アマーリエ

仕事をしつつ介護中。 初介護は祖父。様々な学びをして、現在、球麻痺ALSの母の介護中。…

アマーリエ

仕事をしつつ介護中。 初介護は祖父。様々な学びをして、現在、球麻痺ALSの母の介護中。地方で3年、今後は東京で引き取り在宅介護予定。

最近の記事

母の書く「地獄」の意味

病院でも施設でもそうだと思いますが、 初めの1カ月は、いいですね。。。 皆さん、一生懸命に携わってくださいます。 でも2か月目位になると 徐々に患者の性格や病態等も分かってきて 出てくるのが、 「いつものことだから」と見過ごされるてゆくこと・・ 「人間だもの」「仕方ない」かもしれないけれど・・ 20年前、祖父を介護して見えた介護現場や医療現場の 出来事の数々が久しぶりに頭を過り始めました。 例えば、母でいうと 母はナースコールを頻繁に押します。 家族からするとそ

    • ALS介護と膀胱炎

      毎日、「早く来て」とメールをよこす母。 母の病気は稀で本人も大変なのだから 少しでも元気づけようと 片道1時間半の道のりを通い続け早凡そ2週間。 故郷、片道3時間半から比べると楽勝と 思っていたら・・・ 身体は悲鳴をあげていた。 水曜日に尿に異臭。 翌日、昼には排尿時に痛み・・ あら、これは膀胱炎? と近くの病院を探して行ってみると ドンビシャリ! 膀胱炎であった。 20歳のころ、長引いた経験のある膀胱炎・・ 久しぶりであったが、体はしっかり覚えていた。 しか

      • 死にたい・・と言う母へ厳しいひとこと 

        ALSの母を東京で在宅介護をするため 現在は 東京の地域包括支援病棟に入院中の母 病院では、寂しいようで、私が行かないときは いつも泣いています。 医師からは ALSによる前頭葉の疾患でのことと言われていますが、 母と同じ病気になったら  泣きたい、叫びたい と思うのは 当然じゃないか。。と思います。 その母を少しでも元気づけようと、 毎日病院へ行き1週間、 病院で特別に 泊まることも認めていただき 寝袋で2泊 地方からの転院に伴い様々な用事や自分の仕事もあり

        • 地方から東京に転院・・       ALSの病院探しの難しさ

          ALSの母が地方のある急性期病院から 東京のとある地域包括支援病棟に 転院となった。 もともとは故郷の実家で父と暮らしていた母、 ALSの症状が出てからは 父がメインとなり、 週の半分は私が東京から  片道3時間の道のりを帰省し 介護してきた。 そうして、3年の月日が流れた。 この度、4月に誤嚥性の肺炎で緊急入院、 治療と胃瘻造設手術が行われ、 早ければ5月 第3週には退院とのことで 入院時より退院支援が開始された。。 丁度そのころ、 実家の父(82歳)や隣に住む弟夫

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          ALS発症?から4年目の母の日・・・

          母の日 3月一杯、自宅で過ごしていた母は、 2024年の4月1日救急搬送され、 今年の母の日は病院で迎える事になった。 東京で小さなカーネーションの花束を買い、母の日に備えた私は、 電気屋で母が自宅で使っていた電動マッサージ機の新しいのを購入し、 病院へと向かった。 「お母さん、母の日だから カーネーション持ってきたよ」と 目の前に差し出したミニカーネーションの花束に反応も無く 母は入院から当たり前のようにされた「オムツ」を叩き 私の顔を見て泣き叫んだ。 肺炎で入院し

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          ALSの母の人工呼吸器の決断

          母が言葉が出なくなってからあっという間に約4年が経過した。 その内の3年は、東京や地方の病院で、 様々検査するも原因は分からずじまい。 かかりつけ医の「神経内科を受診して欲しい」との3度目の話で 受診したところ、「ALSの疑い」とされたのだ。 2週間の検査入院で確定診断が下されたのは、 その半年後の、去年12月。 その後は、あれよあれよと体が不自由になり、 先月4月には誤嚥性の肺炎で入院となり胃瘻造設手術も行われた。 この間のこともいつかここで紹介していきたい。 し

          ALSの母の人工呼吸器の決断