して公務員の仕事の大半は「関係者へのコミュニケーション」なんです。
コンサル時代に身に沁みましたが、コンサルタントがいかに魅力的に見えるプランを作成しても、クライアントの方々がそれを現場の隅々まで伝えて動かしてくださらないとプランは実現しない。私たちが先方に取るコミュニケーションというのは、先方のプロジェクトメンバーや役員とのディスカッションだったりするのですが、その前後にもすごく細かい根回しがあり、そういったものも全てクライアント社内の方がやってくださっている。実はその仕事がものすごく重要です。ですから、調整能力がいかに大事なのかはコンサル時代にも感じてはいました。
国家公務員になると、「やり方やタイミング・順番を間違えると、この企画はもうこの先10年実現できない」というような調整を担います。こういう感度の高さを身につけられたことはとても貴重な経験でした。
起業した今、「プラン」「コミュニケーション」「エグゼキューション」を全て自分でやるようになったのですが、前段2つのスキルをそれぞれの職場で身につけられていてよかったです。それを踏まえてまた違うチャレンジを経験していて、ワクワクします

文化の違いという面でいうと、いい意味で期待を裏切られたこともありました。転職前、霞ヶ関に対して上下関係が厳しいイメージを持っていたのですが、私がいた部署では縦の風通しが非常によかったですし、裁量権も持たせてもらえました
厚労省では課長補佐という立場でしたが、課長がいない時に直接局長に話をしにいくことも多く、「俺を通さずに上と話すな!」みたいな世界ではなかったです。課長が忙しすぎるというのもあるのですけど、課長補佐である自分が決められることが多かったです。やる気と能力、周囲からの信頼次第だったと思います。それはポジティブサプライズで、やりがいもあって楽しかったです。
越境転職でうまくいくかどうか、つまり異文化に適応できるかどうかって、極論すると、無駄なプライドを持たずに、誰に対しても素直に教えを請えるかどうかだと思うんです。それを当たり前だと思える人は民から官でも、官から民でも、適応しやすいんじゃないでしょうか。

国家公務員に、今以上に自信を持って輝いてもらいたい

ーVOLVEは「環境変化に合わせて自己変革できる社会を作る」というパーパスを掲げ、その手段に「転職により人材の流動性をあげる」ということを選択していますね。人材の流動性に課題を持ったきっかけは何だったのですか?
遡ると新卒3年目くらいでしょうか。当時、ある日系大手企業のプロジェクトを担当していました。終戦記念日が近かった夏の頃だったと思います、時節柄もあって趣味の読書で日本敗戦に関する書籍「失敗の本質」を読んでいたんですね。そこでハッとしたんです。かつての日本が抱えていた課題も、目の前のクライアントの中で今起きている課題も、突き詰めると本質は「人材の流動性不足」にあるのではないかと。この名著では、いくつもの「失敗の本質」が組織論的に解き明かされているのですが、環境変化の過小評価や外部開放性の低さ、サンクコスト(既に投資した事業から撤退しても回収できないコストのこと)に対する非合理的な意思決定など、「人材の流動性不足」が根本的な問題だと思いました。だから日本社会を変えていくためには、人材の流動性をあげて、緻密な年次管理システムに穴を開けていかないといけないんじゃないかと思うようになりました。

今は、こうした課題認識に立って行動するにふさわしいタイミングだと考えています。
アメリカ・イギリス留学中は公共経営修士の勉強をしていたので、周囲には同じく日本からの留学生として官僚が何人もいました。当時は今以上に霞ヶ関の環境はブラック寄りで、みんな辛そうな経験談を話していました。周囲が同質化しているからこそ、そのような環境にも歯を食いしばって耐えることに慣れてしまっているのかもと感じました。逆に、「彼らがあまりの自己犠牲に疑問を感じる時代になれば、変化が生まれるんじゃないか」とも思いました。ですから、若い世代の職業観が変わり人材起点で市場に流動性が生まれつつあることに加え、社会全体で「働き方改革」が進み、霞ヶ関の過酷な労働環境の改善を訴える声が世の中から好意的に受け止められるこの時代は、チャンスだと感じます。実際に自分が霞ヶ関の「中の人」となってからは、複数のプロジェクトで、中から環境を変えることや人材の流動性を高める必要性を訴えてきました。

余談ですが、イギリス留学の後に1年間現地の保守党でインターンをしました。留学やインターンの経験は、霞ヶ関の中途採用職員を中心とする有志のプロジェクトで活動する際に非常に役に立ちました。日本人が現地政党で働くなんて異例のこと、ましてや耳目を集めていた、当時のロンドン市長のボリス・ジョンソン氏の下でも働いていたので、イギリスの日本大使館の外交官の方々をはじめ、多くの国家公務員の方々と情報交換する機会に恵まれたのです。ポリシースクールでの同窓生たちも帰国後、各省庁の人事担当部署のキーマンになったりしていました。有志プロジェクトで提言を出す際には、各省の担当者の悩みを理解した上で実情に沿った内容を提案することが肝要だと思っていたので、こういった人脈が非常に役に立ちました。結果論ではありますが、自身のキャリア・オーナーシップが導いてくれた縁だとも思っています。

ーこの先に目指していくことを教えてください。
VOLVEを通して叶えていきたいこと、提供していきたいサービスについてはこちらの記事に詳しく書いているので、ぜひこちらも併せて読んでいただけたらと思っています。
大きなビジョンとしては民から官へ、官から民への人材流動性をあげ、強くしなやかな社会への変革を後押しすることが目標です。そのために伴走型の越境転職支援サービスを提供します、という事業内容なのですが。実は個人的な「裏テーマ」があります。

それは、「霞ヶ関で頑張る国家公務員に、今以上に自信を持って輝いてもらいたい」という想いです。国家公務員の業務内容というのは、平たくいうと国会議員や関係団体などとの調整が多いです。霞ヶ関の外に出ると議員の先生方とのやりとりが日常的に発生するような業務はほとんどないですから、「私は転職に際して評価してもらえる、転職先で活かせるようなスキルは持っていない」というように感じてしまう方もいるようです。「調整する」という業務を言語化する解像度が、低いんですね。
行政は、例えば「ある規制の施設基準」などのハードな要素分解には長けています。法規制を企画立案したり、そこに根拠をおいて執行をするので、緻密に定義ができるんです。その一方で、「調整に必要なスキルは何か」というようなソフトな要素分解は苦手であるように感じます。それでも霞ヶ関がうまく回ってきたのは、同質性が高く、言語化されていなくてもお互いを理解しあえるからです。

調整業務を定義するなら、世の中を現状から違う状態にシフトさせるために、複数の意思決定者たちの合意形成を促す業務と言えます。分解していくと、この業務はポータブルスキルの宝の山なんです。知識ひとつとってもドメイン(調整中の課題そのもの、あるいは業界などの知識)、プロトコル(お作法)、ステークホルダー(調整相手)の理解が最低限必要です。そこに交渉力、シナリオ設定力、プロセスマネジメント力、リスニング力、ロジカルシンキングなどが脈々と積み重なって、官僚という調整の達人を作り上げているのです。
これらのスキルは多くの企業でも求められているスキルです。さらに、政策調整ほどの修羅場が日常的にある職場というものも珍しいでしょうから、自社でこれらのスキルを国会公務員レベルに育て上げることは容易ではなく、企業にとっても国家公務員を迎え入れるメリットは大きいです。しかし企業側も現状は、履歴書をフラットに見ただけでは、国家公務員に対して「物を売ったことも、マーケティングをしたこともない人をどう活用したらよいか分からない」と思ってしまうかもしれません。

私たちVOLVEはこの間に立って、国家公務員が自分のポータブルスキルに自信を持てるよう、国家公務員のスキルの翻訳と橋渡しをしたいと思っています。その上で、「公務を続ける」という選択も、「民間に挑戦する」という選択も等しく尊重して、私たちにできる支援をしたいと思います。

【編・写 大屋佳世子】


越境キャリア支援ならVOLVE

VOLVE株式会社は民から官、官から民への越境転職を支援します。霞ヶ関に特化した独自性の高い人材エージェントならではの求人案件、レジュメ・面接対策をご希望の方はぜひ、弊社ホームページからお問い合わせください。個人起点の越境キャリア・ジャーニーを伴走支援します。

国家公務員への転職にご興味をお持ちの方へ おすすめ情報

現在募集されている求人情報をまとめて把握!
さらに解釈が難しい「霞ヶ関用語」を一般的な言葉に置き換えて検索できる機能も付いています。
▶︎国家公務員の求人情報 ヒント付き検索

国家公務員の給与水準はご存じですか?こちらのシミュレーターで簡単に目安給与を把握することができます。
▶︎年収シミュレーター

この記事が参加している募集

転職してよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?