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文章で伝えることって難しいぜって話

 おはようございます、本日もとっても良い天気ですね。今日はしっかりと早起きして自分のバランスを整えています。この朝の余白があるかないかで一日の充実度ってかなり変わりますからねー。

 さて、先日読書感想文を初めて書いて見たわけですが、結論として冷静に見てみるとあんまりイケてないな〜と思っています。。。

■ なぜイケてないのか?

 一言で言うと、情報を網羅的に書こうとしすぎてしまい読んで欲しい部分が曖昧だったということですかね。読んで欲しい部分はあくまでも感想文なので、要約とか概要って冒頭でサクッと、もしくはもはやなくてもいいくらいなのかもしれませんね。

 自分は思考をまとめる前の草稿をevernoteにかいて整理しているのですが、今回は割とその思考をそのまま垂れ流してしまったような感想文になってしまっています。これを伝わる形に編集する作業を怠ってしまったのが敗因です。本の内容を構造的に理解すること、また感じたことを丁寧に記録することはもちろん大切なわけですが、それを伝わる形に落とし込むのってまた別の話ですよね。教科書じゃないんだし。

 というか、こんな当たり前のことが意外とできないねっということを改めて認識しましたyo...。成長しませんな私も。

■ きっかけは他の人のnote

 なぜ感想文を振り返る経緯に至ったのか、それはnote界隈にはとっても綺麗な文章を書くなあと思っている人がいるからですね。

 この方の文章とか内容がスッと入ってきますし言いたいことが明確で素敵だなあと思っています。また、なぜこの人が書くのかについても冒頭で触れられており説得力もあります。自分はまだまだですね。

■ それでも書くことにこだわる理由

 書くことの良さって今までにも書いてきましたが、最近思うのは会話と比較すると読み手が自分のペースで読み進められることも一つのメリットなのではないかなと思います。

 少し話はそれますが、会話によるコミュニケーションで自分の想いとか愛情をストレートに伝えてくる人っていますよね。自分も最終的にはこの手法で話すことが多いのですが、やっぱり前段として理性的なコミュニケーションがないと伝えられてもなんだか居心地の悪さを感じてしまうんですよね。

 それをもっと深掘ると、自分の強固な信念を持っている人ってそれを前段相手に理解されないまま愛情を伝えられても「いや理解してくれた上で言ってくれているのかな?」と疑問に思ってしまうからだと思っています。自分は割と体験とかを通して時間をかけて理解して欲しいタイプです(面倒くさいですね)

 それで想っていることを伝えないのもまた違いますけどね。直接的に愛情を伝えることもまた根源的な何かを満たすものですし。キラキラしていているだけで皆んなから愛される人はとっても素敵です。

 …つまり何が言いたいかというと相手を理解しながら伝えていく文章力を養いたいということです。

 プロダクト作りもそんな思想を持って日々励みたいですね。今日も頑張りましょう。

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