ALSの母の人工呼吸器の決断

母が言葉が出なくなってからあっという間に約4年が経過した。
その内の3年は、東京や地方の病院で、
様々検査するも原因は分からずじまい。

かかりつけ医の「神経内科を受診して欲しい」との3度目の話で
受診したところ、「ALSの疑い」とされたのだ。

2週間の検査入院で確定診断が下されたのは、
その半年後の、去年12月。

その後は、あれよあれよと体が不自由になり、
先月4月には誤嚥性の肺炎で入院となり胃瘻造設手術も行われた。

この間のこともいつかここで紹介していきたい。

しかし、今回、私がここに記そうと強く動かされたのは
母の「死の決断」を聴き、
私の身体全体がその衝撃で揺らされ
居てもたってもいられなくなったからだ。

母はこの先、気管切開をしなければならない時期を迎えるだろう。
その時の為に、事前に聴いておかなければならないのは
「人工呼吸器」をするか否かである。

私の中では、
どこかで母は人工呼吸器を受け入れるのではないかと思っていた。

誤嚥性肺炎の治療も終わり、胃瘻造設もおこない
現在入院している母に気管切開及び人工呼吸器について聴くと
気管切開は受け入れるが、人工呼吸器については「ノー」であった。

「どうして?母さん」と聴くと、
母は、小さなメモに「死にたい」と書いた。

母との幼いころからの思い出が蘇る。
優しい、温かだった母・・
しかし、ALSで声が出ず、
体も不自由になり
今では笑顔をみることも無くなった。

「死にたい」
今、「生きている事が苦しい」ということが
充分に伝わってくる言葉だった。

今後は
今地方の病院で治療を受ける母を東京に呼び寄せ
介護をする予定である。

母の今の希望は、私と一緒に残りの時間を過ごすこと。

「東京に来たら、その時に、また考えよう」
幾度も指でバッテン(×)マークをする母に
繰り返し伝えた私であった。

2024年5月11日 母の直筆 病院にて

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