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星野源さんの未来を聴いて思うこと

昨年のクリスマスに、SNSの友人から、プレゼントと、星野源さんの
「未来」が送られてきた。
大好きな曲を、久しぶりに聴いた。
聴きながら、涙が溢れてきて止まらなくなった。

今、この曲に、涙させるどんな意味があるのか…
数年前に聴いたときには感じなかった感情がそこにあることに気づいた。

「未来」 

            詞・星野源

夕暮れの風呂場に
熱いお湯 浴びながら
消えていく記憶達
今日も生まれる未来

中略

何度も追い越されて うずくまる
何度も取り残され 今日が冷えていく
何ものでもないもの 起き上がり
小さな勇気を使い 空になる

中略

何度も何度もなぜ うずくまる
何度も何度も見た 頬の雨がある
何度も何度も言うよ 始めから
たった一つだけを君は持っている

この曲を聴くたびに涙して、聴くたびに自分を励まし、奮い立たせてきた。
まだ大丈夫、時間はある、可能性はある。
そう信じて、未来の自分に夢を描いていた。

思い返せば、子供の頃から、ずっとそうだった。
どこかで、まだ自分には無限の可能性がある。
そう思い続けてやってきた。数年前、厳密に言えばコロナ禍前までは。

あの頃の自分が描いていた未来と、
今の自分が思う未来は、明らかに違っている。
それは、自分を取り巻く環境がガラリと変わったことによるところが大きいけれど、同時に感じるのは、私自身の心身の変化。

歌うことが好きだったのに、心の勉強をして仕事もしていた10年間の間に、すっかり歌わなくなって、気がついたら高い声が出なくなっていた。取り戻したいと通い始めたボイトレ。
しかし、その間に母の闘病、看病があって中断。
気づいたら、もっと声が出なくなっていた。
慌てて、声の専門の病院、ボイスクリニックで診てもらったところ、声帯が痩せている、と言われ、声を取り戻すには注射しかないと、最新の再生医療の薬を注射してもらい、どうにか声は出るようになった。
が、残念ながら以前のような声は、いまだに取り戻せていない。

数年前からの脚の痛みは相変わらずで、去年あたりから筋肉も落ちやすくなってきて、リハビリに数ヶ月通っては、数ヶ月休む。また数ヶ月通っては、休む。を繰り返している。もちろん、毎日、自分でもトレーニングはして、かろうじて維持している。

クリスマス…しばらくぶりに未来を聴きながら、あゝ、今まで思い描いていた、未来はもう、私にはないんだなと、涙を流しながら思った。

年が明けて、ふと、無限の可能性も、遠い未来も、もう今の私にはない、そのことを書こうと思った。新年には相応しくないのかも知れないけれど、き付いたことを正直に書こう。

そして書きながら気が付いた
私は今、星野源さんの「未来」の詞の世界に生きていることに。
遠い未来を描くのではなく、明日という未来をみて生きている。
一歩ずつ明日に向かって。

あの頃がよかったと思っているわけではない、単に未来というものの距離や描くものが変わったことに気づいた、それだけ。
それが当たり前、寂しいという感情も湧かない。
やっと、自分の意思で今を受け入れている、そんな気がする。

数年後にはこれをしよう、あれを実現させようと思う代わりに、明日はどんなことがあるかな、明日はこれをしようと考えるのも、それなりに楽しい。むしろワクワク感は、こっちの方があるかもしれない。
遠い未来を描き、歩むパワーはなくなってしまったけれど、近い未来に向かっていく力はある。
そんな自分を喜び慈しみながら、したいこと、好きなこと、楽しいことをやっていきたい。






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