多様性を認めることができる国へ

ここ2、3年、政治や選挙への意識、関心が薄れていた。
そんなことよりも、目の前にある、父の介護や母の闘病、看護が中心で、それ以外のことに目をむける余裕がなかった。
そんな日常を過ごしていると、正直、どうでもいいような気持ちになる。両親のことで精一杯、自分のことでさえ目が回らず、ついつい先延ばししたり、気づいたら終わっていたり。そんな毎日だった。

それが、母が亡くなって一年が経ち、父については気がかりなことが増えてはいるが、精神的にはずいぶんと落ち着いた気がする。数ヶ月前までだと、ついつい疲れてくると母を想い、涙することが多かったのが、今は、つらくても涙を流すことはなくなった。これが時間が癒すということなのだなと思ったり、予想以上に、母が生きているうちに課題に取り組んだのだと、心理的なところで納得できるようになってきた。

そうして少しずつ心の余裕ができ始めると、もともと好きだったことや興味を持っていたことに目を向けるゆとりを持てるようになってきて、その頃出会ったのが、Thailandの俳優でありミュージシャンでもあるMewSuppasit(ミュー・スパシット)
彼と出会ったことで、今まで馴染んできた欧米の音楽とは異なる、Thailandの音楽(主に20年ほど前に流行った日本のポップスの影響を受けたというT-POP)を聴く機会を与えてくれ、さらに文化や習慣に触れる機会をも与えてくれた。
そしてそれらが私の中で数年間、眠っていた社会や政に対する関心を、再び目覚めさせてくれたのだった。

以前にも何度かここに書いてきたが、私は星野源さんのファンで、彼と出会ったことで、それまでとは180度変わった体験をした。心理の勉強に勤しむために封印してきた音楽を再開、ピアノを20年ぶりに購入し弾いたり、ボイストレーニングに通ったり、一番大きかったのは、自分の原点は音楽に会ったことに気づいたことだった。生まれた時からレコードがあり、レコードプレイヤーがあって、いつも母がクラシック音楽をかけていたり、歳の離れたいとこがレコード店を経営していて、そこの音楽教室で母がオルガンを教えたり(私は父の同僚の音楽の先生にオルガンを習って、2年間で終了するのを1年で終了している)父の実家には大きなステレオがあって、祖母が三波春夫のレコードを聴いていたり、三つ離れた従姉妹がGSやフォークソング、アルフィーなどのレコードを聴かせてくれたり、父が和製ミュージカルのわらび座公演に毎年連れて行ってくれたり…そんな家庭環境だったことを思い出したのだった。それ以来、より音楽に勤しむようになったことは言うまでもなく、今通っているボイストレーニングで身体を整えて、来年あたり具体的に、声を使った何かを始めたいと思っている。

原点帰りの機会を与えてくれた星野源さん、そして今、まだ具体的には見えないけれど、大きな変化をもたらしてくれそうな存在としてのMewSuppasitさん。
偶然なのか推しの2人、音楽性が近いだけでなく性別を分けない世の中になっていくことを支持してる。

MewさんはThailandのアーティストということもありはっきり明言してるし、源さんは数年前から紅白でピンクの衣装を着て「白組紅組に分けなくていい」と言ったこともあった。MISIAさん然り。
自由で平等の世界にいてこそ、アーティストも自由な表現ができるんだと思う。
なのに世の中の雰囲気は、より閉鎖的になってきて、政に携わる人の無知な発言が繰り返されて、誰もが平等であるという基本的人権が、いつしか疎かにされ始めている。

実際、TwitterなどSNSから伝わってくる、LGBTの人たちへの間違った認識や偏見に満ちた文書や言動。それを、さも実しやかであるかのように話す議員や神職に携わる人の存在には正直、驚いたし怒りと悲しみが湧いた。やり場のない憤りを覚えた。同時に同性婚に絡み、婚姻の目的は、子供を作り育てることにあるという考えが、裁判によっても明確に示されたことにも驚愕した。
婚姻は子供を産み育てることが目的、同性婚はそれを満たさない。故に同性婚は認められないという。何と前時代的発想、思考、馬鹿げた判決だろう。それだけではない、それを主張している人は気づいているかどうか知らないが、同性婚を望む人たちだけでなく、子どもを望みながらもそれが叶えられない人たちや、子どもを望まない人たちまで否定していることに。

多様性とは何もLGBTだけを指しているのではないと、私は考える。
例えば、子供が欲しくても持てない、表面的に瑕疵がある、心身に障害があるetc、私を含めいわゆる五体満足とは言えない人たちが、世の中にはたくさんいる。多様性が認められる社会を望んでいる人たちがいることに気づいて欲しい。

昨日、たまたま通っている大学病院に行ったのだが、受付にはレインボーカラーの旗が刺さっていて、多目的トイレの入り口には、レインボーカラーのステッカーが貼られていた。先月、行った時には気づかなかったので、最近、そうした対応を始めたのかもしれない。

大学病院という機関が、先鞭を切って、そうしたあらゆる国籍や人種、民族、多様な性別を受け入れる意思を示したことを、とても嬉しく感じて帰ってきた。
他の大学病院は、どうなっているか知らないが、大学病院にみならず、社会がそういう多様性を認める意思を示し、行動に移してくれたらと、心から願わずにいられない。すでに地方自治体のいくつかは、パートナーシップ制度を取り入れ始めている。そうしたことを踏まえると、いつの時代も、政は古い慣習に縛られ、新しい発想や、世界の流れに取り残されがちだ。特にこの国は…

7月10日(日)は、参院議員選挙の投票日です。
すべての人が、心も身体もそのままの、ありのままに生きていける。
すべての人が、平等で自由な社会に生きていける。
そんな世の中に、少しでも近づくことを願って、一票を投じてこようと思います。
(期日前投票も利用できます)


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